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生きものという機械の、機械的射精について3
こに、陽キャのA君と、アイドル風味のB子さんがいたとする、両者は同じサークルに所属している。
陽キャのA君は、おっちょこちょいなところがあり、それが見ていて「かわいい☆」とB子には思える、そしてB子のアイドル的な振る舞いが、陽キャA君にとっては「正直、そそるわ」という感触だ。
この陽キャのA君とアイドル風味B子さんは、たまたま帰り道が一緒になり、「おれんち寄っていく?」という感じになり、そのままワンルームマンションに入り込み、発泡酒を飲みながらA君はB子のオープンした股間を下着の上から撫でる、ウフフン、という感じになるのだが、このときに注目すべきことがある。
現代における、「セックスならざるウマシカ」の性質として、陽キャAとアイドルB子は、互いに語り合うところを持たないという特徴があるのだ、彼らは身内話をやりあうだけで、未来や世界について語り合うところを一ミリも持たない、だからこそ独特の「ウマシカ」の交尾が成り立つ、お互いのわけのわからない棒と穴を接合してみるというような具合だ、彼らは語り合うということそのものを持たないので、おしゃれと陰部だけがロマンチックだと思っている。

よくよく観察してみよう、観察といってもかねてからわたしが主張しているようなことだが、現代人は「言葉」を失い、未来や世界について語り考えるということを失ったのだ、そしてこの「語り考えることを失った者」から順に、むしろウマシカ行為に有利化しているという特徴がある。
本来、「ふつうの人間」という言い方をするならば、「ふつうの人間」は語り合うこともない人相手に、ウマシカ行為なんかやる気になれないものだし、また「ふつうの人間」は、明らかに演出でしかないアイドルやアニメに対してファナティクに「焦がれる」なんてことはできないのだ、そんなことふつうの人間の感覚としてできるわけがない。
ウマシカは、強者においてはウマシカ交尾をし、弱者においてはウマシカ自慰をすることになるのだが、そのどちらにせよ、未来や世界について「語り考える」ということを失っているというのが特徴だ、語り考えることを失った者から順にウマシカになると捉えてもよいし、ウマシカ行為をやれば途端に「語り考える」という機能を失うと捉えてもいい、どちらも同じように起こっていることだ。
プロが作成したセックスビデオでもいいし、シロウトが流出させたセックスビデオでもいいが、両者がどれだけ見つめ合っても、その両者が互いに未来や世界について「語り考える」というシーンや気配が入り込んだセックスビデオはない、だからわれわれがメディアで目撃できるセックスはセックスではなくウマシカでしかないし、何なら実体験できるのも今はほとんどセックスではなくウマシカでしかないのだ、その「語り考える」ということなしに「ウフフン」だけをやるからウマシカになる、それはもう自動的になるのだ、自動的にそうなるから現代はここまでこのように進んできてしまった、本来セックスというのは互いに語り考えることの果てに交わりきりたくて生じる営為だったのに。

互いに語り合いたいと求める、その衝迫が性欲を凌駕するときのみ「セックス」になる。

だから、具体的な性行為は中心にないのだ、性行為というのは高齢や身体的不具があったら不能になるが、そのことは本質ではない、互いに語り合うところを極限にまで求めるということに、場合によってはセックスが伴うというだけで、それは特に若い人の肉体において、肉体の昂ぶりが「もどかしい」という形で生じるだけだ、肉体に対してあれやこれやしたとか、ピュッピュしたとかいうことは、正しいセックスにおいては記憶に残らない/事実わたしは、たとえば学生のころのセックスについて、その最中の記憶がまったくない。
われわれは本来、獣ではなく人なのだから、正しくは「際限なく語りあった」という記憶だけが残るものだ、そのことは現代の状態しか知らない人にとってはまるで想像も空想もできない状態に違いない/あなたは未来や世界について語り考える小説は書けないだろうが、チンコやマンコをいじくりたおす性描写のシーンを連ねる小説なら書けるのだ、それは品性がオゲレツとかそういうことではない、「語り考える」という能力を失ったウマシカだからだ、まったくその小説の能力のままあなたは機械的射精に向かおうとするだろう。
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