☆いい女☆で行こう!

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対人的なことに向かねえなあ
ンラインでワークショップを続けている、そのことは評判もいいし、いいのだが、最近はそのたびにブッ倒れる感じがあり、こりゃなんとかしないとなあと思案している。
まあしょせん、おれが他人に肩入れしすぎなのだ、そりゃわかっているのだが、これはもうクセになってしまっているので、いざ始まってしまうともうバランス的なことには一切耳を貸さなくなってしまう/まあこのあたり、おれはけっきょくそういう何かの「センセー」ではないのだろう、おれはずっと自分のパフォーマンスに対して容赦がなく、つまりブッ倒れるところまでやらないと一ミリも評価しないという悪いクセがある(いや、ブッ倒れたってけっきょく評価なんかしてねえなあ、悪いクセだ)。
おれは自分のパフォーマンスに対して、非人間的に冷淡なので、たまにそういう夢を見るぐらいだ、まあどんな夢なのかは人に言いたくないようなたぐいだが、とにかくバランスが悪くて困っている。
おれは相手から評価を伝えられないかぎり、自分のパフォーマンスには0点しか与えないので、オンラインになると目の前に相手がいないものだから、ずっと0点のままパフォーマンスを続けていることになり、けっきょく力尽きるまでやることになるのだ、おれは仮に一人でサグラダファミリアを建てたとしても、あくまで客観的には0点としか評価しないので、なんというかわれながら人間味がない、つまりおれはサグラダファミリアを完成させた当日にも「0点だからもっとすごいの建てなきゃ」と次の建設を始めている具合なので、そりゃバランスが悪いしブッ倒れるに決まっているのだった。

つまるところ、おれは対人的に何かをするのに向いていない/おれは他人からの評価を頼りにしたことはなく、他人の評価でおれ自身の評価が上下するということはないのだが(何しろおれは自分に対する評価そのものがないのだから上下のしようがない)、これはおれ自身のことであって、おれが対人的に何かをするとなると事情が変わってしまう。
対人的に何かをするのならばおれ自身の評価だけですべてを済ませるわけにはいかないし、それどころか対人的に何かをするのであればそれはおれがどう評価しても意味のないことで、相手方の人の評価を基準にするしかないのだ/ここがやっかいなところで、こうしてブログ記事を書き話すぶんについては、対人的なものではないので「こんなの誰が読んでいるんだろ」と不思議がりながら、まあおれの書くものはサイコーだなと断定できていればいいのだが、ワークショップうんぬんはそうはいかない、さすがにそれはおれから見てサイコーかどうかというのは二の次というか、基本的にそっちの基準は要らなくなる。
おれがこうして書き話しているぶんは、たとえば「コンビニの店員に絡む老人は、四十八時間スキャットマンジョーンズを大音量で聴き続ける刑に処す」と言うと、なんだかまあオモロイなということで済むのだが、これが対人的にうんぬんとなると、オンラインなどで目の前に人がいない場合、対する人にとってオモロイのかどうか、笑っているのかどうかがわからないので、0点が続くことになる、0点が続く中を二夜連続で朝まで過ごしてしかも聖書と仏典の内容を伝えたりしているとさすがに精神が臨界を迎えるのだ、なんというかおれの中の聖書と仏典を語りつくして0点ならさすがにおれにはどうしようもないぜという落雷が何度も落ちるのである。
まあ、そのていどではまったくやめないという常識がおれの中にすでに根付いているのだが、これも何か非人間的なもので、ふつうに考えて力尽きるほうが人間的にマシという感覚もおれの中にはあるのだった/もう十年近く続いていることだが、対人的なものといえば、基本的におれがエネルギーを発揮するとおれが嫌悪・拒絶されるというのがデフォルトのパターンなのだが、ふとこの中で他の人はどうやって生きているのだろうという疑問も湧く、といってどうせ他人のことなんかわからんのは先にミエミエだし、おれとしてはけっきょく「対人的なことに向かねえなあオイ」という初めからの結論に嘆息するよりないのだった、なぜおれはいつまでたっても陶冶されないのだ。

ああ、対人的に何かをするというのがさっぱりわからん(ワークショップの先生のくせに)。

おれにはよくわからんのだ、たとえば二十二歳のハモンド・やもめ太郎が、「おれはナイフ一本で海中のシャチと戦って勝ってきます」と言ってカリブ海にドボーンと飛び込んだとしても、そりゃそいつのやりたいことだからそれでいいんじゃないのかとしか思っていないのだ、海中のシャチに勝てる人間は絶対にいないと思うが、ハモンド・やもめ太郎がそう言うなら「うーんひょっとしたらイケるのかもしれんな」とも思って、おれとしては対人的に何かをするというのがさっぱりわからなくなる。
おれは対人的に何かをするということはよくわかっておらず、さらに言えば、人の役に立つということじたいまったくわかっていないのかもしれない、なんというか「おれが人の役に立っても、何の役にも立たんだろ……」という矛盾した文脈の、しかし確信が存在していて、こんなものがあるうちは対人的にどうこうなんてやりようがないのだ/といって実際、このペースでブッ倒れているわけにもいかないので、何かうまい方法を考えなくてはならない、おれにとっては対人的に何かをするというのは本当に何も見えない闇の中だ。
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