☆いい女☆で行こう!

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目撃しているものは炎上ではなく高齢化だ

ラスハウスという番組で、炎上騒ぎがどうたらこうたら、そしてメンタルを落ち込ませたある女性が自死してしまったとかで、ニューストピックを見せつけられる/しかも正直、自死の哀しみを政治的強みとして使いまわそうとする勢力があるようで、いよいよこりゃ付き合えそうにないという酸鼻な様相を醸している。
おれはニューストピックを観て「?」となり、その後何度もトピックが出てくるので「???」となったのだが、いくつか記事を見てみても、なんだかよくわからなかったのだ、今このときも巨大な違和感に困惑している/何に困惑しているかというと、なんというか「時代錯誤感」だ、今このときもおれが何か誤解しているのかという気がしてきてふわふわしてしまう。
何というか、そういうテレビ番組の、リアリティ・ショーみたいなものを観て、視聴者がやきもきする……というようなモデルは、気恥ずかしいほど古い感じがして、どうも現代の、今このときの話を聞いてる気がまったくしないのだ、いくらなんでもモデルが古すぎるだろう。
もしおれの友人が、「テラスハウスでさぁ」みたいなことを話し出したとしたら、おれは反射的に「はぁ?」とデカイ声で困惑を明らかにするだろう、「今どきそんなことに関心が湧くやついねーだろ」とおれは思っていたのだが、これはおれがズレているのだろうか、おれとしては「いくらなんでも古すぎる」と確信しているのだけれども、これはおれがズレていて現代は今リアリティ・ショーでやきもきして炎上というのが最盛期なのだろうか、そんなタイムスリップ的な現象が本当にあるのか。

もちろん、どんな事情か詳しくは知らないが、どなたかが悲嘆の末に自死されたということは悲しいことだが、かといっておれが自死しても誰もそんなもん悼まないだろうから、完全に蚊帳の外のおれが他の誰かの自死を悼むというのもわざとらしくていかがわしい話だ/今さらそんなことを気にする奴がいるとは思えないし、こういう文脈もすでに巨大な時代錯誤感を覚えている。
なんというか、おれの中では、「テレビのリアリティ・ショーでやきもきして炎上」というモデルは、時系列的に「ニコ生で若い女性が裸になってBANされた」とか、「江南スタイル」とかぐらいの時代にあるのだ、それをまるで今現代のことのようにニューストピックが言うので、本当に単純な意味で困惑してしまった。
たぶん「炎上」といっても、すでに炎上という現象そのものに鮮度がなさすぎ、もうそういうフェーズは本質的には終わったのだと思っている、まして今は世界中が未だパンデミックの真っただ中だ、おれ自身は率直なところ、もし友人が炎上だの何だののことに関心をわずかでも割いていたとしたら、重度の警告として「時代からズレすぎ」と、たしなめるというか切り捨てるだろう、もはやそんな友人を仮定するのにも無理があると感じられるのが正直なところだ。
テレビ局はいつのまにか、誰ともコンセンサスを形成しないまま、なぜか「テレビにヤラセはつきもの」というナゾの理念を確信に持ち続けているようで、何がどうなっているのかはたぶん当事者たちも見失っているのだと思う、ヤラセでしか面白いふうのものを作れなくなったというのは単純にいって制作側の敗北でしかないはずだが/まあとにかく、やはり今このときも、「今どきテレビのリアリティ・ショーでやきもき炎上はないだろ」と、どうしようもない時代錯誤感だけがあるのだった、これはおれがズレているのだろうか、もう何だか本当にふわふわしてわけがわからない。

テレビ局はヤラセのたびに、スポンサーにヤラセの許可を取っているのだろうか?

ヤラセの許可を取っていないのだとすると、スポンサー側としては勝手に看板に泥を塗られるのだから問題だろうし、許可を取った上でヤラセがガンガン押し通っているのだとすると、それもやはり問題だ、スポンサーはたいてい社会的な企業であっていかがわしいヤラセの片棒を担ぐ存在であってはならないだろう、スポンサーはやはり「おっ、ヤラセ企業さんだ」という扱いを定評の看板にすることは責任も誇りも失うことだと考えるだろう、このあたりも逆におれがとっくにズレているのかもしれないけれども/まあ別におれはおれ自身からズレなければいい。
ふと、ひとつ納得できる見方が浮かんできて、それは「制作側も消費者側も高齢化している」という見方だ、なんとなくそれならすんなり納得がいく、高齢化を前提にすればいつまでもそうした「リアリティ・ショーにやきもき」というモデルは、水戸黄門モデルのようにえんえんと繰り返されていくのかもしれない、すでにわれわれが目撃しているものは炎上ではなく高齢化だ/この場合の高齢化というのは、単に年齢のことだけを指しておらず、たとえば今どき大学生がヤリサーなんかに興味を持っている話を聞くと、なんだか急におじいさんの話を聞いているような感覚になってきて番茶でも淹れようかなという気分になるということがある、「今さらヤリサーとは懐古主義的ですな」と、こうしてわれわれはこれから先、高齢化独特の精神風景を見せられ続けるのかもしれない。

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