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WS報告077(2)/対自存在と秘儀の主人
ーゲルやサルトルが言ったように、といってもわたしはサルトルを目の敵のようにあげつらって言うのだが、人の「存在」と呼ぶべき事象には、「対自存在」と「対他存在」がある、「即自存在」についてはここで考える必要がないとして……「対他存在」というのは「他人から見て成り立っている」という存在のことだ、おまわりさんが交番に立っているのは、社会としても法律としても社会通念としても他人から見るところの「おまわりさん」として成立している、何も本人の気合いで「おまわりさん」になっているのではない。
対他存在というのはそのようにわかりやすいのだが、対自存在とは何かというと、たとえばこのおまわりさんが自分で自分のことを「秘められた存在、紅蓮のジョルジオと眷属の連座」と認識している場合、そのことは他人にはまったく無関係だし、他人にはまったくわかりっこないということだ/このように対自存在というのは、自分というものはどのような存在であるかを、「完全に自分ひとりきりで決定している」という事象そのものを言う。
まったくのアホな話、もしこの「社会的にはおまわりさんの人(対他存在としてはおまわりさんの人)」が、対自存在としては「秘められた存在、紅蓮のジョルジオと眷属の連座」だったとして、その秘儀として毎夜「ウサギの血で書かれた魔方陣を思い描き、無垢への思いを祈る」というようなことを、仮に妄想としてでもやっていた場合、彼の魂の主人は「それ」なのだ、つまり魂の主人は「マンガ」であり「中二病」ということになる。
だからこのおまわりさんが、百年間マジメに勤務して、百人の犯罪者を逮捕し、百人の女性とセックスして、百万通のラブレターを書き、百億円の寄付金(醵金)を赤十字に納め、百万年礼拝堂で神像を拝み倒したとしても、魂には何の足しにもならないのだ、本当に冗談でなく魂に対するプラスはゼロで、実は金持ちがいくらチャリティでお金をまき散らしてもまったく魂が救われないのはこの仕組みのせいなのだ、公(おおやけ)にいくら立派なことや愛や尊厳や信仰をやってみたとしても、自分のみが抱えている「秘儀」がまったく別モノなので、その人の魂は厳密に「秘儀」の主人からのみ支配と庇護を受けるのだ、彼は自作したナゾのウサギの魔方陣と紅蓮のナントカとかいう名前だけで悪魔の軍勢を退けて死後の裁きを突破しなくてはならない(無理すぎて草)。

これは何も特殊な話ではなくて、普遍的かつ、誰にとってもフツーのことなのだ、人それぞれ自分が生きるのにエネルギーを借りている「秘儀」というものがある/人によってはそれはアイドル崇拝であったり、アニメ崇拝であったり、性的変態嗜好の摂取や空想であったり、カワイイ猫動画だったり、おしゃれであったりウィンドウショッピングであったり、マウントや選民意識であったり、ひがみやうぬぼれであったりするし、不安や傲慢であったりする。
誰でも無自覚のうちに、いつのまにかそうして、日々のエネルギーを借りている先というものがあるのだ、そしてそのエネルギーを借りている先が、自動的に自分の所属する国になり主人になる、「そんなことに捺印した覚えはない」と言いたくなるが、社会契約論が言うように、もう長年そこから当然のように力を借り続けているので、「こんなもん実質お前の所属する国だし主人だろ」ということで自動的に契約が成立してしまうのだ/つまり悪魔と契約するのにわざわざ書面とサインを交わす必要はないということで、誰も自分の所属契約した国や主人のことなんて「知らない」ということなのだ。
対自存在と呼ぶべき事象において、人それぞれが、じっさい誰にも知られようのない自分限りの自分において、どのような「儀」をやっているのかはけっきょく誰にもわからない、ただ、自分だけが管理責任と閲覧する権利を持つその「秘儀」によって、自分の魂の主人は自動的に決定しているのだ、だからこの「対自存在かぎりがやっている秘儀」に注目するしか根本的な変化はありえないのだが、サルトルが言うにはこの対自存在というやつは「不安」であるため、人はそれに自己欺瞞を掛けるというのだ、そして自己欺瞞が掛かるから、対自存在としての自分が本当にはどのような奴なのかは自分にも視えなくなるという/それはまあ、他でもないサルトル当人が言うからには本当にそのとおりなのだろう、自己欺瞞が掛かるのでもはや対自存在の自分が何者なのかは自分にさえ閲覧できなくなっている。
というわけで、他人には知られようのない自分が、自分自身にさえ知られようがなくなって、ナゾの暗渠になって放置されたまま、その暗渠がゆく結末だけを自分の魂が引き受けることになるのだ、その間、もう何十年ジタバタしてみたって無意味で、もはや「なるようにしかならない」という状態だけが続く、そしてこの場合の「なるようにしかならない」というのは、当然最悪の結果が待ち受けているに違いないのだ/もはや基本的にはどうしようもないことだが、まだ若く、勇気があり、光あるうちに光の中を歩める人は、自分が無自覚のままこっそりやっている対自存在の自分の「秘儀」を甘く見ないことだ、こっそりやっているそれは永遠に他の誰にもバレることはないが、けっきょくはその儀だけがあなたの魂の行く先を決定している、そこにどのようなキモチを加えてみたり、公儀(おおやけの儀)としてどれだけ立派なことや善を付け足してみたって、そんなものの効果はゼロなのだ、本当に自分かぎりがこっそりやっていた無自覚の秘密の儀だけが己の魂とその行く先を決定する、だから自分の秘密の儀を問い質す勇気だけはなんとかギリギリまで失うな。

公の儀として寄付された十億円は、秘密の儀として寄付された十円にはるかに劣る。

公儀から見た善・対他存在としての善は、十億円という圧倒的な金額と実効に軍配が上がるが、魂においてはそうではないのだ、誰にも知られようがない秘密の儀として収められた十円はまさに収めた財としてのぶん直接自己の魂を救済し庇護するが、公の儀として寄付した十億円は本当に魂の救済としてゼロ評価になる、それがいくら人の世で「善」であってもだ、われわれがわれわれの事情と感情で決定する「善」なんて、この世界の仕組みにおいてはゴミカス程度も評価されないと考えたほうがいい/むしろそれは人からカミサマに対してする越権行為・侮辱行為でさえありうるから、人によっては多額の寄付をしてますます闇を深くするということは往々にしてある。
まあそんな理屈を言っていても、それじたいがワークにはならないのだが、理論を知らずにワークだけやっていても、そんな怠慢は実らないのだ、ワークとしては単純に「小劇場」等々で、本当にその人の魂が、「秘儀」として世界をよろこび、光景をよろこび、愛、春の風、歌、言葉、音楽、夢、その他いろいろをよろこんでいるかどうかが浮き彫りになるように仕組みを作る/今のところ「自分が何から力を借りてきたか」という秘儀の主人の契約が、みなさんの思っているほどにはホワイトにはなっていないということを浮き彫りにしている、自分の「思い」とか「やる気」とかいうふざけたものでわずかでも魂が前進できるなどと虫の好い発想を持ってはいけない。
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