☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 久しぶりに自己利益に戻るフェーズ(と、あとは悪口) | TOP | コロナ騒ぎは承認欲求チャンスじゃねえだろ27/「新規陽性患者数」vs「〇〇〇〇者数」の戦い >>
久しぶりに自己利益に戻るフェーズ2
ぜこんな話をしているかというと、逆に自分を戒めるためだ。
自分自身で、指摘してそのように書かないと、コロナ情報だの何だのをクソほど調べて整理し、それを魂を支えきるようなシロモノに書き上げて……というようなことが、いつのまにか自分のアタリマエになってしまうからだ、だが冷静に考えればおれはそうして何でもかんでもをやらなくてはならないわけではない、課題が出されるたびに勝手に引き受ける自分のクセをどこかで抑えねばならないのだ。
ふと気づくとおれは、何か利益を追求する回路が壊れているのか、文学や芸術をやりだしたと思ったら、やれ温泉地の情報を事細かに教えたり、オーディオインターフェースのことを教えたり、昆布だしの取り方を教えたり、一眼レフの被写界深度を教えたり、自動車のハンドル操作のコツを教えたり、安政の大獄の発端を教えたり、動画の形式変換を教えたり、国富論と社会契約論を教えたり、サルトルと実存主義の破綻を教えたり、次亜塩素酸ナトリウムがなぜアルカリ性になるかを教えたりしている、こうして何でもかんでも「おれが伝えないと」と自動的に発想する仕組みに歯止めをかけなくてはいけないのだ、もうこれ以上「エンベロープウイルスのACE-2受容体に……」みたいな話をしたくない/なぜおれは森羅万象についてことごとく答えねばならないと思い込んでいるのだろう、そしてまたそれを見透かしたように、なんぞあればおれの周りは全員おれに「これって……」と訊いてくるのだ、そういう際限のないサイクルが出来上がってしまっている。
これに加えてワークショップでは、やれ人体の構造、関節とその呪縛、合気やら柔術やら歌やら踊りやら演劇やら漫才やらラジオトークまで教えていたのだ、今考えるとコイツ馬鹿なんじゃねーのと思う、そしてなぜおれがそんなにクソほど何もかもを教えていたかというと、おれしか伝えるコミュニケーション能力を持っていなかったからだ、ヨソにそういったことをまともに担当する奴がいないのでぜんぶおれがやっている/そしてけっきょく、九折さんの話が一番わかりやすいし、九折さんの話だけスゲーわかるからということで、何もかもを「九折さんに訊けばいいだろう」というパターンが出来上がってしまったのだ、まあそれはしょうがないのだが、こうしてたまに自分で否定的に言わないと、抑制機構がなくてガチで身体を壊すのだ、おれの神通力は無限かもしれないが神通力を引き受ける肉体のほうは無限ではないので、いくらなんでも限界がある、ということで自己利益に戻るフェーズかいくらか必要なのだった。

世の中には「教え魔」みたいな人がいるのだから、そういう人がわかりやすく教えればいいのに、どうもそうした教え魔の人も、大半は「自分の口調」でしかそれをやらない、そしてその自分の口調というのは偏執的な気質から発生しているものなので、他人が聞いても何のこっちゃさっぱりわからない、ガンバって理解すれば理解は不可能ではないが、話を聞いて知る・わかるという "快感" がないのだ、おれの場合はそこが違い、おれの話は聞いているだけで知る・わかるという快感があるので、まあどうせ聞くなら九折さんから聞きたいという当然の要望が起こるのだった、その要望じたいは悪いものではなくて、その要望に応えられるユニットが少なすぎるのが悪い。
ありとあらゆるシーンにおいて、おれがいればありとあらゆるものが楽しくハッピーに光り輝き、すべて意味のあるものになって世界バンザーイとなるのだが、そのことに向けておれはいつも――この「いつも」というのがヤバイ――人知の及ばないピークに到達して振る舞うということを続けてしまっている、実際おれが書いたエントリーシートは100%審査に通るとかいうのはヤバくない? しかも他人のエントリーシートを書くので、しゃーなしにおれがそいつの魂を読み取っておれがエントリーシートに書くのだ、そうしてけっきょく魂のピークや奇跡が出なければすべてのことは面白くないわけだが、さすがのおれも打率10割を決め込んでいては肉体的に限界が来る/こんな祈りそのものみたいな暮らしをしていたら死後は天国や浄土に行くかもしれないが、だからといってサクッと死んでいいとはおれ自身は望んでいないのだ、今ある自分の周囲のすべてのものを放ったらかしていきなり死ぬとかいうのはとてもじゃないが甘受できない。
叫びっぱなしの毎日で、とはいえさすがにどんなミュージシャンも毎日ライブで叫び続けているわけではないだろう、ふつう収録とツアーのときに叫ぶもので、朝起きたときから「ほれ叫べ」とは言われないはずだ/おれはチンタラ日帰りで温泉旅行にいくときが叫びの休憩だったのだが、それを自粛させられるともう二十四時間ずっと「ほれ叫べ」ということの中に閉じ込められてしまう、ベトナム戦争の映像を見ながらマニアックなカスクスコッチを飲んでたまに模造刀を振りながらラインで送られてきたワークショップ員からの課題作文の講評作業をしてボブディランの歌を唄うとかいうのは冷静にみるとイカレてしまっているのだ。
だから今、自粛といえばおれ自身が自粛しないといけない、外出の自粛じゃなく万事に叫び切ろうとするこのむちゃくちゃを自粛しなくてはならない、なぜおれはこの期におよんで自分の状態をなおもどこか「足りない」と感じているのだろう、そりゃ足りないといえば人はいつまでたっても足りるものではないので、いいかげんにしなくてはいけない、フルスロットルの目盛りがないところまでスロットルを振り切ったとしても、人なんてしょせん「足りない」のだ、というわけで自己利益のほうへ戻らなくはならない、この調整ツマミを片側へ振り切ったまま、ずっとやっているとそりゃいつかブッ壊れるのだった。

努力しないと、おれには「引き受けない」という能力がない。

なんでもかんでも、おれは「自動的に引き受ける」というデタラメなアビリティがついてしまっていて、そのことがおれをここまで奇跡のように持ち上げてきたのだとは思うが、そのまま突っ走って頓死するものじゃねえ、世の中にマスクが足りず、医療施設に物資は足りておらず、人々にはいま致命的に魂が足りていないと思うが、たぶんおれが死ぬまで突っ走ってもその魂がここしばらくで「足りる」ということはないだろうよ/おれを否定する勢力はおれの一億倍いるのに、そんなもんおれ単独で躍起になったところで足りるわけがないのだ、精一杯やっても足りないものは足りない、医療従事者の方だって足りないベッドの上に患者を寝かせることはできない。
というわけで、このようにおれはそうとう気合を入れないと、自己利益という発想を見失うのだった、長いことビョーキのように「ほれ叫べ」という発想だけが起こるように脳みその回路が習慣づいてしまっている、とにかくこれの程度を下げなくてはならない、あげくにおれを否定する勢力が増えれば増えるほど高精度で叫ぶという習慣までついてしまっている/デスクの前で五時間ぐらいグラングランしてようやく「無理!! 魂が尽きている!!」とあきらめて床に就くというようなアホなやり方はしばらく引き取らねばならないのだった。
視点変えてこ | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |