☆いい女☆で行こう!

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市民生活と「しっくりくる」宗教

いてい、宗教に入れ込んでいるのはオバサンないしはババアだから、あなたもオバサンかババアになれば、宗教に入れ込むようになる。
宗教に入れ込むといっても、当然、自分にしっくりこない宗教には入れ込まない、われわれは自分にしっくりこないものはすべて「誤っている」と判断せざるを得ない生きものだから、何かが聞こえるという徳性を得るまではひたすら「しっくりくる」という基準だけですべての正誤を判断せざるをえない。
そして、「何かが聞こえる」といって、そんな徳性はふつう "無い" ので、妄想で「聞こえる……」みたいな感じになり、エセスピリチュアル&特別なワタシを決め込んで、現実逃避するしかなくなるのが定番だ、そのころにはたとえ何歳でもきっちり「イタいおばさんwww」になっているので、もう誰も何も言わなくなるだろう/そういう「イタいおばさん」のパターンにならなかった場合は、何かが聞こえるうんぬんではなく、ただ「しっくりくる」ということで宗教を選択する。
これは何の話をしているかというと、もちろんヤバめの話をしているのだ、ヤバめなので途中からは入り込まない、こんなことはあくまで一般論で留めておくものだ、ただそれでもいつかの未来に何かあなたの役に立つことがあるかもしれない、こんなヤバめのことはまず誰も言わないし、そもそもこんなこと誰も気づきようがない。

多く、日本で誰かが亡くなると仏教様式の葬儀になるが、それは多くの人にとってその様式が「しっくりくる」からだ。
そして「命日」というとしっくりくるし、「一回忌」「喪中」と言われると、そのあたりもしっくりくる、その「しっくりくる」というのは、「お正月だから初詣に行こう」ということの「しっくりくる」とまったく変わらない。
もし、何かの先生が亡くなったら、その弟子はお葬式に参列するものだが、そこでもし「葬式になんか首を突っ込むな」「お前はお前のやるべきことをやれ」と言うと、それは市民生活の感覚としてしっくりこない、「世話になった先生が亡くなったのに葬儀に来ないなんて」という感情に当然なる/けれども、この「葬式になんか首を突っ込むな」の発言は、他ならぬお釈迦様から弟子アナンダへの発言なのだ、当の仏教のボスがそのように教えているのだが、そのことよりむろんわれわれは自分たちの「しっくりこない」を優先する。
あるいは結婚式は、キリスト教式でやる人が多いが、神父さんか牧師さんかが「○○〜、誓いますか」と問うと、新郎新婦が「はい、誓います」と答える、よもやここで「いいえ、誓いません」「誓いませんが、はい、そのようにします」とは言わないだろう、そこで誓わないというのは実にしっくりこない/が、聖書に詳しい人はご存じだと思うが、「誓ってはいけません」「はい、そうします、か、いいえ、そうしません、のどちらかにしなさい」とは、他ならぬ当のイエスキリストが言っているのだ、「誓いを立てることで信用度を増すというインチキをするな」という教えだ、けれどもそんなものはわれわれにとって「しっくりこない」ので、われわれはしっくりくるほうを優先する、このようにしてあなたは、オバサンかババアになったとき、いかに自分に「しっくりくるか」という基準で、神仏のありようを定義する(必ずそうなる、とこのことは断言しておいてよい)。

サービス業は、消費者にとって「しっくりくる」ことが一番大事。

このように、あくまで一般論に留めておくことが肝要だ、何も破壊する必要はないし、何も闘争する必要はない、ただそれでもいつかのために、この一般論を知っておくことだ、誰でも知っているとおり、サービス業は消費者にとっての「しっくりくる」が一番大事だ、一時期流行った言い方でいえばCS(カスタマーサティスファイド、顧客満足)というやつ。
あなたは加齢していくと共に、人の生というものの、 "ガチの恐怖" を知るのだ、知人の不慮の死、内科のほとんどがそれである不治の病、加齢による両親の精神的・人格の変容、何もかもを忘れて失う認知症の双眸、自分の年齢が減ることはないという事実、自分に与えられる「機会」はもうこの先ないという日々の連なり、そのガチの恐怖があなたの魂を脅かしたとき、あなたの魂は知らず識らず宗教に頼る、そのときあなたは「しっくりくる」様式をなぞりだし、その途端、これまで自分を脅かしていた恐怖がスッと消えたように思う、それを「カミサマって本当にいるんだね」と思うのだ、でもそれはあなたが「しっくりくる」という様式をなぞったものにすぎない……ではなぜ恐怖がスッと消えるという現象が起こったのか? それは、それほどまでに、その "ガチの恐怖" はおそろしく、なんとしてでも逃避したかったからだ、いくらでも催眠術に掛かりたいという下地がすでに強烈にあった、だから「しっくりくる」というその様式は、ヒプノティックに作用し、その後単なる強迫神経症としてあなたを支配しつづける、「手を洗わないと落ち着かないの!」と苦しむ強迫神経症と同じ現象として/あなたが見かけたことのある宗教おばさんはこういう仕組みで出来上がったのだ。

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