☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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人を信じるのはいいが、人の言っていることを信じてはいけない
じるものといえば、勝利と栄光と幸福を信じていればいいのであって、それ以外のものを信じる必要はない/そりゃそうだ、どこの誰が敗北と恥辱と不幸を信じるのか、まあけっこうそっちをかたくなに信じている人が多いのも事実だが……
人を信じるのはまあいいが、人の言っていることを信じてはいけない、なぜかというと、たいていの人は自分が本当には何をやっているかとか、本当に起こっていることは何かとか、自分が本当に行くのはどこであるとか、そんなこと自分でわかっていないからだ、そんな本人もわかっていないのに言っていることを信じてはいけない。
奇妙なことになるが、人の言っていることを信じるというのは、むしろ人を信じるということに対して逆向きになるのだ、たとえば「コイツは頑張るだろう」と信じている人が、「わたし頑張ります」と言っていたとして、その「言っていること」のほうを信じてはいけない/それはもともとあった「人を信じている」ということをむしろ否定して、言っていることのほうを信じるということにすり替わっているからだ。
そうではなく、「コイツは頑張るだろう」とその人を信じているのなら、そいつが「頑張ります」と言おうが「頑張りません」と言おうが、そいつの言っていることなど無視して、「コイツは頑張るだろう」と信じていればいいのだ、それが人を信じるということだ/往々にしてその人はこちらが信じたとおりにはならなかったりするものだが、それはほかならぬ当人が、「自分で言ったことを自分で信じてしまう」からだ、自分で言ったことを自分で信じてしまうというのは、やはり同じ仕組みで「自分のことを信じなくなり」「自分の言ったことのほうを信じる」ということにすり替わってしまうということなのだ。

人を信じるというのはいわゆる仁義礼智信のひとつであってまともなことだが、人の「言っていること」を信じるのは、それとは異なりブキミなことになる、人の「言っていること」を信じるのはそれじたい呪いになってしまうのだ、だからその人が言っていることがその人の本心であってその言ったとおりのことをその人が履行したとしても、事象そのものが呪いになってしまうので、ブキミで血が気持ち悪くなるという作用が起こってしまう。
ここは考えをサクッと整理して、「人を信じているなら、その人の言っていることなんか信じなくていいでしょ」と断じてしまえばいい、これほどすっきりした理もなかなか他にあるまい/おれの書き話していることはいつも何かよくわからんナゾみたいなことばかりだが、そうしてわけのわからないことを言われても、わからないだけに信じようもないわけで、けれどもおれの書き話すことをずっと聞き取っているというのは、つまりおれのことを信じているのだろう、おれのことを信じているのならおれの言っていることを取り立てて信じる必要はない。
まあおれの場合は特殊であって、おれの書き話していることはすでにおれの「言っていること」という次元ではないから、まあここに書かれている話を信じても何の問題もないのだが、フツーの人はダメだ、フツーの人は当たり前だがフツーのやり方でしか話せないし書けない、そしてフツーのやり方というのは自分のこころに思っていることを言うだけなのだ、これがそのまま呪いになるから人の言っていることなんか信じなくていいのだ、むしろ言っていることを信じずそいつ自身を直接信じてやることでその当人が余計な呪いを自分で被らずに済むというメリットもある。
だいたい、フツーの人が何かを「言う」という場合、ひとつには「勢いづくために愚直を言う」か、もうひとつには「賢明になるために勢いを下げることを言う」かという、二通りしかないのだ、それは勢いパターンでも賢明パターンでもけっきょく呪いにしかならないので、実は「誰も聞いてくれねー笑」という状態がベストなのだ/信じるなら人の言っていることではなく「人」そのものだ、そしてもしその人が信じたとおりにならなかったとしたら、それはたいてい自分で自分の言っていることを信じたがために、自分自身を信じるということを失って自ら呪いにかかったものだと決めつけてしまうのがいい。

人の「言っていること」はすべて気の迷いであり、それを信じるのもまた気の迷いだ。

おれは今こうして書き話しているが、おれが何かを「言っている」というのはまるで聞こえないだろう、こんなフツーでない話ができるのはごく特殊な奴だけだから、これを基準には考えないことだ、フツーの領域においてフツーの人が何かを「言っている」ことについては聞かなくていいし信じなくていい/だいたい人の気がヘンになるのは誰かが何かを「言う」からであり、同時に自分も何かを「言う」からだ、自分も誰も何も言わなければ気がヘンになる理由がない、このことをよく見て、人を信じるのはいいとしても人の言っていることを信じるなど気がヘンになる入り口でしかないと思え。
おれがこうやって書き話しているのは、常にこうやって気分がいいしブキミなことにはまったくならず、むしろ人々を救済するナゾの光に満ちているのだが、おれが書き話す中にはおれが何かを「言っている」という成分はないし、ましてやこのおれが誰か他の奴が「言っている」ことをわずかでも聞いていると思うかね? おれは誰かが言っていることなんてわずかも聞いていないし、おれ自身が何かを「言う」ということもない/おれの書き話しているものをひとつ読んだあとに、誰かのツイートを三つぐらい読めばこのことがわかるだろう、人の「言っていること」を信じるというのは、人を信じることを投げ捨てて呪いに身を投じることにしかならない。
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