☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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自分のスコア "だけ" を信じるという方法
から十六年前、アテネオリンピックで北島康介が勝ちきり、まだプールに浸かったままの直後のコメントで「チョー気持ちいい!」とはっきり発言し、それがその年の流行語になった。
わたしは当時のことを憶えているが、わたしは当の発言に強い違和感を覚えた、むろん金メダルを獲った選手に悪口を言う意図ではないが、わたしはスポーツ選手ではないため、「チョー気持ちいい!」という発言が為されることは発想になかった/今になって、その選手と発言の心理・精神・現象にわたしは仮想としてアプローチできる。
一心に、自分のスコアを信じてやってきた、そりゃ当たり前だ、トップランカーの選手なのだから/そして水中から顔を出し、ゴーグルを外して見上げるところ、やはり自分のスコアが一位だった、「一位だ」、そのとき当然、「ほらな」と選手としての夢がそこに現成したに違いない。
一心に、自分のスコアを信じてやってきた、そりゃそうだろう、信じるものがそこにあり、しかもその信じたものは彼に報いたのだ、チョー気持ちいいというその瞬間もうなずける/もしスポーツ選手が自分のスコアを信じなかったら、途端にすべてはむなしいものになってしまうだろう、自分が信じたものが報われるというのはサイコーの瞬間だ、自分のスコアが最上位で、それを上回るものは誰もいないという瞬間は、当人に無上の満足を与える。

わたし自身、そういったことを知らないわけではない、わたしは何も劣等な生きものとして生きてきたわけではなかったから/たとえば小学校のときに腕相撲で学年のチャンピオンになったことがある、けれどもわたしはそのとき、照れ隠しに笑ってみせたが、なぜかわたしは歓喜を覚えなかった、別に何の誘惑も覚えなかったし、何かとにかく「やりすごそう」とする振る舞いばかりがわたしにあった。
わたしは丸の内で総合商社に勤めていたとき、もう一度そのような、自分のスコアを信じるという方法をやってみたことがある、自分のスコア「だけ」を信じるのだ、それは一般に競争と言われるが、本当の意味では競争なんかしていない、信じているのは自分のスコア「だけ」だから……それでけっきょく一位になれば、どのような状態がおとずれるかを、わたしは知らないではない、どのような状態になるかというと「迷いがなくなる」という状態だ、何しろ自分の信じたものが報われたのだから、もう誰かの何かと比較する必要がない。
自分が正しいということの「証」がもう出ているのだから、もう誰の言うことも真に受ける必要はなく、また誰のことを真から気に掛ける必要もない、他の誰かが正しい必要がなくなるのだ、だから自分は自分限りで満足できるような気になる、まさにそのとおりで、他の誰かから――他人から――干渉を受けることがなくなる、そのときはきっとサルトルもひとつの完成・完璧さをそこに見いだすだろう。
もし自分のスコア「だけ」を信じるということを、やめてしまったら、すべてのことがむなしくなり、何もしないし何にも燃えない、端的に言うと「人間のクズ」のようになってしまうだろう、燃えさかった者は必ずその後も、次の形態として「わたしのスコアだけを信じる」という状態を模索しにいくだろう、他のすべてのものは一切見えなくなる「純粋」な状態だ、それはまた報われたときに「チョー気持ちいい」になる、なるほどこの状態は完璧無比であるため、わたし自身、なぜその方法を辞したのかが今もって自分でもわからない。

完璧なのだ、それは誰もよろこびを下さらないほどに。

困ったことに、「自分のスコアだけを信じる」という方法は、完璧すぎてほころびがない、理論上は本当に完璧無比の方法だ、だからこの方法は "崩せない" という性質がある。
完璧なのにそれが誤りだとしたら、どうやってそれを崩せようか? 方法はきっと「ない」のだ、「脱出できない完璧な誤り」というのが理論上存在する/だからむしろ「迷い」が生じることがあれば、そのほうが幸福なのだ、迷いが生じるということは、まだ完璧な誤りに吸い込まれてはいないということだから。
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