☆いい女☆で行こう!

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ストレス本位制について2
戸時代、サムライ(役人)たちは、黒船の持ってきた蒸気機関についてはまだなんとなくわかったのだが、選挙で大統領を選ぶというのがどうしても感覚的にわからなかったらしい、「棟梁を入れ札で選ぶ?」「まつりごとなどわかりようもない下賤の者がどうやって民草を統べるのじゃ?」と/250年も身分制度を絶対にして生きてきたらそういうものだろう、このとき吉田松陰は士族かつ軍学師範でありながら女芸人にも物事を教わるようなありさまだったが、そんな人は例外中の例外で、平たくいえば当時の感覚としてはサムライ(役人)から見てほかの身分は全部ゴミでしかなかった。
そういう、「生まれつきのエラいエラいエラ〜い」が250年間で染みついていて、それは驚いたことに現代にも続いており、それで今でも役人や政治家や会社の役員などは、そういうベタなごますりや接待が「しっくりくる」という体質になっている、一度誰しもその実物を見てみたらいいと思うし、何であればNHKでそのびっくり体質みたいなものをレポートするべきだと思うのだが、本当にそういうマンガに出てくる最安の悪代官みたいな人が実際にいるのだ、それもけっこうすごい数・すごい割合で存在する、それはもう「こんなマンガみたいなことをよくガチでやれるな」と見ていて開いた口が塞がらないほどだ。
一説によると、ペリーは日本に来てすぐに、「ああ、船でいうと、天皇が船首像(シンボル)で、将軍が船長ってことね」と日本の仕組みを理解したそうだが、日本の役人はいくらジョン万次郎が説明して勝海舟が「アホかお前ら」と率直にディスっても、選挙制というのがわからなかった、その後幕府はアメリカに親善使節を送っているが、この使節の人たちもやはり当地においてさえ選挙制は理解できなかっただろう/それは選挙制を理解したとたんに自分たちのやっている幕藩制度が古くてドス黒い上にマンガみたいで恥ずかしいということに気づいてしまうからでもある、このことに不満がある人は今すぐ裃を着て徳川家の末裔に会って土下座してこい(これをする気になれないならもう「サムライ」的なことを言いたがるのはやめよう、将軍に土下座することをありがたがらないサムライなんか即日切腹で士籍剥奪だ、ついでに家族も連座して当然打ち首だ←これをイヤがったらサムライじゃない)。
というわけで、冒頭から話が逸れてしまったが、よくよく考えると、おれから見て向こうの「ストレス本位制」は視認できるが、向こうからみておれの「おれ本位制」は視認できないのだった、生涯をストレス本位制の怨みと苦しみで生きてきた人が他の制度を視認できるわけがない、そりゃわずかでも視認できていたらさっさとストレス本位制なんかやめているはずだわな。

ああ……なんというか、どうでもいいことが視えてくるが、つまりストレス本位制の人たちは、自分がそれだけストレスの怨みと苦しみに耐えてきたのだから、相応の「ごほうび」がもらえるはずだと考えているのだ、むしろそのことだけを楽しみに、自分の生のすべてに耐えてきたという感覚なのだろう、それでいきなり「ごほうび」について「はぁ? そんなもんありませんけど」と言われても納得できないのは理解できる(といって、やはりごほうびは無いのはしょうがないが)。
ストレス本位制の人は、たとえば二十年間、あるいは五十年間、やりたくもない土下座をさせられて、一秒もいたくない家や職場に括り付けられ、女ならやりたくもない男にファックされて子供を産まされ、それらの膨大な怨みとストレスをもとに、「これだけやってきた」と思っているのだ、そしてそれに相応するごほうびが立場上得られてくると思っているのだろう、それらのすべてがただのサンクコストでゴミですと言われたらさすがに受容できないに決まっている、何かしらの市民運動を起こしてもしょうがないほどのマイナスだ。
まあでも、よくいう「人生を棒に振る」ということは実際にあるわけで、生きる時間とコストというのは総じて投資でもあるわけだし、その投資先をインチキガイダンスに言われるままにしてしまったということは、うーん、「ぜんぶ吸われてしまいましたね」ということは、やはり現実にあるのだ、どう考えても「しょうがないッス」としか言えないだろう。
ストレス本位制は、その価値が暴落したというより、もとより価値がなかったのであり、単に通用していたということから、それに価値が約束されていると誤解したのだろう、「ストレスの怨みと苦しみに耐えきると人生になります」と思想を誘導した人々がつまり悪徳業者だったわけだが、これを悪徳業者だと攻撃することは、ただちに彼らが彼らの投資についてすべてがパァになりましたと認めることになるので、彼らはその悪徳業者を糾弾することができない/幕末の終盤、「将軍ご本家の威光と大権現の祖法で〇△◇×!!!」と叫んで戦いに散ろうとしたサムライたちがいたが、当の将軍徳川慶喜は「あっ、そういうの要らないっす」とあっさり江戸城を無血開城してしまった、これにはサムライたちも血まみれのまま大いにずっこけたのであった(史実)、まあ慶喜がその判断をしていなかったら日本は単に欧米の植民地になっていただろうので、要するに幕末のサムライたちはひどい「お荷物」だったということになる、さんざん切腹させてきてひでえ話だよなあ、というわけでストレス本位制というのもいいかげん末期に近づいてきているのかもしれず、それに巻き込まれるとひどい大損をするよと言いたいのだった、もう大損をしてしまった人はとりあえず演歌でも聞いてごまかすしかけっきょくないのかもしれない(いや、演歌って別にそういうものでもないな)。

おれはストレス本位制は苦手だが、それよりも、ストレス本位制を生きてきた人の「すべてがパァになった」という悲鳴のほうが苦手らしい。

なんというか、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えてきたんだなあと、冷静に考えれば思う、その耐え抜いてきたことの結果、「あなたは一顧だに値しないクズです」と言われて、尊敬度ゼロのまなざしを毎日向けられ続けるのでは、そりゃもう精神がどうにかなりそうだろう、なりそうというか実際にそうなってしまった人をたくさん見るのだが、おれはどうもそのどうでもいい悲劇を見るのが苦手らしい、どこか壁に向かって黙ったままジッと座っていてくれないだろうか(と、ひどい無茶を言ってしまう)。
すべてがパァになったというのは悲惨だが、それでもやはり、本当にすべてがパァになってしまったのだと思う、あるいはパァになるだけならまだしも、逆に恥辱まで加わって大規模なマイナスまで生んでいるだろう、なんというか最盛期のボブディランでも唄えないような悲惨さだ、じゃあこのことについて誰が悪かったのかといって、やはり徳川将軍家を仰いだ当人が悪いと思うよ、ストレス本位制の人はその蓄積した巨大なマイナスのために、逆にストレス本位制に見切りをつけられなくなっているのだと思う、「すべてがワシだけのマイナスだというのか」というビッグクレームだが、「そりゃそうですよ」というだけが現実なのだろうな。
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