☆いい女☆で行こう!

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対人的なことに向かねえなあ2
んなことを書き話しても誰のトクになるのか不明だが、まあおれが書き話せば何でも面白いからかまわないだろう。
おれにはナゾの、徹底した苦手があることを再確認する、たとえば仮におれがブラックジャックのような名医だったとしよう、そしておれが無料でたくさんの人々の難病を治療して回ったとすると、おれはきっと自分のことをクソゴミ野郎と感じると思うのだ。
なぜなのか、理由はよくわからない、理由はわからないまま、おれはどうも自分が人の役に立つということについて、最低最悪の感触を覚えているようだ、おれは神業を発揮して人々を治癒しながらどんどん機嫌が悪くなるというまったく人気の出ないブラックジャックになるだろう/もちろんおれは世の中のドクターを否定しているわけではない、人々の生命と健康を庇護しているドクターに対してはひたすらありがたいとおれは賛美しかしない。
なぜかおれは、自分が人の役に立たないことについては「いいぞ〜」と思っており、何か人の役に立つことをすると途端に「このクソゴミ野郎、死ね」という感触になるのだ、さすがにこれはムチャクチャだと自分でも思うのだが、それ以上にこのことは「治りませんよ〜」という感触が前もってある、なぜおれはわずかでも自分が人の役に立つことについておもっくそ唾を吐くのだろうか。

たとえばおれは、自分がエロビデオを見てオナニーしているところや、そんなに美人でもない女子高生をレイプしているところ(注:やっていません)を、高画質で世界中に中継されても何とも思わないが、もしおれが駐輪場のドミノ倒しになっている自転車をこっそり立て直しているところを中継されたとしたら、それはもう気分最悪、タンを吐き散らして死にたい気分になるだろうと思う。
なんというか、人の役に立つのはまあいいのだが、それがわずかでも人目に触れるのがイヤなのだ、おれは自分のサイテーなところを人目にさらすのは、絵的に近所迷惑でないかぎりは別にいくらでもかまわんと思っており、むしろ「サイテーな男ってこんなもんだという資料として残しておいたほうがいいかもしれない」という公共性まで考えが及ぶのだが、自分が何か人の役に立っているところを人目にさらすのはイヤなのだ、道端で転倒したババアを助けているところを見られるよりは、転倒したババアの後頭部を蹴って金品をむしり取っているところを見られるほうがずっといい(注:やっていません)。
この徹底した偏向は何なのだろう? おれの知る限り、古今東西にこんなわけのわからない衝動について指摘した哲学者はいないように思うし、心理学の壊れ精神のレポートにもこんなわけのわからない症例は聞いたことがない、おれは悪趣味は苦手だが善趣味は輪をかけて苦手なのだ/おれが心の底からゲラゲラ笑うとしたら、ブラックジャックのような技術を持ち、治療費を一千万円請求して、そのまま治療もせず一千万円を持ち逃げしたときだと思う、なかなか悪逆な話だが、「こんな奴治らんでええやろ」と一千万円の一部でハンバーガーを食っているときのほうが心の底から笑ってしまうというわけのわからないビョーキにかかっているのだ。
他人のことにけっこう肩入れするくせに、他人の役に立つのは死ぬほど苦手という、このわけのわからない習性で自分が困らされている、別にちょっとぐらい人の役に立ってもいいじゃん……とは、思っているのだが、なぜかメラメラっと、すべてを爆裂ぶっとばそうとする嫌悪感が立ち上るのだった、こんな奴はそりゃ対人的なことには向いていないのだろう。

対人的なことでやりたいことは「破壊」だけだ。

ううむ、困ったことに、対人的なこととして「破壊」だけは、「それいいね、ステキ」というワクワク感が立ち上ってきてしまう/なぜおれはこうして自分の人間性というか人間味について、こうも冷淡で否定的なのだろう、正直に言うと「人としてサイテーですよ」と言われると冗談でなく「やった」とよろこびが湧いてしまうのだ。
というわけで、誰のトクにもならない個人的なナゾの話だったが、やはりおれが書き話すと何でも面白いのでまあいいのだった/にしても、こりゃ何か方法を考えないといけない、人の役に立つことをするとおれが自壊してしまう。
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