☆いい女☆で行こう!

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ドラえもんの警告
「ドラえもん」は有名なマンガだが、現代のアニメ版は旧来のそれとテイストがまったく違うし、今や元のマンガ版を読んだことがある人のほうが少ないのではないかとも思うが、まあそのあたりは言いっこなし。
ドラえもんというと、たいていスネ夫が「八丈島に行ってヨットに乗ろう」みたいなことを言い出す、するとジャイアンもしずかちゃんも「行こう行こう」となり、のび太も一緒になって「行こう〜」となるのだが、「悪いなのび太、このヨットは三人乗りなんだ」とのけ者にされる、というところから始まる。
そしてのび太は泣いて帰って「ドラえもーん泣」と、自分も八丈島でヨットに乗りたいウウウと泣き崩れてドラえもんに頼むということになるのだが、このことには藤子不二雄の世界観とマンガ「ドラえもん」による警告が為されていて、のび太は初めから八丈島でヨットに乗りたかったわけではないのだ、のけ者にされることによって「ひがみ」が発生し、「ひがみ」によって何としてもヨットに乗りたいと苦しむことになるというのがいつもの展開なのだ。
このあたりの物語の構築、物語の力動作用の仕掛けは、さすが入念であり、またいかにも手塚治虫の薫陶が篤いという感じだ、実はのび太自身は放っておけば昼寝ばっかりしているような奴で、表面的には強欲な者ではない、あくまで欲は潜在下にしかないという状態だが、それが世間・人の世の中で「そうはいかない」というふうに、呪力を帯びて引き出されてくるのだ、おれは特に手塚治虫がこの手法で物語を構築することについて、見事だとは思うが同時に卑怯だとも思っている、正直なところその仕掛けで物語を構築することは「カンタン」であって、カンタンであるがゆえにその物語はあまり創って人々に示す意味がないからだ/そうした業(カルマ)の描き出しが "万人に訴えかける" というのは当たり前のことであって、そのマンガがヒットすることには構造的にむなしさがある。

「ひがみ」というのは、呪術の基本的な源泉であって、のび太はスネ夫にかけられた「呪い」で動かされることになり、その救済をドラえもんに願い出るということになる、だからいつものび太は地面に伏せてオイオイ泣きながらそのお願いをしている。
そこからドラえもんの道具が出てくるのだが、これはいっそノロイやオマジナイが(※ともに「呪い」と書く)、人に夢のような力、科学や人為を超えた "羨望的" な力を与えるということを表している/そして「呪い」には必ず「穴二つ」という現象があるので、呪いによって得た力や利益は、必ずそのあとに帳尻としてのマイナスを受けることになるのだ、だからドラえもんに出てくるのび太のストーリーは必ず、「秘密道具に頼って救済されてみたけど、結果的に悪いことになりました」という終わり方をする。
呪いというのはもともと、祝福が受けられない人が、人為的に超越的な力を得ようとする、いわば「祝福の代替品」を求めてそれを行うものだ、だからドラえもんの登場人物にはそれぞれ、ジャイアンには力、スネ夫にはお金、しずかちゃんには美と品位が与えられている(彼女の姓が「源」なのは家柄を表している)、その中でのび太は「何も与えられていない者」として存在している/これらの人間模様の中で「出木杉くん」だけが天稟をもっており、だからこそ出木杉くんはこの人間模様の中に参画してこない。
ドラえもんはどのような警告を示しているか/ふと気づくとわれわれも、身の回りにあるすべてのものについて、すべてが本当に「欲しかったのか」と問われると、実はそうではないことがほとんどなのだ、ただ周囲の人々が次々に優れたものを手にするようになると、自分だけそれを持たないわけにはいかなくなる、それが潜在的にも「欲」の仕組みで、このことを世間・人の世の「呪い」が引き出してしまうぞということ、地面に泣き伏して何かを「お願い」することに必ずなってしまうのだということをドラえもんは警告している。

当時、ファミコンが「本当に欲しかった」人はそんなに多くない。

自分の周りが次々に大学にいけば、自分も大学に行きたくなるし、みんな冬休みにはスキーに行くものだとなれば、自分だけ一人で部屋でコタツに寝転んでいるのが苦しくなるし、夏はみんなで「フェス」に行っているとなれば、自分だけ何の予定もなく本なんか読んでいるのが悲しくて苦しくなるのだ、呪いの基本になる「ひがみ」とはそういうもので、 "自分だけ" しいたげられ、 "自分だけ" 劣等に置いてけぼりになるということに、生きもの業(カルマ)は燃え盛る性質がある、ドラえもんはまるでそれこそが世間の正体で、人の世とはひたすらそれを繰り返す営みなのだと言いたげだ、手塚治虫の場合はそれがもっと露骨だった。
同年代の同性が次々に結婚し、みんな子供を産んで家庭を持っていると聞くと、 "自分だけ" という強烈なひがみと呪いが発生するし、またその母親にとっても、周りのみんなは「孫がかわいい」という話ばかりするようになると、やはり "自分だけ" という強烈なひがみと呪いが発生する/これは逆転すると、自分だけ "優等" という場合に発生する傲りと同じ現象だ、優等であれ劣等であれ自分だけがそれであるというチャンピオン―― "自分だけ" が蔑まれ、あるいは "自分だけ" が褒め称えられること――になると、その "呪いの頂点" にはただならぬ呪いの濃度が発生し、その人の血を根底まで支配することになる。
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