☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 魂の恥辱と、三種類の現実 | TOP | 人類の歴史は全部ウソだ >>
体調が悪かったらしい(気づくのが遅い)
うにもこうにも馬力が出ねえ、おかしい、と感じ始めてから、ようやく「あ、体調が悪いんだ」と気づいた。
体調が悪いといっても、単なる遊び疲れで、コロナ云々とは関係ない、というより風邪の症状ではないのだけれども、何にしてもおれは自分の体調に気づくのが遅すぎる、よくよく振り返ると一週間ぐらいはどうも馬力が出なかったのだ、おれはいまでも馬力が出ないとアクセルを踏むという発想をしてしまう、そして「エンジンの精度を上げろ」と発想してしまう、これはしばしば合理的でない。
おれはもともと偏頭痛持ちで(文学者っぽくていいだろう)、といっても偏頭痛の発作頻度は昔に比べると完全に別人のごとく改善したのだが(今は特効薬もあるしね)、なぜかおれは偏頭痛が出てもそれを「体調が悪い」と感じず、なんとかしてそれに打ち勝とうとしてしまう、まあ病は気からというのでそれぐらいのつもりのほうが本格的な病気にはならなくてよいのかもしれないが。
どうもおれは、休む・休憩するという選択肢が大前提として無いために、自分に対して「今日は体調が悪いな」という判断が下せないみたいだ、人に対してはすぐに「体調優先で」と言うくせに/体調が悪いことはしばしばあるのに、体調が悪いという判断もないし休むという判断もないので、いつも一通りくたばってから「あ、体調が悪かったんだ」と過去形のように気づかされることになる、このこともいいかげん合理化してオトナになりたいなあと思ってはいるのだった。

体調が悪いと(気づいていなくても)、ふだんはスラスラできることが、なぜか淀み泥むので、イライラして面白い、いやもちろんその最中はイライラしてしんどいのだが、このあたりはおれは大人になっていて、うまくいかなくてイライラするということの中には、必ず何かよいタネがあると知っているので、イライラしながらも半分以上はワクワクしているのだ、おれは偏頭痛を含めてあるていど体調を崩すことがなかったらこれまで数々の発見をしてこられなかっただろう。
なぜ体調を崩して発見があるかというと、ふだんはスラスラできていることができなくなり、そのふだんはスラスラやれていることが、「あれ? そういえばなぜスラスラできていたんだ」と一回ナゾになってくれるからだ、何か肝腎なことができる・できないということの真相はまったくナゾであり藪の中であって、今こうして書いているいつもおれのオモシロ書き話しも、なぜそういうものが「できる」のかはナゾなのだ、体調を崩すとこれがまさしくナゾだということに直面する。
今もまだ、そんなにバリバリ書き話してゴーゴーというほどの勢いではないので、それなりの話にまとめてしまうが、今回は特に、「自信を失わせるための人々」の存在に気づいた、自信というのは大事で、けれどもそれを幼いうちにも失わされた人々は、今度は他人の自信を破壊するために一生を使うしかなくなるのだ、それを「ひがみ」といい、多くの人は本当に「他人の足を引っ張るため」だけにその一生を費やす、それぐらい、自信を失うということは致命的であり苦しく辛いことなのだ(かといって正当化されるものではない)。
たとえばおれは女にモテるが、それはもう女にモテるというより、おれが何かしら女に接触したら女がメロメロになってしまうだけということで、もうモテるというよりそうしたよくわからない物理的な作用に近い、これはもうけっこうすさまじいレベルに至っているので、大半の人はこの自信を否定・剥ぎ取りに掛かるしか人生でやることはないのだ、おれのことを心から肯定できる人は当人としても自信を持っている人だけで、当人が自信を持っていない場合、その当人の事情が常に「ひがみ」「足を引っ張ろうとする」作用を起こし続ける、自信のない人は半ば強制的に自信のある人を憎悪し続ける仕組みなのだ、むろんこの仕組みは見極めれば自ら粉砕できるものだが、わざわざこんなキツい仕組みを自らのうちに直視しようとする人は少ない(だからモテない)。

自信のない人々が「消費者」になり、自信のない人が「表現者」になるという図式が出来上がってしまっている。

そんなことに、体調が悪いときこそ気づくのだった、ふだんはおれは自分に掛かる否定的作用なんか、まったく気にしないというか、どうやってもまったく効かないというのが実際のところで、まったく効かないのであればそんな事情はそもそも「存在していない」と思い込んでいるのだった、まあ本当の本当には、そんなもの存在していないのと同じなんだけどね/というわけで、いつの時代もそうかもしれないが、この現代になって特に、「自信のない人は自信のない人だけを肯定できる」という仕組みで、表現者と消費者の関係およびその産業ができあがってしまった、それで現代のスターダムは何かずっといかがわしさがつきまとうものになった。
おれはなぜか知らないが、生まれつきハッピーで、ずっと毎朝起きたときからなぜか理由なくハッピーでありつづけて、おれのやることなすことはやっぱりハッピーになってしまうので、自信なんか後付けで得る必要はなかった、なぜ女の子がおれにメロメロになるのか、理由はわからないが、その感触もやり方も知っている、なぜメロメロになるのかその理由はおれは女ではないのでわからない/というわけで、万事に自信がない人はおれのことを肯定することは基本的にムリなのだった、そうした人々には、おれのことを否定するたびに何か別のものが接近しているだろう。
正しく見ないとな | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |