☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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わたしが真に受けてきたもの
年のころ、わたしは「天空の城ラピュタ」を観た、何の予備知識も触れ込みもなしで……心臓も魂も震え上がった、それは金曜のテレビ放映だったはずだが稚気のわたしに記憶はない。
そのときから数日、数ヶ月、いや正直には数年にわたって、わたしは目撃した物語に首根っこを掴まれ続けたように思う、そしてわたしは少年なりに、自分が彼のように勇敢でないということを突きつけられ、それを一人認めつづけることになった/そのときは少年なりの自分に突き刺さる刃のような痛哭があったように思う。
けっきょくわたしはそのとき、流通する商品としての映画を観たのではなく、また鑑賞物としての映画を観たのでもなく、誇らしい友人たちと友人たちでありつづけるためには自分がどうあらねばならないかという切実な事実を観たのだ/その言い方でいえばわたしはこれまでに一度も、一般に言われている「映画」を観たことはないということにもなる。
わたしはいくつものことを真に受けてきたのだった、そしてそのことを振り返ると、振り返るということは実はなく、今も変わらず真に受けたものは真に受けたまま続いているのだった、仮にそれが他のことすべてを失わせるとしても/わたしは一見、物語のことを研究しているように見えるが、その実そうではない、わたしはかねてからずっと「物語と自分の区別がつかない」のだ、本当はわたしが研究のメスを入れるべきようなジャンルめいたものは何一つない。

わたしは物語に没入したつもりはこれまでに一度もなく、そもそも没入という状態を切り取って感じたことはない。
あくまで大人になって、植え付けられた常識に基づいて言うのならば、わたしは物語に没入したというより、初めからその内部にあって、以降一度もその外へ出てきていないということになる、少なくともそのように推測しうるということは、わたしも人並みの知能として分かるようになった、だがどのように分かったとしてもわたしがその外へ出てくることはないのだろう/わたしは子供のころから、すさまじく周囲と「ちぐはぐ」をやらかす時間ばかりを生きてきた、これはけっきょく修復はされないものなのだろう。
このごろになってわたしは、元から物語の中に棲んでしまっているということについて、一部うらやましがられる向きも出て来たのだが、そのことについてわたしの知る限りの誘導を与えても、基本的に人はその物語へ棲みつくことを、拒絶しているようにわたしには視える、それがなぜなのかはわたしには分からないが、まるでわれわれが宇宙旅行を目論むように、それは憧れと実際の拒絶を内包しているように感じる、それでもわたしに引き続き残るのは、ただ唯一のこと、わたしを慕い、信じようとしてくれる人について、わたしの知る限りの不幸を遠ざけたいということだ、<<わたしはわたしから見て危険だと感じることはなるべく友人にはさせないようにしている、またそのことを現場で実際に制止もしている>>。
わたしにはずっと奇妙なものが聞こえている、「聞こえている」という言い方がせいぜい似つかわしいと思ってそのように言っているのだが、わたしにはずっとわたしきりのわたしが聞こえているのだ、一般に知られている自我としてのわたしが物語を余所事に見たり、その中に無理に没入しようとしているのではなく、物語の中にいるわたしがずっとわたし自身に聞こえている、そしてその聞いている主体さえも物語の中にいるわたしではないのかという気がしているのだ/つまりわたしは、いわゆる「無我の境地」というテーゼを考えるときにも、そもそも無にするべき我というのが、はっきり存在しているように感じられないのだ、もし強いて無我の境地というものを考えようとすると、わざわざ意図的に「我」を捏造し、それから改めて無我にせねばならないように感じている、つまりわたしが「わかるわかる」というとき、わたしは一般とまったく異なるものを対象として「わかるわかる」と言っている、物語の中に棲むわたしだけが「わかるわかる」と言う。

青空がわたしであり、夕空がわたしであるということはわかるが、「わたしが青空を見る」という意味がどうしてもわからない。

ここに一冊の本があったとして、本から表紙を切り離すことは可能だったとしても、表紙もその「本」の一部であることのように、青空とわたしをいったん切り離してから接合するということの、意味がよくわからない/わたしは特別な何かを感じたことは一度もない、ただこれまでずっと、わたしにとって意味のわからないことと「ちぐはぐ」をやらされてきて、困らされてきたという覚えだけがある、しかもそれは解決しない困惑だ。
わたしはこれまで、「大人」に話しかけられるたび、困惑のエッという反応を返してきた、それはすべてのことが、本当にわたしにとって意味がわからなかったから/「もうじき年長さんだね」 エッ 「自分のために頑張ってね」 エッ 「深い話するよね」 エッ 「それって面白いの」 エッ。
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