☆いい女☆で行こう!

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コロナ騒ぎは承認欲求チャンスじゃねえだろ37/新型コロナとやらを信じるな
急事態宣言は解除されたが、まだまだ油断のならない状況が続いている。
新規感染者数も、数日前ほどには極小の数字ではないし、かといって、緊急事態大爆発、というような大きな数字ではやはりない、パンデミックの数字としてはやはり極小の部類だ、こんなもんで一喜一憂してはならないし、そのたびに知事に詰め寄るというのも公的リソースの浪費でしかない。
おれはこういうときに信じている、というか、けっきょく行き着くところの一種のオカルトを知っている、これがオカルトなのかどうかはおれの知ったことではなく、ただ唱えるところは無害であるから、これについての疑義は一切受け付けないという感覚がある。
いわく、「自分たちのする防疫を信じろ」「新型コロナとやらはクソだから信じるな」ということだ、このことは一見矛盾しているような、あるいは唱える意味がないような感じがする、けれどもそうではないのだ、このことにはれっきとした思想があり、デタラメに言うなられっきとした〇〇がある(伏字にしておいたので一番ステキな熟語を入れること)。

新型コロナとやらを信じると、新型コロナとやらが調子づいて増えるのであって(オカルト)、せっかくおれが新型コロナとやらには「砕け散れ」と命じたのだから、今さらそんな敵方を信じなおすのはよくない、信じなおした奴まで一緒に砕かれるぞ、まあこんなもんオカルトと宣言しているのだから何でも言いたい放題だ、気分がいいな。
新型コロナとかいう奴は、ウソンコのゴミカスで一顧だに値しないが、おれはこの新型コロナとかいうインチキゴミ野郎のために消毒をしているのではなく、ただおれのする防疫を信じているだけなのだ、それがコロナ対策であってもなくてもいい、おれはただ自分のする防疫を信じるのであって、おれがそう言っているからにはお前らもそうするべきだ、自分たちのする防疫の確かさと栄光に比べれば、新型コロナとかいうのは海溝の底に住む「マッバラバエビ」と同じようなもので、「そんなものいません」というレベルのウソンコにすぎない。
寓話でよくある話、ドラキュラに抗するのに十字架が有効という話があるが、こんなもの、ドラキュラに対抗しようとして十字架を取り出す奴はダメなのだ、それは信じているものが十字架ではなくてドラキュラだからだ、「ドラキュラによって十字架を手にした」のだから信仰の対象はドラキュラだ、そんな奴が手に持つ十字架に聖なる力はない。
十字架を手にした娘に対して、ドラキュラがギャーというのは、その娘にとってドラキュラは「ウソ」であって、十字架が「ホント」だからだ、だからこそ十字架が力をもって勝利する/それと同じで、われわれにとってホントなのは防疫でなくてはならない、新型コロナによって防疫をするというのでは、信仰の対象が新型コロナになってしまう、そういうことをするとコロナとかいうインチキゴミカス野郎が調子づくのでよくないのだ、われわれが信じているのは防疫と治癒であって、新型コロナとかいうのは最初から最後まで「ウソ」にすぎない。

防疫はある、パンデミックはない。

今のところ、われわれ日本の生活風景を見てみろ、実際「防疫はある、パンデミックはない」だろう、これは "上手くいっている" ということなのだ、ここで防疫の継続と引き締めを行うために、さもパンデミックとやらの恐怖がホントのような言説を用いてはならない、安易なコロナ信仰をもって表面的に防疫を強化してはならない、ドラキュラの話でビビらせて巨大な十字架を買わせたとしてもそれはただのインテリアにしかならない、実際にそこにいるのはほかならぬドラキュラ教徒だ。
「防疫ジャパン」と「パンデミックジャパン」の、どちらがいいか、どちらを信じるかということなのだ、防疫ジャパンが続くということはパンデミックジャパンが否定されるということであり、防疫ジャパンが信じられるということが、新型コロナとかいうウソが自ら砕け散るということなのだ/建前上オカルトと言っておけば好き放題に言えるわけで気分がいいが、偉大なるおれさまが言い張るオカルトと、新型コロナとかいうインチキウソ野郎と、よりクソったれなのはどちらかね、そんなもん議論の余地もないだろう。  
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