☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< まったくわからない方法、よろこびを下さるもの | TOP | 生きものという機械の、機械的射精について2/ウマシカ >>
生きものという機械の、機械的射精について
ぜこんな話をしているかというと、どうも耳にする情報から類推するかぎり、現代の男性は機械的に射精しているようなのだ。
もちろん「生きものは機械」だから、霊魂を与えられず生きものとして射精すれば機械的な射精になる、たとえば代表的に知られているように、馬の精子を搾るときは種馬をメス馬に見立てた模型にまたがらせる、そして挿入用の穴が用意されているので、そこに馬のペニスを差し込めば種馬は自動的に腰を振って射精するという仕組みだ、家畜というのはそういうものだし「生きもの」というのはそういうものだ、たとえば小型犬のオスなどでも発情期になるとあちこちにペニスを擦り付けて射精し、当人(当犬?)は何も知らずにごきげんでいる。
どうもこのところ、現代の若い男性は、何ら主体たる霊魂を与えられていないから、自分の機械的射精をセックスの土台にしているようなのだ、そして女性の側も主体やら霊魂やらのことはまったく視えないので、機械的射精を受けたらウッフンなのかなと思っている、それはそれで純粋な生きもの・家畜あるいはただの哺乳類というなら間違ってはいない、でもきっと当人たちは自分たちで家畜プレイをしているという自覚はないのだろうと思う。
そしてわれわれは、自分の身口意によって「行った」ことが、己のカルマとなり因業となるので、裏側でこの家畜的セックス・機械的射精をしていると、その後の主体・霊魂の進みゆきが悪くなるのだ、悪くなるというより契約上、主体と祝福の恩恵は入らなくなってしまう/それは自らの行いによって「自分は家畜であり、獣です」という業(カルマ)を作ってしまったからだ、人は人であるうちは人であることが正しいと感じるが、獣になると獣であることが正しいとなるので、その後はもう主体やら霊魂やら祝福の恩恵やらは入らなくなってしまう、これはある段階から「もう無理だね」と取り返しのつかないことになってしまう。

機械的射精というのは、つまりマウント状態でオスがメスに腰をヘコヘコ・ピュッピュすることを言うのだが、少なくともこれを肯定してはならない、肯定するともう自分が獣として定義され(畜生道に陥り)、ほとんどの場合は戻ってこられなくなる。
生きものは機械であって、機械的射精とはホモサピエンスにおいてどのようであるかというと、オスがメスに褒め言葉と金銀財宝をもって求愛し、それを受け容れたメスにオスがマウントして腰をヘコヘコ・ピュッピュするというものだ、このことを肯定すると人は獣になって戻ってこられなくなるが、おそらく現代の若い人は何もわかっていない、何もわからないまま堂々と、この機械的射精を「セックスだ!」「セックスした!」と捉えているように思う。
多くの人は「愛のないセックス」を否定的に捉えていると思うが、そうではないのだ、「愛」というのは二種類あり、仏教説で言われている貪愛というのは、人間道のものではなく畜生道のものなのだ、だから機械的射精・ヘコヘコピュッピュをすると、畜生道としての貪愛が因果として発生する、それはキリスト教で言われている愛とは別のものだ。
機械的射精・ヘコヘコピュッピュに前後して、生きものの体内には「ホルモン物質」が分泌される、よもやそれがキリスト教で言われているところの愛であるはずがない、おそらく現代の若い人は、1.刺激を受ける 2.ホルモン分泌 3.駆り立てられる 4.求愛する 5.ヘコヘコピュッピュ、という生きものの本能、生理機械的なセックスだけをセックスだと思っている、これをやると相当悔い改めないと戻ってこられないので、少なくとも機械的射精をセックスだと肯定しないことだ/生理機械的なメカニズムによって、ヘコヘコピュッピュとその周辺は「気持ちイイ」のだが、獣はその「気持ちイイ」しかわからないのだ、人が同じように「それしかわからない」となってはいけないのだが、おそらく現代の若い人は本当にそれしかわからなくなっている、だから本当に乳を揺らした若いメスに駆り立てられたオスが求愛するという動物園の繁殖事業のようなことを恋愛だとかセックスだとか思っている。

現代人の主体のなさの背後には、「機械的射精」という実態がひしめいている。

誰も本当のことは話さないだろうが、多くの人が裏側で機械的射精・ヘコヘコピュッピュをしているから、それが業(カルマ)による自己決定になってしまって、主体・ソウルの享受に対する決定的な不能要因になってしまっているのだ/決してオナニーをしてはいけないということではないし、機械的射精が病気だと言っているのでもない、ただそれば恋愛でもなければセックスでもないということ、処理するのはいいが肯定してはいけないということだ。
少年少女は、現代においては発育もよいし、端末から情報が得られるので、中学生ぐらいになればヘコヘコピュッピュに必要な、身体と環境の要件は整うだろう、だが彼らが相互に合意してヘコヘコピュッピュをして「気持ちイイ」となったところで、彼らはそれでセックスをしたと思い込むから、それ以降はもう機械的射精の周辺にたむろする獣にしかなれない/機械的射精をするなら、柔軟な筒を用意して電動器具でブーンとやっても同じなのだ、それでいわゆる「性癖」がこじれて、こじれた性癖に支配される、こじれた性癖を自分の愛のカミサマだと思っているからだ、何度も言うように「生きものは機械」なのだから、電動器具と同じだ、基本的にヘコヘコピュッピュを愛のカミサマ扱いした人は土下座しても戻ってこられない、そりゃ愛のカミサマを電動器具と同列に並べた者がどんな許しを得て戻ってこられるものか、このパターンはたいてい致命的にアウトになる。
正しく見ないとな | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |