☆いい女☆で行こう!

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「分かる」は ratio で、 ratio は「分数」だ
替、アメリカドル:日本円=1ドル:110円だとすると、当たり前だが(アメリカドル/日本円)=(1/110)だ。
人は「分かる」という、一種の錯覚に価値を置いている。
錯覚に価値を置いているので、その価値も当然錯覚だ。
たとえば「兵庫県は、大阪府と岡山県のあいだにある県です」と言うと、その答えは「分かりました」となる、それでもちろん兵庫県の体験は何もないのだが、それでも兵庫県について「分かった」という気がするのだ、それはただ、両隣の県を「分けた」からにすぎない、「分かる」というのまさにその「分割によって得られる錯覚」のことを言うのだ(英語では tell A from B という)。

まったくわからないものとして、たとえば相対性理論などを例に採ると、次のように説明すれば分かる、「アインシュタインが唱えた説で、鳥山明が唱えた説ではありません」「分かりました」。
あるいは、「ニュートン力学では時間は絶対的ですが、アインシュタイン説では時間は相対的です」と言えば、それも「分かりました」となる。
また、「二十歳とはいかなる年齢か」と問われると、分からなくてイライラするが、「十歳の倍であり、四十歳の半分です」といえば「分かりました」とストレスは収まる。
分数で表せる数を有理数といい、分数では表せない数を無理数というが、「分かる」というのはまさに有理数の発想だ、ウィリアムブレイクが言った「記憶はつねに状態(ステイト)であり、理性も状態(ステイト)であって/絶滅させられるためにつくりだされ、そしてまた新しい比(レイシオウ)がつくられる。」というところのレイシオウとは、日本では分数のことだ/これらが何のことについて話されているのか、また何のために話されているのかはまったく分からないと思うが、最もシンプルに、最も具体的なことを言っているのだ、ただしこのことを「分かる」という分数の発想で捉えることはできない。

あなたはおれと出会うことはできない、あなたは自分をおれで割り算する「分数」を捉えているだけからだ。

あなたの漠然としたパワーやエネルギーは、おれの半分にも満たないかもしれないし、あるいはおれの倍ほども勝るかもしれない、けれどもそれらのすべては存在として無意味だ、それらのすべては実に「分かる」が、あなたは単位のことを学んでいない/分数で処理したとき単位も分数になることをあなたは知らない。
あなたが時給1000円で働いているとき、時給千円は「金額」ではないのだ、あなたは分数・割り算で「円/hour」になることを知らずにいる/あなたは比較・ratio・分数によって自分のことを知ろうとしているが、分数になれば単位は「あなた/*」なのであって、あなたは永遠にあなた自身という単位と出会うことができない、単位*あたりのあなたというような「分母に分割されたあなた」というバラバラに砕かれたあなたしかあなたは計ることができない。
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