☆いい女☆で行こう!

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WS報告079(1)/お前らに一億やる
「そうだな、お前らにカネをやろう」「やったー」「それも、お前ら全員に一億ずつやろう」「やったー」。
「ほれ、じゃあこの小切手、一億松陰、と……」「え? 一億ショウイン?」「おう」「どこのお金で……」「ああ、そうか、お前らは知らなかったな。アンドロメダにある松下村国という国のお金だ、だいたい初任給が20松陰ぐらいだから、一億といえば相当な額だよ」。
「これって銀行に持っていって両替は……」「両替? 両替はできないな、これ外貨じゃないからね」「外貨じゃない」「うん、邦貨(ほうか)だな、松下村国の。外貨じゃないから両替できませんって正式に銀行に言われるよ」。
「さてここでみなさん、とんでもない額のカネを持ったことになるが、これで君たちに資金はあることになるかね」「資金、は持っていない気がします」「百円玉と比べるとどう」「百円玉のほうが資金です」「そうだね、価値も額面も一億松陰のほうがはるかに上なんだけどね、なにぶん外貨じゃないからね」。

「ノンフィクションの本質は "分かる" であり、フィクションの本質は "分からない" だ」「だから、ノンフィクション国というのは、言ってみれば "ワカーリー" という通貨を流通させている国ということになる」「一方、フィクション国というのは、通貨 "ツナガリー" を流通させている、 "分かる" という "分割" が無いのだから "分からない" 、そうして分割がないのだから "ツナガリー" になる」。
「そしてこの通貨ワカーリーとツナガリーは、それぞれの国の邦貨であって、互いに外貨じゃない、だから相互に両替できない」「さきほどの通貨松陰と同じで、一億ワカーリーは1ツナガリーにもならないし、一億ツナガリーは1ワカーリーにもならない」「それぞれの邦貨をどれだけ積んだって、向こうの国の残高の残高としてはゼロってことだ」。
「つまりおれは、お前らのまったく知らない通貨を使って暮らしているということになる」「おれとお前らの目の前に、何かひとつの物語が示されたとする、するとそこからお前らはワカーリー価値を得ようとしていて、そのときおれはツナガリー価値を得ようとしているんだ、だから同じように名画の一歩をよろこんでいても、その内実として通貨が違うということがある」「すべての体験について、100ワカーリーを得ている人と100ツナガリーを得ている人があるんだ」。
「ノンフィクション国においては、 "分かる" ということに価値が置かれている、何しろ通貨がワカーリーなんだからな、そして分からないものはただちに価値ゼロとみなして見下す習慣があって、何であればストレス源と感じて攻撃する習慣もある」「分かることに価値がないと言っているわけじゃない、ただ分からないということにツナガリーという価値があるということをまったく見落としているだけだ、ワカーリーとツナガリーはそれぞれの邦貨であって、為替レートがないというだけで、それぞれに価値があるということだ、ただワカーリーがツナガリーに両替はされないし、ツナガリーがワカーリーに両替されることもないってことなんだよ」。

邦貨ワカーリーを消耗せよ。

通貨ワカーリーの発生は、第一に「自分」という現象だ、第二に「気分」という現象だろう、それぞれにちゃんとワカーリーを示す「分」という語が充てられている/このワカーリーを消費・消耗すること、このことを指して、新約聖書は "自分の" 右の頬を打たれたら左の頬も差し出せと伝えている、それは正当なワカーリー(自分)を無駄に消費・消耗せよというメソッドだ、ワカーリーを消耗していく体験は、その背後でツナガリーを貯蓄している。
ワカーリーだけを貯蓄していると、魂の国籍はもちろんノンフィクション国にあることになるので、分離分割の世界、つまりつながりのない世界に魂は永住することになる/世田谷区と目黒区は隣接しているが、分割されているからそれぞれの区でもあり、同時につながっているから隣接区でもあるのだ、ここで世田谷区が目黒区にゴミを不法投棄した場合、目黒区が逆に世田谷区に捨てられているゴミまで処分するようなら、目黒区は正当なワカーリーを消耗してその背後にツナガリーを貯蓄したことになる(ちなみにニーチェはアホだったのでこのていどの理にも気づけなかった)。
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