☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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世界とは何であるか
れが今から書き話すことは事実だから信じないように(意味不明)。
おれが温泉に行ったというと、みんなワーッとよろこぶのだ、拍手してよろこぶのだ、そしておれが「体調復活〜」というと、みんなが「やったあああ」と声を上げてお祭りさわぎになるのだ。
おれが待ち合わせ場所にいくと、おれを見つけたみんなはおれのところに走ってくるのだ、犬の群れが主人を見つけたときと同じ、あるいはそれ以上だ、いつも周囲の人たちが「何事!?」とあきれている。
具合が悪くて寝込んでいた奴が、おれの作ったスクランブルエッグを一匙食べると、「九折さんの味がする」と言ってニヤニヤし、十秒後には起き上がってエヘラエヘラよろこんで笑い出すのだ、これらが事実なのだからしょうがない、そして面倒くさいので「信じないように」と言った、これならどの方面からも疑いや文句は出るまい。

誰も自分の利益なんか考えていないが、もちろん何の利益もなければ一緒に遊んでいられない/利益という言い方は好まれないだろうが、そこは利益という言い方で構わないのだ。
おれはさすがに、バカではないので、おれのことを信じて慕ってくれる奴には、やはり「一番いいもの」をやることにしている、そして一番いいものというと、おれが元気に遊んだり楽しんだりしていることに、そいつがワーッとよろこぶということだ、よくよく考えればこれは何の現象なのかまったく不明だが、不明のまま誰も何の疑問もなく「いいんですよ〜 これがいいんですよ〜」と言っているのだから、しょうがない、まあ「これがいい」んだろう。
おれが元気に遊んで楽しんでいるということ、それ自体にワーッとよろこぶようになると、わけのわからない問答無用、さらにはけっきょくそれだけを唯一の方法として、どうしようもないどす黒さや陰鬱さは消え去る、獲得しようとしなくても毎朝毎日が大前提として「よっしゃ」になる、自分を変えなくていいのだ、自分はまったく変わっていないのに、おれが元気で遊んで楽しんでいるとなると、「やった〜」と、何かが大成功したような快感と開放感に満ち溢れるのだ/これはまったく了解不能のことだが、それでもまともな奴ならきっと、この了解不能でしかこの快感と開放感、つまり「一番いいもの」は得られないということをどことなく知っているはずだ。
おれが温泉に行ってサイコーだった、体調も一気に恢復したし超絶ウマいアジフライ屋を見つけて旨かったァァァというと、「やったあ」とよろこびを感じてどこか拍手したくなる人、そういう人はたとえば当方のワークショップ等に参加してもらっても、たぶんやっていけるというか、おそらくハズレの体験にはならないと思う、まあ今はコロナでスタジオ開催していないから宣伝しても意味ないが/たまにはこうして、事実だけをあけっぴろげに書き話すのもいいだろう、おれの日々と周囲はすでに信じられないようなことばかりになっているが、それをわざわざ陳腐化して報告しているのはいつも一種のウソにすぎないと後ろめたく感じているぐらいなのだ。

美酒があったとして、そりゃ自分の口に入れるより、おれの口に入れたほうが歓喜にシビれるに決まっている。

世界とは何であるか、ついに話してやるからよく聞きなさい/あなたがニシキゴイと洗濯物を持っていたとして、ニシキゴイを洗濯槽に、洗濯物を水晶の池に入れるか? たとえあなたが何らの損も得もしないにせよ、それでも何か名状しがたい絶対のこととして、あなたはニシキゴイを水晶に池に、洗濯物を洗濯槽に入れるはずだ、逆にすることはあなた自身が拒否するだろう、あなたがなぜそうするかというと、それがあなたに与えられた「世界」だからだ。
おれが寝ているとみんなは許可を取って、おれの原付を寄ってたかって磨いている、もしこれを逆にして、みんなが寝ているところみんなの自転車をおれが磨くと言ったら、もうみんな悲鳴をあげる調子になって「それだけはやめてください」「どうかそんなことだけは許してください」と必死に引き留めるだろう、それはニシキゴイを洗濯槽に入れ、洗濯物を水晶の池に入れることを、「それだけはやめてください」と何かが懇願させるのと同じだ、それが与えられた「世界」だ/ニシキゴイが水晶の池に入れられてスイスイと泳ぎ始めたら「バンザーイ」といって拍手したくなる、そういう感覚は実は単純にわかるのじゃないか?
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