☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 悪霊の棲み処と「ウヘラッ毒」 | TOP | 搾ると奉るの性質 >>
業者や宗教のディープな闇
この国でも同じかもしれないが、「業者」というとその大半が悪徳業者という実態があり、そのすべてが第一に「いい人」のふりをし、第二に「いやな空気にする」という、まるで専門学校で習ったのかというようなお決まりのパターンをやる。
業者というのはそういうもので(むろん少数派として、クリーンな仕事をする人たちも混ざってはいる)、さらに宗教というとたいてい輪をかけてえぐい闇があるものだが、まあ基本的に宗教に口出しするのはナシだ、言わずもがな若い人は誰しも宗教というと「うっ、ノーサンキューっす」と思っているのであって、それが当然かつ健常な感覚だろう/結婚式でキリスト教っぽいムードにしてもらうのはおしゃれで楽しめるが、ガチ宗教となると「かんべんしてくれ、まったく興味ないわ」というのが当たり前の感覚だ、もちろんおれだって「その感覚でOKよ」と強く推奨しかしない。
業者や宗教のディープな闇というのは、一般に思われているところより遥かに深くまで及んでいるもので、やれ教会の神父さんが信徒の少年をケツ穴ファックしていたとか、そういうことではないのだ、そんなものでこのたぐいの闇が測れたら世話はない、そんなイージーな単位で測れるようなものでは到底ない。
こうしたものに耐性をつけ、巻き込まれないようにするためには、先にネタを知っておくのが何よりだ、それでおれはこのように言っておきたい、そうした業者や宗教のディープな闇は、集団でそれを形成していながら、実は誰もが集団の中で互いのことを、「気が狂っているゴミども」と蔑んでいるというところにあるのだ、そしてその中で自分だけはまともなたぐいだと、きっちり全員が思い込んでいるのだった。

例えば、ここに百人組の業者あるいは宗教集団があったとする、この集団は傍目にも「何かムードがヘン」と見える、一見「すごくまともそうで」「すごく常識と人情味にあふれている」と見えるのだが、その露骨さが何か演出めいていて、だからこそ「何かムードがヘン」という感じがする、それでまともな若い人は皮膚感覚で「ノーサンキューっす」と感じる(まともだ)。
ここで、そのディープな闇を知らねばならないのは、この百人組の集団は、集団として闇に満ちていながら、実は互いに信頼も協調性もないということなのだ/驚くなかれ、いわゆる「狂信者」みたいな人たちが百人いたとしても、その百人は団結しているわけではない、互いに互いをヘイトしあっているのだ、この点がディープであり、かつ「がっかり」というポイントでもある、せめて狂信者なら狂信者同士で結び付いていればいいのにと思うが、実はそうではなく全員「自分だけまとも」と思っているのだ。
悪徳業者の百人組がいたとしたら、一人は他の九十九人を「まともじゃない、悪徳で気が狂っているゴミども」と思っており、宗教集団の百人組がいたとしたら、一人は他の九十九人を「まともじゃない、狂信していて魂は真っ黒のゴミども」と思っているのだ/仮に百人の村人が住む無医村があったとして、そこに善意から医者がやってきたら、村人たちは「ヨソ者」を寄ってたかって圧迫し、その医者を村から追い出してしまうことがある、そして医者がいなくなったことについて全員が、「こいつらがまともじゃないせいで、せっかく来てくれた医者もいなくなってしまった」「ゴミどもとは本当に付き合いきれない」と内心で罵り軽蔑する。
業者や宗教のディープな闇、この中で彼らは、やはり表面上は第一に「いい人」のふりをして、第二に「いやな空気にする」ということをする、全員がまったく同じこのパターンをやる、それでいながら、全員が自分だけをまともと思い、実は他の九十九人を軽蔑しているので、この集団は集団でいながら全員が「誰も自分の言っていることを理解しない」というため息まじりの不満を持っている/この、「水面下で他の人すべてを否定している」という人が集まっているのが業者と宗教のディープな闇だ、彼らは実は集団を為してはおらず、同じ性質の者が同じところに行き着いて寄せ集まっただけにすぎない、だから彼らのうち誰か一人が死んだり処罰されたりしても、残る九十九人は必ずその一人を罵って軽蔑するだけだ、百人組の狂信者はそのうちの一人が死んだら悔しんだり惜しんだり悼んだりは一切せず、死体を蹴って罵るだけだ、そうして業者や宗教の闇は、最大の嫌悪と軽蔑が常に仲間に向けられているというところにある、もろん彼ら一人一人は自分だけはそうした汚らしさから無縁で高潔だと思い込んで気分をよくしている。

狂信者は、実は狂信者じゃない人にあこがれている。

狂信者同士で結び付いているわけではないのだ/悪徳業者も宗教も、本当はそうしたことから無縁のまともな人たちと友人になりたいとあこがれている、けれども今さらまともな人たちとはレベルが違って自分は軽蔑され邪魔者扱いされて無視されるだけだとわかっているので、自分が内心で他人を軽蔑できる狂信者の群れにいることを選ぶのだ、悪徳業者は正当な仕事の人には軽蔑されてしまうので、自ら悪徳業者と群れて、他人を「悪徳業者のゴミだ」と軽蔑することで、自分が軽蔑される側であるという恐怖と自尊心の危機から逃れている(なぜか自分がまったく同じことをしていても、自分についてだけはそれを悪徳業者のゴミだとは決して思わない、その破綻ぶりがなぜ平気でまかりとおるのかはよくわからない)。
悪徳業者も宗教も、驚いたことに、本当にあるのは結束どころか「自分以外の九十九人が生贄にされてほしい」という衝動だけだ、そんな中だからこそ、もし自分が生贄にでも選ばれたとすれば、他の九十九人は「やった」と生贄に対して暗いよろこびに満ちるのであって、間違っても自分がそうならないよう、百人すべては常に自分が生贄になる可能性についてパニック寸前で怯えているのだった/こうして相互に最大の恐怖と軽蔑を与えあっているからこそ、そのディープな闇は煮詰まって想像を超えてくる、その闇の深さはもはや形成している当人たちでもまったく直視に堪えないほどだ。
正しく見ないとな | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |