☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 人は権利で滅ぶ4 | TOP | WS報告078(2)/毎回、具体もやってます >>
WS報告078(1)/二月の宿題と困難の発見
「出来事を公的に語れ」という宿題を各員に出している、通称「二月の宿題」でありこのことは以降毎月課される。
ノルマは「20分から45分くらいだなあ」とし、各員はギョエエエと悲鳴を上げたのだが、やり始めると一部には、各50分の前後半・二本立てというようなことをやり始めるありさまだ、何がギョエエエだったのかと聞きたい。
二月の宿題を済ませた者から、「次の宿題テーマは何ですか」とウキウキ聞いてくるぐらいだから、各員が単純に、「勉強を楽しみにしている」、そしてこのことは各員にとって生まれてはじめてのことらしい。
そんなこんなで、今この月曜日の朝も、寝たり起きたりしながらワークショップが実は続いているのだが(ドン引き)、とにかく新型肺炎は防御しようねという、真っ当なことはそれぐらいしか言えないのだった。

ワークショップは、結局万事が、「自分ってこんなのなのか」ということに直面する仕組みで出来ている。
人は、ふつうわざわざ自分で実験して、自分自身のデータを取ったりしないので、自分に直面することはないまま、すべてのことについて漠然と「出来そう」と思っている(ようだ)。
けれども実際に直面してみると、例えば右肘と右膝を一緒に動かすというような単純なことさえ「あれ?」と、まともには出来ないものだ、すべてを出来そうと思っているので、戸惑って「やり方」を訊きにくるのだが、「やり方はさっき説明しただろ」「はよやれや」と言われる。
通称二月の宿題、「出来事を公的に語れ」を自らやってみた人は、先立ってわたしが提出したサンプルにつき、「やっぱすげえっすね!!」「これめちゃくちゃムズイっすよ」と直視出来るようになる、このようにして勉強を楽しみにするどころか困難を楽しみにするようになる、そうなれればもうレベルの問題などもうどうでもよくなるのだが、ふつうそんな状態には生涯に一度もならないのだった。

常に「出来そう」が私的、「出来ない」が公的。

代表的には例えば、「ジョークとユーモアをかましてみよう」として、それが「出来なさそう」と予感する人は一人もいない、ほぼ確実に「それは出来そう」と全員が予感する/が、実際にジョークとユーモアに優れた人にお会いすることは生きているうちにほとんどない。
それは、能力うんぬんの問題ではなく、実はすべてのことにおいて、「出来そう」が「私」であり、「出来ない」が「公」というだけだ、そしてこのとき私より公を愛する人なんてまずいないということ/われわれは能力のせいで公に至れないのではなく、「自己愛によって公に向かわない」のだ、多くの人にとっての「わたしがんばります」は、この改めての自己愛主義の表明にすぎない、だから何でも「出来そう」で「がんばります」と思っている。
ワークショップ | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |