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WS報告081(1)/信じるところをやれよ
ークショップ報告、といって、つい数秒前にワークショップを終えたところだ、オンラインでしつこくやっているのだ。
なぜこんなコロナ状況で、オンラインでしつこくワークショップなんかやっているかというと、こんなコロナ状況だからだ、自分の信じるところをやらなくてどうする。
状況が悪くなったから「うーん」と引っ込むというのが、自分の信じるところなのか、あるいはヤケクソになって高濃度汚染地帯に突っ込んでいくのが自分の信じるところなのか、そうじゃないだろう。
今回は「苦楽」という話とワークをしたのだが、何もむつかしいことはない、「自分の信じるところをやれよ」ということに当然なる、「苦楽をいったりきたりするんじゃなくて、自分の信じるところをやれ!!」というだけのこと、そりゃ当たり前のことであって、当たり前だからこそキツいのだった、何しろ自分の信じるところが「ない」ということに直面させられたりするからな。

「仕事ダリー」から「娯楽タノシー」へ、はたまたその逆へと、往復を繰り返していてどうなる。
仕事ダリーなんて自分の信じているところではないのだろうし、娯楽タノシーも自分の信じているところではないのだろう、前者が「苦しい」で後者が「楽しい」というだけだ、しかもそれは等価のものであって、けっきょく「楽」というのはいずれ壊れて苦しみになって襲いかかってきてしまう、じゃあけっきょく自分で苦しさをパワーアップさせているだけにしかならない。
苦楽、苦しみと楽しみは正負が違うだけでけっきょく等価のものだ、だからそうじゃなくて「自分の信じているところをやれよ」ということになる、当たり前すぎるのだがこの当然のことをきっちりやれたら根本的な問題は解決する。
色んな苦しさがあって、また色んな楽しさがあって、そりゃ苦しさを遠ざけて楽と楽しさに近づきたいのは当たり前だろうが、その往復と繰り返しの中で、「お前を通して何を信じろっていうんだよ」と言われたらそれですべてオシマイになる、致命傷だ/だからワークショップを「楽しい」なんて理由でやるつもりはないし、「苦しい」ということを値打ちにするつもりもない、ただおれの信じるところをやるだけだ、おれは苦楽と絶縁するために信じるところをやっている。

「楽しいという発想はだいぶ前に吹っ飛びました」「じゃあ同レベルの苦しさも一緒に吹っ飛んでるよ、もう届いてこない」

人によって、苦しみが「届く」というレベルは実は大きく違う、イージーな楽しみに囚われる人はイージーな苦しみもヘヴィに届いてしまうのだ/絶縁されている人は電気椅子に座っても何も感じないが、食塩水で全身が濡れている人はあっというまに黒焦げになる、そういう差が苦楽にはある。
苦楽を値打ちにしないので、苦しさは信じるものへの土台にしか使わないし、楽しさも信じるものへの土台にしか使わない、だから「苦楽を信信する」という言い方をした、これぐらいアホみたいに縮めないと実用できない、「クラクをシンシンする」だ、唯一「いいこと」というとそれしかなくて、「いいこと」というのは道徳ごときが到達できる範囲にはない、道徳は「クラクをシンシンせよ」とは言わない/弱者を救済することおよび人々が相互扶助するのは慈善であり必須で不可欠のことだが、それが「いいこと」にはならない、飢餓少年を金持ち少女が助けたとして、その二人が付き合ったらただのクソカップルになる、「いいこと」というのはそうではなくクラクをシンシンすることだ、それをじゃんじゃか積み重ねることでしか苦しみから逃れる方法はない。
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