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コロナ騒ぎは承認欲求チャンスじゃねえだろ9/必要と悪と必要悪
品について、「これ感染が心配だなあ」と思えるものについては、消毒とは他に「ビニール袋に詰めて四日間放置する(ガレージとか玄関とかに)」という方法がある、これをおれは「ビニ4(よん)」と呼び、清潔でない物体かつ消毒もできないようなブツは「ビニ4しとくか」という処置にする、どうせ慌てて開封する理由もないし、ビニ4してから後ならあれこれ考えなくていいから気が楽だ(ただしコロナの野郎が5日も6日も生きた場合は知らん、しゃーない)。
それはいいとして、ふとお勉強の時間です、政府から緊急事態宣言が発されたが、緊急事態宣言が「発令」されるということはない、発令というのは命令や法令や辞令に対して言われるもので、宣言といえば「緊急事態が宣言されました」としか言えない、あるいは緊急事態宣言が発表された・発布されたというていどにしか言えない(旧憲法下なら空襲警報が「発令」されたと言えたかもしれないが)。
なぜ政府は市民に対して、緊急事態だから外出を控えろと「命令」できないかというと、政府にはそんな権限がないからだし、そんな権限が与えられないのは、日本国民が憲法によって人権を保護されているからだ、身体の自由があるのだから「外出するな」なんてどんな権力者も命令はできない。
もしそれで、新しく刑法も何も作らずに、テキトーにおまわりさんが出張って「コラそこ、外出するな」と取り締まったとしたら、こりゃまるで戦中の「憲兵」だぞ、天皇陛下から「勅令」を受けた憲兵が任務として取り締まりをするということになる、これはおれが冗談を言っているのではなくて、外出自粛に「法的拘束力がないからうんぬん」と言っている人たちが冗談を言っているのだ、だって本当に外出を規制したら人権侵害で憲法違反だからな。

なんというか、この危難に際して、こんなに人々があっさりと全体主義の発想をするとは思っていなかった、かくもあっさりと「外出する奴は法で取り締まれよ」という考え方が湧き出るのだということは、なんとなく「なるほど」とおれに感じさせた、けっきょく「全体の利益のために一人ひとりが勝手なことをしないように法律で縛れ、しょっぴいて処罰を与えろ」という発想になるのだ。
けれども、そうしてただちに全体主義に転向するなら、戦前や戦中の人々についても、「戦争したアホ」と一方的に上から見下さずに、やむなき「必要」があってそのようにしたのだと考えるように、社会科の先生も転向してほしい/そんなもん、当時の帝国主義時代に日本が植民地にされるうんぬんの危難は、今のこのコロナ騒ぎよりもっとシリアスな危難だっただろう、爆弾が降ってきて奴隷にされるというような恐怖だったのだから。
日本国民は憲法で身体の自由を保障されており、「外出するな」なんて命令は通らない、これが江戸時代の将軍と幕府だったら「閉門申しつけ候」で済んだだろうが、立憲民主主義国家はそうはいかない/そこで、憲法と身体の自由はわかるけど、「じゃあ犯罪者はどうするんだ」という話になり、「野放しにしていたら国がめちゃくちゃになるじゃないか」というのはそのとおりで、だから国民の安全保障のため犯罪者はブタ箱へ入れざるを得ない、それは身体の自由を侵害する「悪」だが、だからこそ政府というのは「必要悪」とされる。
政府というのはそれ自体が必要悪の存在であって、なぜそうした必要悪の装置を持たねばならないかというと、人々に悪があるからだ、人々が美徳から離れた悪をやるからこそ、それを抑圧する政府が必要なのであって、このとき政府の存在は必要悪という「悪」の存在であって「善」ではない、人々が完全な美徳のうちにあるのならば政府などというものは不必要なただの「悪」して解体・消去されるだろう/というのは、政治学とかの初等でお約束のように習うことだ、どの学者がどのように言ったのかはおれは忘れたので(すまん)、詳しいことはテキトーにググれ、おれは特殊なことを言っているのではなくごくフツーの学生のようなことを言っているにすぎない。

自粛に努めるあなたには主権があり、外出くしゃみおじさんや買い占めおばさんにも主権がある。

みんなが大好きな「立憲民主主義」とは、このうっとうしさ・迂遠さのことを言うのだ、だからこれまでチヤホヤしてきたものに急に泥を塗るべきではない、民主主義なんて「リーダーシップに致命的な制限をかけよう」という発想なのだから、これを突破するにはもう全権委任法でも可決するしかない/だからこそ、「そういうのは万が一にもやめよう」というのが、人類が歴史から学んできた知恵だったはずだ。
誰もそんなことまで考えていないだろうし、別に右傾化しているというわけではまったくないだろうが、それよりも深刻な「育てられていない土壌」に生えてくる自然なものとして、「自分の主権だけが主権」だと思うのが当然の感覚になっているのだと思う、つまり「どう考えたってこの状況で外出する老人とかゴミだろ」と言う自分の主権だけがこの世の主権だという感覚があるのだと思う/で、同じく「どう考えたってこの状況で外出する老人とかゴミだろ」と言う政党に、全権を委任して主権を「1つ」にしたとすると、どうなるかというと、「さてコロナは去ったけれど、ところできみの暮らしぶりと働きぶりは国家への貢献が少なくてゴミだな!」「きみは娯楽に時間とお金を使っている場合じゃないだろう?」と言われる、そして国力増進の捨て石に使われるだろう、そのときになって「1つ」とは異なる主権を主張しても通らないのだった。
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