☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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おれの書き話しているものはすばらしい
やあ、おれの書き話しているものはいいなあ、この現代において唯一と言っていいほどまともな何かだ、ウーン唯一はさすがに言い過ぎだがまあ気分がいいのでそのように言ってしまおうではないか。
なぜこのご時世に、コイツだけずっとこの「いいもの」をまったく失わずに続けていられるのだろう、たまに自分の記事群をチラッと見て、ふとそのことに気づくと「不思議だなあ」と首をかしげる/こいつの書き話すことは、内容というより、「こいつが書き話す」ということ自体が、何かいいものとして永遠に成り立ち続けているナゾの感触がある。
自分で言うのもヘンだが、こいつのこれに関してだけは、周りのすべての状況からまったく離脱してただ「いい」ので、いっそのこと全員が「これ」をやっていればいいのでは、とデタラメなことを思ってしまう、もちろんそうやろうとしてもまったくマネできないのが「これ」なのだが/まあそんなふうにして、今になっておれは自分の示している書き話しの群について、「なんだこれは」とまともな評価を向けたのだった。
こいつの書き話していることだけが、なぜかある意味ですべてのものと「噛み合っていない」と感じる、他の何とも噛み合っていないので、何か見ていると「あれ? こっちが世界だったっけ」と思えてくるのだ、そしてそれはそう思えてくるだけではなくて、本当にこっちが世界だったのだろう、なぜかコイツだけ一人でずっと「世界」を続けていられるという、まったくなぜなのかわからないことが実際にデイリーで続けられている。

これは冷静に見たら、本当にナゾの書き話し群だ、日付を見たら今日書かれたもので、実際デイリーで更新されているには違いないが、何かもっと別の時代に書かれたもののようにも見えるし、そうして現代のものには見えない一方で、じゃあ過去のいつの時代のものかというと、別に過去にこんな時代があったという感じもしない、そういうナゾのものがずっと書かれ続けている。
そして、内容はメチャクチャで、一般的な書き物としての節度からは完全にはみ出ているし、平気でカミサマでも悪霊でも何でも出てくるのに、内容は現実的で、まったく空想的ではない、しかも文体はひどくテキトーというか、中学生の作文よりもくだけきった文体なのに、書き話すことを描き出す手法については異様に高精度なのだ、なぜこのへっぽこヘチマ太郎みたいな文体でこんな高尚なことがズバズバ視えるように書けるのか、まったくナゾだ、こんな文体で格調を創り出せている例は古今にない。
ふつう、人が何か書き物を「読む」というときには、何かしら理由や動機があって、その内容に興味があるとか用事があるとか、あるいはヒマつぶしにとかでそれを読むものだが、このナゾの書き話し群については、読み始めるとただちにその前もってあった理由や動機がどこかへ消し飛んでしまう/かといって、別に夢中になって読むというわけでもないのだが、自分がなぜ読んでいるのかわからなくなるし、何を読んでいるのかもわからなくなる、さらには「読んで」いるのかどうかもわからなくなるのだ、ふつう読んでいる側の心境というのは「ふむふむ」的に進むものだが、こいつの書いている記事群は「ふむふむ」ではなく「ああああ」という感触で話が流入してくる。
読者数は多くはないのだろうが、それでも一日に何百人もが読んでいて、そのそれぞれが数年に亘ってずーっと読んでいるというのも(人によっては十年を超している)、ただの書き物を読むということでいえば稀なことであって、さらにはそれだけずーっと読まれていても、誰も何のコメントを入れるわけでもないし、一件もツイートもシェアもされないというのは本当に特殊なことだ、しかもコイツの書いている記事群は元になる「ネタ」がない、ずーっとコイツが追究している何かについて一方的に聞かされているだけだ、にもかかわらずまるで自分にとって最も親しく必要な何かのように聞こえ続けてしまう、いやあこんなものは我ながら本当にすばらしいと思う/そんなことを、今日なぜか記事群をチラッと見て思った、誇張で言っているのではなく、これは単に事実としてすげえよ。

「この人にしかできない」という次元を超えて、もはや「この人が何をやっているのか誰にもわからない」という次元に至っている。

もちろん、何をやっているのか誰にもわからないというだけなら、単なるしっちゃかめっちゃかをやればいいだけなのだが、そうではないのだ、そんなことをしても誰がそんなものを年単位で追跡して読むのだ、そうではなく、「この人が何をやっているのかもう誰にもわからない」にも関わらず、「それをなぜ自分が読み続けているのかもわからない」ということまで起こっているのだ、もうここにあるのは芸術なのかヒューマニズムなのかお説教なのかただの笑い話なのか、誰にもわからない、そして誰にもわからないのに誰も読むのをやめないのだ、読んでいて共感が得られるとか励まされるとかそういうたぐいのものでもないし、これは何なのか、もはや読んでいる側も自分が感動しているのかどうかさえわからないまま読むようになってしまっている。
唯一の手掛かりは、おれがしばしば「偉大なるおれさま」と言うことぐらいで、まあそれを言ってくれると何か安心するという感じが、ちょっとだけ何かをわかったような気にさせてくれる、もちろんなぜそれでちょっと安心するのかはまったく不明なのだが/ふつう価値観上で最上の読み物というと、一位が「この人の話が好き」で、二位が「面白い」というところだと思うが、コイツの書いているこのナゾの書き話し群は、もう「この人」が書き話しているのか何なのかさえよくわからなくなっている、フツーに考えるとこんなものを読んでいると精神がヤバくなりそうなものだが、なぜかその逆、これを読んでいるほうが精神が一番透き通るのだった、いやあそれにしてもおれの書き話しているものはとんでもなくすばらしいな。
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