☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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芸能界をボヤかず自分のことに絶望しろ

ーた芸能界で不倫がどうこうと……悪趣味きわまりない。
他人のことでどうこう口出しをしたり嘆いたりする権利は、それを愛していた人にしかない、かつて野球選手の清原がヤク中になったときには、清原の姿を愛していた人たちにそれを悲嘆してヤケ酒を飲む権利はあったと思うが、誰も愛していないお笑い芸人に対してギャーギャー口出しをする権利はない、他人のことなんだからほっとけ。
愛してもいない他人にギャーギャー口出しをするのは、断言していいが老人だけだ、なぜ老人は他人のことに口出しをするかというと、「自分のことがもうない」からだ、老人はあとは死ぬだけなのでその絶望に耐えられず、さも自分には口出しして口論するべき何かがあると思い込もうとするのだ、それと同じようなことを七十歳にもなっていない奴がやってはいけない、基本的にそんなことは死ぬ直前だけにしろ。
芸能人がどうこうとか、それが許せるとか許せないとか病的だとかそうでないとか、そんなことはどうでもいいのだ、そんなことより自分には何の未来もないということ、何の現在もないということ、本当は何の過去もないということ、そうした生々しいことのほうに直面しろ、ショッキングなニュースに飢えているならそっちのほうがはるかにショッキングなニュースだろう、マスコミをマスゴミ呼ばわりするのもけっこうだし市民の権利だと思うが、その中に燦然と輝きたる致命的なゴミの実物が自分だということを心臓の第一の文言に刻み込め、知っているとは思うが芸能人のスキャンダルに関心を寄せているというのは逃避的人間の中でも最下等のどん底を極めているタイプだ。

いくらなんでも現代は人が弱くなりすぎだ、人というのは多くは若いうちにそんなに輝ける少年少女時代はないし、実は青春なんてほとんどの人にないし、幼馴染というのも地域の闇を吸い込んでいるし、まともな恋あいやらまともな仕事やらまともな友人というものはほとんどの人には与えられないのだ、よりにもよってセンスとか才能とかいうのはほとんどの人はゼロだと諦めねばならない、その代わり庶民には何があるのかといって、何もないのだ、浪花節なんかすでに存在しないし、もともと存在していたのかどうか不明だ、そのくせ老化と病気と税金と家財の減価償却だけはキッチリ来るのだ、このことを直視せずに何が芸能人のアワワワワだ、笑止というよりない。
自分の何もなさに恐怖し、またそれがこの先も基本的にどうしようもないことに恐怖し、さらにはそれを自分が直視できず偽りの充実気分で糊塗していることを認めて恐怖せよ、そのことを直視していたらよもや愛してもいないお笑い芸人のスキャンダルどうこうで一秒たりとも時間を無駄にしようとは発想しないものだ/このことを直視すると精神がドエライことになってクラッシュするのだが、クラッシュしたところでわけのわからない生は続いてわけのわからない死がやってくるのだ、ヘンな言い方だが自殺したって死がやってきてしまうのだからどうしようもない。
現代人はまるで「愛していないものについて目移りしながらギャーギャー言って逃避し続けている」と総括されるような存在だ、ここ数十年の人々をこの総括でオッケーにしてしまうつもりか、自分が何を愛したこともなく何に愛されたこともなく、何の場所も得たことがないし何の光景も見たことがないという大ピンチのさなかで、それをちょっとした著名人のトラブルに転嫁して自分をごまかそうとはなんたる醜態か、自分のことを親しく「あいつ」と呼んでくれる人さえいないくせに他人の行状に品評を垂れるとは、少しでも正気が残っていたら自分の臓腑が酸鼻を極めているその臭気にサルトルの三倍は嘔吐するはずだ。
お笑い芸人が品行方正にしていたって、あるいはその逆で不埒を極めていたって、どちらにせよテメーのスッカスカぶりには何の手当てにもならねーんだよ、もちろん誰だって努力しているのは知っているが、残念ながら努力ごときで埋まるようなスッカスカぶりではないのだ、ヨソに向ける見当はずれな品評の刃を、その百分の一でも自分に向けてみたらどうだ、もう昨日までの若かった日は一日も返ってこないのだぜ、テメーがマジメに生きようがマジメに自殺しようが中毒者になろうがチャリティマニアになろうが、どうやってもそのスカスカぶりは一ミリも埋まらないのだ/面白くないテレビで自分をごまかして、次はそのテレビを叩いて自分をごまかすという、そんなことをするために生を享けたのか、テメーの墓碑銘には「芸能人に注目し、またそれを叩きし者」というわけのわからない文言が刻まれるだろう、いいかげん飽き飽きなのでガチでやめよう、他人の失脚に注目する奴なんざ自分が破滅している奴ばっかりじゃないか。

自分について絶望し、それをSNSや媒体の一切に示すな。

太宰治のようなヒマ人を二度と世に出してはいけない、自分についての絶望を外に垂れながしたら、それじたいが逃避になってしまうし、またそれに肩入れをするというヒマ人タイプにとっても恰好の逃避ネタになってしまうのだ、ありもしない友人と話している気分になるな/おれはひどいことを言っているようだが、そうではないのだ、そうしてありもしない友人と話している気分を続けていると、ずっと先にもっとひどくえげつないことが事実として襲ってくるのだ、いくら自分が自分についての絶望を直視しなかったとしても、それは消えてなくなったわけではなく直視されないぶん後払いになって、ガッツリ金利を上乗せしてあるとき突然「満期です」というように襲い掛かってくる。
おれ自身にそこまでの趣味はないが、見栄えのする女を多目的トイレでやって一万円で済まして仕事に行くというのは、そんなに悪いことではない、むしろ生者の全体から見たら割と幸福な奴だ、もちろん真の幸福ではないのだろうが、真の幸福なんか得ていないのはスキャンダル以前から見ていたらわかるだろ!! まさかそれが視えていなかったという奴はもうこの世界のなにひとつをさえまともに視たことがないのだ、そしてわれわれは自分を直視すれば、ほとんどの場合その「真の幸福ではないエセの幸福」にさえ日々触れて生きてはいけないのだから、そちらのほうがヤバいと直視しろ、多目的トイレでインスタントセックスをするというのは下品なことだが、われわれのほとんどは多目的トイレでウンコをするしかやることがないのだ、多目的トイレで「ウンコするだけ」も「ガンバってセックスする」も直視すればどちらも絶望的な話だ、さあ絶望を極める自分に対する陰惨なレポーターになって、そのレポートをどこにも報告せず、書きもせず、ただただレポートして自分で楽しめ、おれは人が明るい未来に向かうべきだという話をしている。

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