☆いい女☆で行こう!

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本来「恋あい」なんてものは一般に存在しない

本の場合、そもそも明治より前は封建制(=万事を親が決める)なので、当人が見たことも会ったこともない相手と結婚が決定するということがいくらでもあった/たとえば幕末の桂小五郎や西郷隆盛が江戸の屋敷にいると、地元の親から手紙が来て「お前の嫁さん来たよ〜帰ってきて祝言を挙げましょう」といきなり決定済みの連絡を受けるのだ(それが当たり前であり「忠孝」とされた)。
じゃあ親が決めるまでセックスはなかったのかというと、むろんそんなことはなくて、遊郭は存在していたし、宿場ではたらく飯盛女(めしもりおんな)だって娼婦も兼業していた、今でいうと旅館の仲居さんが夜伽の相手もしていたということだ、都市部や旅籠や城下町ではだいたいそんな感じだった、あるいは女性がお伊勢参りに行くのに道中各地で夜鷹して一宿一飯と路銀を得ながら行くということも常套手段だったらしい/ちなみに「千と千尋の神隠し」で「湯女(ゆな)」になった十歳のチヒロも、湯女といえばつまり娼婦になることを示している、宮崎駿は明確にそのモチーフを狙って本作を描いたわけで当人もそのことを隠してはいない。
一方、街道に面していない村落も無数にあるわけで、そういう村落はどうなっているかというと、ご存じのとおり「夜這い」がメインだった、男子は一定の年齢になったら青年組に所属し、青年組に所属すると村の女性に夜這いしていい権利を取得する、むろん女性の側はそのときイヤな相手なら断っていい、このシステムは昭和ぐらいまで地域によっては残っていたふしがある。
そもそも、夜這いシステムの中で女性は複数の男と寝ているので、産まれた子供は誰の子供かよくわからず、誰もそんなことは気にしなかった、産まれた子供は「村の子」だった、このことがあるから、かつて昭和生まれの郊外の子供たちは、近所の家にノックもなしに勝手にあがりこんだりする風土があったのだ、その地域の子・村の子という感覚と風土が残存していたと言える、現在はむろんそんなものは残っていない(極端に隔離された地域なら残っているかもしれない)。

そうした日本の村落のセックス事情を見て、かつて日本に来た宣教師が、「この国には貞操観念がなくて結婚の制度もメチャクチャです」という焦ったレポートを教会本部に送っている。
だからどういうことがあったかというと、古くから日本にあったのは「恋あい」ではなくてむしろ現代の「ヤリサー」なのだ、ヤリサーに所属している男は、合宿にいけば合宿先で女性に夜這いしてもいいし乱交してもいいというノリだろう、むしろ現代の「ヤリサー」のありようが、古代からの日本の村落の遺伝子が発現していると捉えていい。
日本の伝統的なセックス観は西洋のそれとはまったく異なり、なにしろ創世神話の時代から、アメノウズメという女神が、「陰毛を丸出しにして踊ったので周囲はオオウケした」と描写されている/事典を調べれば出てくることだが、伝統的に日本の集落では、妙齢になった女性の処女をその村の長老が破瓜するのがスタンダードだったし、同じころ少年は、村の年増女たちのグループに連れて行かれて「筆おろし」されるのがスタンダードだった、このスタンダード初夜を済ませた男女がその後は村の「ヤリサー」に所属したことになるというシステムだ。
そもそも日本には、武家などを除いては明確な「婚姻」のシステムがなかったし、武家の婚姻といってもたとえば将軍家の跡継ぎなどはむしろ側室がメインで輩出しているような向きもあってメチャクチャだ、そもそも結婚というと男性側から女性の実家への「通い婚」がメインであって、通い婚のまま子供を出産し(女性側の実家で出産するのであり、旦那さんは出番なし)、子供も育って時間が経ち、男性側の母親が年を取って身体が動かなくなったら、家事をする人がいなくなるので改めて「嫁入り」してもらうというシステムだった/あまりにも現代人の感覚と違うこうしたことが、百年前は常識的スタンダードだったのだ、明治になってから日本は一夫一婦制の婚姻制度を敷いたが、それも富国強兵のためであって、こんな中に「恋あい」が何たるかはまったく捉えられていない、つまり人類は今もずっと「恋あい」を知ったかぶりし続けている。

日本はヤリサー思想で、西洋は伴侶思想だった、そのどちらとも「恋あい」とは無関係だ。

戦後の日本は特に西洋化され、男女の仲は「ロマンチック」であるべきという風習が起こるが、そもそも「ロマンチック」という語も、われわれが思っている意味の語ではない、ロマンチックというのはロマン派チックという意味であり、ロマン派というのは日本で言えばつまり言文一致運動後の明治文学のことだ、そのロマン派のスタイルが過ぎて消えていった後の変容のことを「大正ロマン」と呼んだのであり/わたしが文語体を使わず中世のことにわれわれをつなごうとして書き話していることじたいがロマン派の手法に近いが、これをどう見て誰が「ロマンチック」と言うわけがあるか。
日本は古来から男女といえばヤリサーと遊郭(後の赤線)なのであり、西洋はというと、マグダラのマリアに見られるように、聖書に書かれた「姦淫するなかれ」が厳しい法としてあるので、苦し紛れに「うーん、伴侶ならヤッてOK!」としてきたという歴史だ、カーマ・スートラだって本当に読んだことがある人は少ないだろうが、それにだって「外国人と結婚するのはムリっす、やめとき」ぐらいのことしか書かれていない/このようにして、本当は人類まるごと、「恋あい」なんてものはよくわからないし、一般には存在していないのだ、本当には存在していないからこそ、交際は半年も経つと「冷めた」となり、その後は時間をかけてトラブルの源泉になっていったりする、その面倒くささを避ける人たちがいて結果、実際に残っているのはフーゾクとヤリサーと婚活でしょという事実になるのだ、今われわれが目撃しているとおりのことだ。

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