☆いい女☆で行こう!

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期待しないこと、信じること
とえば電子レンジに弁当を入れてチンとするとき、弁当があたたまることを「期待」はしない。
われわれは電子レンジでチンすればあたたまるということを「当然だ」と信じているので、いちいちそのことに「期待」はしない。
だから何かを「期待する」ということは、根本的に「どーだかわからない、あやしい」と疑っていることを前提にしている、これだと起こるべきことも起こらないということがあるので、タイプとして損だ。
「疑う」というのは、やるのかやらないかを判断するときには有効だが、やると決まっていることなら、信じないと損だ、たとえば虫刺されにムヒを塗るのだって、信じないで塗るのは何か頭がおかしい、信じないのであれば塗るべきではないのであって、塗るからには信じるべきだ、そのどちらともつかない宙ぶらりんが「期待する」であって、これは思いがけず最も損をするタイプになる。

たとえば温泉好きの人は、前提として温泉を「信じている」ところがある。
もちろん自噴しているかけ流しの温泉は、自宅のバスタブに張って沸かす水道水とは違うわけだが、それにしても温泉好きだからといって、自宅の風呂を「信じない」というのは頭がおかしい、どうせ自宅の風呂に入るなら自宅の風呂だって信じて入ったほうがトクだ、世迷言でけっこうだがそうして信じたものには信じただけの効用が返ってくるところがある。
われわれは社会的身分を持つ学者ではないので、自分が信じるぶんには、再現性のある定量やデータなど必要ないのだ、自宅の湯舟にでも入れば疲れが取れると「期待する」のではなくて、「こんなあたたかい湯の風呂に入ったら疲れは取れるし病気も治るで〜」と信じて入るほうがトクだ/何度も言うが信頼性のある定量データなど必要ない、疑って風呂に入るのはヘンだし、かといって期待して風呂に入るのも必死すぎるし、どうせ入浴するなら信じて入浴したほうがトクだという話をしているだけだ。
ここは、「九折さんがそう言っていたのだからマジだろうし間違いなかろう」ということで、自宅の風呂でも入れば疲れは取れるし病気も治るらしいと信じて入浴すればいい、そのとたん、思い込みでも何でもけっこうだが、肌を覆う湯たちが信じられたことに応えようとするはたらきを見せることがわかるだろう。

信じずに入浴した場合、それは入浴など「していない」ことになる。

なぜ大真面目な医大でも大病院でも、わざわざプラセボ(偽薬)という子供みたいな実験を並行で行うかというと、そりゃ片栗粉でも「治る薬だ」と "信じて" 服用されると、何の作用か片栗粉も信じられたことに応えようとするのか、病気が治ってしまうことがあるからだ/逆に、毒ガスでも何でもないただの水蒸気や煙を、「毒性がある」「発がん性がある」と信じさせて吸引させれば、偽毒効果と呼ぶべきものが当然あるだろう、プラセボで病気が治ることがあるからには、逆に無害なものでも病気になることがあるということだ。
たくさん本を読んで勉強すれば頭がよくなるとか、練習すれば歌やおどりが上手になるとか、「期待して」それをしても、驚くぐらい何も得られないだろう、それを「期待する」というのは内心で「妥当に計算している」ということだ、自分が努力したぶんは何かしら報われるはずだという概算を見積もっているにすぎない、それは信じている者の発想ではない、だから何も得られない/このことを追求していくと、そもそも自分が何をするにしても、それを「信じて」やっていない場合、実は自分はそれをやったことになっていないということがわかる、いくら努力したつもりでも疑いと期待の中で実は何も「していない」のだ、それが別に悪いというわけではないが、損得でいえば明らかに損だ。
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