☆いい女☆で行こう!

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WS報告083/「ふつう」のことと「まとも」なこと
ラにもなく、マジメな内容として、学道用心集の冒頭「菩提心をおこすべきこと」をやった。
ふと気づけば、なぜかおれはそんなものをそれなりに解説できるのであって、何か生まれて初めてまともな「先生」みたいなことをやった気がした、一般教養としてイイことじゃないか。
学道用心集の冒頭に書かれているのは、菩提心獲得に到達するルートのことであって、無常観察→吾我名利の不発→この隙に行を修めると……→菩提心と一念三千のチャンスあり、というだけのことだ、だがこの順序はメチャ丁寧に捉えないと大半が誤解する。
それは何もおれが偉いのではなく、ただ「そう書いてあるだろ」というだけのことだ、でもふつうはそんなこと勉強しない、おれはまともなことだと思っているが、ふつうはそんなこと勉強しない。

金曜日には「果実のライブ」というわけのわからないタイトルのワークをやった。
わけのわからないタイトルだが、おれは「これぞ」という内容だと思っている、まあだからといってカンタンに伝わるわけではないだろうが……いいのだ、おれが正しいと確信しているやつをやるしかない、誰も気づかなかったとしてもそれはおれのせいではない。
聖書の福音書に書かれているように、目の前の樹木が「どんな樹木かな」と思うとき、樹木を見るのではなくその果実を見ればよいという、よい果実をつけるなら良い樹木なのだろうし、悪い果実をつけるなら悪い果実なのだろう、そして果実をつけないイチジクの木については、キリストが「二度と実をつけるな」と呪って枯らしたというエピソードもある。
おれがこの日に伝えたことは、いわば果実主義ということで、「評価のファクターから樹木を外せ」ということだった、つまり「人を見るな」ということ/人は何も偉くないのだ、人は人からすでに分離した果実によって称されるべきで、このことに気づかないうちは、生涯のすべてがニセモノになってしまうのだった、果実主義はそれほどクリティカルな真実だ、ふつうそんなことは考えないだろうし導入なんて考えないだろうが、おれはこれをまともなことだと思っている、本当に役に立つことを教えあうのがまともなことだとおれは思っている。

これまで「ふつう」の人は「まともなこと」を得られたのだろうか?

ふつう誰でも学校に行き、誰でもスマホをいじり、誰でも就労し、多くの人が結婚し、出産する、そして病気をして、老いて死んでいく、いろんな人付き合いの中で……それが「ふつう」ということのすべてだが、その「ふつう」のことはすべての「まとも」なことを十分に与えてくれるのだろうか、もしそうだとしたら、なぜわれわれは今の世の中をどこか「まともじゃない」と感じながら生きなくてはならないのだろうか。
おれはたぶんふつうの人ではないのだろうが、まともなことだけをやりたがっている、今やふつうの人というと青春も友人も恋あいも夢も学門もまともにないままマウントの取り合いで婚活したりするのがふつうという感じさえあるが、おれはそうしたすべてをやはりどこかでまともじゃないと感じている、おれは若い人から順に青春や友人や恋あいや夢や学門があるのがまともだと思っているのだ。
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