☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 生きものという機械の、機械的射精について3 | TOP | カミサマに見捨てられぽんち >>
生きものという機械の、機械的射精について4

性の身体は物体ではない。
これまでに、何のロマンも感じず、何も自ら主体的にならず生きてきた男だって、突然「女の穴に指を入れたい」とは思いやがる。
それで「女の穴に指を入れてみたんです」ということで、フワワワ〜となるのだが、冷静に考えろ、これまで何一つ世界と主体の体験がない者が、穴に指を入れただけで何かの体験ができるわけがないだろ/はっきり言っておく、何一つ世界と主体の体験に向き合わなかった者がゾクッと体験できるのは自身の "病気" だけだ、それ以外に体験があるなんて虫の好い妄想はただちに捨てろ。
何の感動もなしに生きてきた消費者人間が、「穴に指を入れてみました、フワワワ〜」と言いだし、また女の側も、「穴に指を入れられてみました、フワワワ〜」と言いだすのだから、そりゃどんなカミサマだって見放すだろう、冷静に考えろ、君たちは何もしてこなかったじゃないか、消費生活だけをしてきた者がロマンチックな何かに触れられる可能性はゼロだ、どうして自分のことだけは例外に考えるのだ、消費だけしてきた者は納税だけしてやがて病気になって死ぬだけだ、自分の人生に「何か」があるなんてありもしない空想にすがるのはよせ。

女性の身体は物体ではないのだが、本当に何の青春も友人も感動も魂もなく生きてきた男は、堂々とまるで自己の権利のように、女性の身体を物体だと思っている、そして「女性の身体に興味があるんです」という痴愚そのものの発想をホームルームの言い方をするのだ。
そして愚かしいことに、女性の側も痴愚になっているから、女も女の身体に興味を持ってしまって、「(わたしの)女性の身体に興味があるんです」という痴愚の思考になってしまっている、彼らの両親は自分の子に「あなたは致命的なバカだから一般人のふりをしないように」と言いつけねばならなかった、だが両親もすでにそんなことは面倒くさいとしか感じなくなったのだろう、両親はただ自分が観たいテレビ番組といい気分になれる外出先だけを漁っている。
女性の身体は物体ではないし、男の身体だって物体ではないのだが、人生が空っぽの人は見かけの高級品でマウントを取ることと、それぞれの陰部で「ドッキング!!!」をしてみたいということにだけやにわに興味を持つ、全身に何の気魄も霊魂も行き届いておらず、むしろ確信をもって身体を物体と信じているのだろうが、それは自分が最も憐れな者だということを誰にも教わっていないだけだ、「ダンボール箱の穴に指を入れてみたら何かネチョネチョでした、興奮」というような次元で人類がセックスを捉えてきたわけがない。
「空っぽの人生」というのは実在するのだ、そしてそんなことは、誰も憐れんでくれない、なぜ憐れんでくれないかというと、空っぽの奴に対して憐れみを向けるということが不可能だからだ、空っぽの人生を生きている人はどこかで自分の人生に「何か」があると勝手に思っているものだが、まず無いのだ、そのことを知らないからまるで一般人みたいな顔をして「女の穴に指を入れてみたいです」と堂々とまるで権利みたいに主張・請求しはじめる/女の穴に指を入れても、空っぽは埋まらないし、指を入れられる側になっても、空っぽは埋まらない、まるで手持ちの砂で「ヒマラヤ山脈を作りたいんです」と言っているような痴愚ぶりだ、それでも当人は自分の権利があると信じて彼はいつまでも請求を続ける、「わたしを満たしてよ」とむしろ周囲に義務の履行を請求しつづける。

おれにとってさえ、性愛の現成というのは最高難度のものだったが、それを「指を入れてみたいです」という痴愚の思いつきと同列に並べるのか。

現代には、何かとんでもないデカさの、痴愚のデーモンみたいなものが降臨していて、車の運転もできないような奴が「バレエをやりたい」とか言い出すのだ、どうしてそのように、一般のおじさんでもできることができないのに、人類の中でも特級の者しかこなせないものをやりたいとかできるとか思い込むのだ、漬けものの塩梅(塩加減)さえわからない者がパティシエになりたいとか平気で言い出す、二十人の前で話して地声が全員に届かないような奴が二千人の前で唄う歌手になりたいとか言い出す、「桃太郎」のサル役さえ務まらない者が女優・俳優になってセレブ生活がしたいと平気で思っている、複式簿記の理解を二秒で投げ出す奴が「世界を股にかけるビジネスマンになりたい」とマンガのイメージを自分に当てはめて妄想している。
なぜこんな馬鹿げたことが起こるかというと、ウマシカの目には、本当に人のことが「物体」に見えているのだ、だから華やかな物体があると「うらやましい」と感じ、それと同等の権利が、同じ物体である自分にもあるはずだという前提に立つ/おれが女を抱きしめたとき、その女はおれに抱きしめられたことを生涯の宝にすることがあるが、それを脇で見ていたウマシカは、「自分も同じように抱きしめたいな」と平気でエントリーを申し出るのだ、本当にそのように、人のすべてが物体に見えており、自分も同じ物体としてヘコヘコピュッピュがしたい、そしてその権利が自分にもあるはずだと信じているのだ、だから彼(彼女)の内には何の悪意もなく引け目さえない、彼(彼女)の内にあるのは同等の権利が認められるべきというむしろキラキラの「正義」なのだ。

正しく見ないとな | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |