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封建制と「サムライ」に対する幻想
来から伝わる(もう伝わってねえか)、日本の剣術が優れているのは疑いないことだし、その日本刀の切れ味を産み出した鍛冶技術、またその他の工芸や建築等についても、日本人が文化的・生産的に優秀な業績を残してきたのは事実だ、他国では真似できないところがいくらでもある。
これらのことを惜しんで、われわれはどうも江戸時代あたりの封建制、および「サムライ」ということに思い入れがあるのだが、このことは追究すればするほど「違う」ということが明るみに出てくる、江戸時代にサムライといえば士族のことであって、それは要するに「役人」ということだ、いわゆる二本差しとして刀を差しているのだが、それは「身分」であって彼らが武士道の中にいたのではない。
宮本武蔵は晩年まで仕官せず禄を得ていない浪人だったのだし、柳生にしたって政治参画をしていない一種の山籠もり集団のような「道場」の人たちだった、われわれはこういう剣士のことを「サムライ」と思っているふしがあるが、これは誤解だ、サムライというのは現在でいえば都庁や県庁に勤めているおじさんのこと、またそのおじさんの(〇〇家の)息子さんたちのことを言うのであって、時代劇に出てくる「ならず者たちをバッサバッサ斬る」という武芸の人がサムライなのではない/サムライというのは常に藩主の顔色を窺って、そのまた上にいる幕府の顔色を窺って、公務だけを粛々と続けて「安泰」にだけ精魂をつぎ込むという、「親分こわい」状態ならびに、そのストレスを町人にぶつけて発散する身分の人たちを言うのだ、これは悪口を言っているのではなくて封建時代の常識を述べているにすぎない。
いわゆるハラキリ・切腹というのも、役人が公私における失態を咎められて、要するに公務員に対する懲罰として切腹させられる(詰め腹を切らされる)のであり、何のことはないただの幕府権力による死刑執行にすぎない、もちろんそこで斬首刑でなく切腹を許されるというのが当時の誉れであり武士の情けということになるのだが、もちろんよく知られているように「扇子腹」といって扇子で切腹のまねごとをするだけということも通例だったし、何よりハラキリは武士の嗜みみたいに思われているが、豊臣以前にはそういう文化は特になかったのだから、要するに江戸時代の文化だ/もちろん気性の激しい藩士は、ときと場合によっては義憤の見せつけと表示のため、いきなり路上ででも己の腹にグサッと刃を立てるということをして人々を驚かせたり畏怖させたりもしたのだが、それはド根性と武士道という場合もあったには違いないにせよ、そういうたぐいのことは現代でも自殺念慮にかられた女がそういう致命的な自傷をすることがあるので、どこまでが「文化的」なハラキリだったのかはわからない、少なくともハラキリを含めた「サムライ」というのは、基本的に各地方・各藩の「公務員」のことであって、時代劇に出てくるヒーローのことではない。

ハラキリの文化は、明治以降には廃止されているが、もちろん個人的にハラキリする人は止めようがないので、たとえば太平洋戦争の敗戦後には、敗戦責任を負って自らハラキリして果てたという将校が複数いた。
それはさすがに、心境としておれにさえわかる、ただでさえ部下たちを無数に死なせてきたわけで、挙句に敗戦しましたというのでは、「負けちゃったかあ」では済まない、どの面さげて生きれるものか、またどの面さげて死ねるものか、それでこんなもの自決するしかないと思い至り、まさか安らかに死ねるクスリでぐっすり永眠というわけにはいかないだろう、だからやむをえず古式にのっとって切腹というのは、さすがにおれにでもわかる、ハラキリが正しいのかどうかなんて誰にもわからないだろうが、そのときその人にとっては選択肢がそれしかないと感じたのだろう、それはハラキリが重いというよりは戦争と敗戦が重い。
三島由紀夫はハラキリをパフォーマンスとして見せた最後の一人だと思うが、彼はサムライ気分だったのかどうなのか、少なくとも三島由紀夫がハラキリの「サムライ」をどう捉えていたのかは不明だ、あえて本来の「サムライ」から定義するなら、三島由紀夫のように奉ずるべき主君も持たず、あのように目立って公的秩序を乱したるがごときは、むしろ「サムライとしてあるまじきこと」に分類されよう、三島由紀夫は単に皇軍を奉じる攘夷浪人の心境だったのかもしれないが、それは確かに攘夷 "浪人" であって、脱藩して世間のどこにも属していない「元サムライ」ということになる/そのあたり、けっきょく三島由紀夫はサムライ的な立場でも存在でもなく、あくまで「個人的」な存在でしかありえなかったから、当時の人々にとってもよくわからない「個人的ハラキリ」が展示されることになった、「つまりヤクザでもないし親分もいないのに指を詰めた」というような行為に似ている、このあたりのことを三島由紀夫が冷静に見ていたのかどうかはおれにはわからない。
ハラキリというのは武士と共にあったわけではなく、江戸時代からの「親分こわい」「徳川こわい」という封建制の中に定められていった様式なのであって、それはあえて極論まで言ってしまえば、戦国時代が終わった武士が「戦う者」ではなく「怖がる者・怖がらせる者」になり、その中で武士のアイデンティティのつじつまを合わせるためにもうけられた、一種のロールプレイ的自死の様式とさえ言いうるだろう、三島由紀夫が大胆なデモンストレーションに出られたのもあくまで昭和の時代だったからであって、あれが江戸時代のサムライだったら連座制によって家族一同も処刑されていただろうし、所属する藩も取り潰しにされていただろう、そういうシャレにならないド抑圧にフルブーストをかけていたのが江戸時代の封建制であって、そういうのはやめましょうということで時代が進んで昭和・平成・令和と来たのだ、われわれが江戸時代やサムライやハラキリを誤解しつづけて夢想しつづけているのは何か精神の根底に深いひずみをもたらしているように思う。

ハラキリがロールプレイだったとしたら、その流れた血は大地に染みこんでこの国を呪縛しているだろう。

あえておれはこのように言いたい、「そんなに人に腹を切らせたい?」と/この国の――だけではないかもしれない――人々は、誰でもがそうであるように、どことなく自分が偉い・権威があるという思い込みの中を生き、その中で加齢が進んで死が近づいてくると、その自己権威の思い上がりが制御しきれなくなって、ある種の衝動として噴出してくる、表面上は牧歌的な、人懐こい顔をしながら、なぜか自分の権威のもとに誰かが自ら腹を切って血を流すことを求め、その流血によって自己を大いに慰め、悦に入るという性質があるのだ、ハラキリというのはけっきょく徳川謹製のロールプレイであって、まるで二百五十年かけて大地に染みこんだロールプレイの流血によって日本人の血は卑しく屈折したものに歪められてしまったかのようだ。
冷静に考えて、サムライ・武士というのは戦うのが本分の武人なのだから、そもそも「徹底鎖国する武人」というのが一種のジョークでしかない、この鎖国する武人というジョークがさらには権威を言い張って国内の人々を暴力と恫喝で抑圧してきた、こうして「閉鎖された中で暴力を見せつけ権威を言い張る人々」というのは確かに「おっかない」に違いないが、それはおっかないだけであって強いてわけではない、だからペリーが軍艦を持ってきただけで幕府はいきなりお股おっぴろげになってしまい、維新戦争が始まったら江戸城は「戦うのムリっす」と無血開城したのだ、これがサムライの総本山でありハラキリの権威元だという事実が残った/サムライというのは政府の役人のことを言うのであって武芸にすぐれた剣士のことを言うのではまったくない、われわれはいいかげん「サムライ」という幻想を捨てなくてはならない。
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