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慾望の資格とまともな国4/英雄について、軍学と文学
ょっと話が逸脱しているが、ついでに。
わたしはよくこういう言い方をする、「隣国を攻め取るのが軍学、そして攻め取った隣国に与えるものが文学」。
隣国を攻め取ったとて、与えられるものがないならただの侵略だし、与えうるものがあったとしても、隣国を攻め取れないならそもそも与えるという立場になれない。
重ね重ね、ここでいう国というのは国家や国籍のことではないのだが、そのことはもうしつこいか/この二つの要素、軍学と文学に秀で、つまり戦(いくさ)の神と愛の神に接続してその天意を振るう者を「英雄」と呼ぶのだ。

この英雄のもと、戦いから血の臭いは消え去り、また愛と文学から作り物のむなしさは消え去る。
小人は慾望に支配されてしまうゆえに慾望が禁忌となるが、英雄は慾望に支配されないので慾望が肯定される、そしてなぜ英雄は慾望に支配されないかというと、英雄は戦の神と愛の神に支配されているからだ、これでは慾望が英雄を支配することはできない/慾望が支配できるのはあくまで生きものである人にすぎず、神の支配力を上書きできるほど慾望の魔力は上位にない。
金持ちはいつの時代でも女のこころを買えるだろうが、いつまでたってもそのことに肯定感が得られないのは、けっきょく慾望で慾望を取引購入しているにすぎないからだ/金儲けの力はいくらか戦の神に近いところもあろうが、なにぶんそうして金で女を引き寄せたとしても彼には女に与える愛の文学がない、だから同じく慾望に支配されている女しか買えない。
あるいは、愛の神だけでは人は英雄になれない、神の名を称える者は必ず迫害を受けるのに、戦の神がなければ迫害からとにかく逃げるしかなくなるからだ、逃げるのは悪手ではないが、あくまで戦の一手として逃げるということと、ただの逃避として逃げるのとでは意味も作用も違う/このようにして英雄は、隣国の不毛を終わらせ芳醇を始めさせるという存在であり、彼の慾望は常に「カーニバル」の様相を為している、それは小人が密室で後ろ暗いことをやるイメージとは実際まったくことなる性質のものだ。

英雄とは、「この人のもとでは全ての人が獣の取引をやめる」という存在だ。

英雄の慾望が肯定されるのは、英雄のもとにあるときのみ、人はどれだけ慾望を解放しても獣にならないからだ、英雄なしに戦争や性交をすると人はただ未開の獣になってしまうのに、英雄がそれを行うときだけ、人は人としてその営みの中にあれる/英雄を否定しないかぎり、人はその戦の神や愛の神の恩恵につながることができる。
自分自身が英雄かどうかは、ただ隣国に単騎で乗り込めばわかる、そこでわずかでも隣国を歓喜の地に変えるのであればその人は男女に関わらず英雄だし、そこでただ取引や争いをするだけならその人は英雄ではない、そして英雄ではない者が慾望を言い張ると、人は必ず慾望に支配されただの獣に堕してしまう/そして獣に堕してしまった者たちは、結果的に奴隷として生涯を過ごすよりなくなるのだ、これは一般化して「英雄を否定した者が奴隷になる」と言いうる、このことをぜひ自分の実体験にはしないことだ。
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