☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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He loves you
ろいろ試しているうちに、考え方が変わる瞬間を得た。
おれは人を愛しているのかというと、「うーん……」とビミョーな感じというか、否定的だったのだが、それがスカッと解決する道筋が見つかった。
おれが人を愛しているのかどうかはどうでもいいことであって、よくよく考えれば、さまざまな聖典によると神仏はちゃんと人を愛してくれていて、あわれみや慈悲を向けてくれているそうだから、それだけでよいのだ、 I love you よりも遥かに担保された He loves you があるのだから、おれが人を愛するや否やなどはどーでもいいのだった。
おれ視点で考えると、人への愛というのは「うーん……」なのだが、何も「おれ視点」などというこの宇宙で最もどうでもいいゴミを基準にする理由がそもそもない、おれは基本的に人というのはアホに見えるのだが、このアホを愛してくださっているというのだからさすがカミサマは懐が深いというかちょっとおれみたいなものには想像もつかんな。

おれ視点はそれ自体がゴミなのでどうでもいいのだが、一方でカミサマ視点でいうと、カミサマが人を愛しているというのはなんとなく感覚でわかる(なんというテキトーな言いようだ)。
だから愛については、おれがおれの何かを言う必要はなく、おれはカミサマの代弁をしていればいいわけだ/ところでカミサマのダイベンというと、臨床心理学の巨人ユングは、幼いころカミサマの大便が空から降り注いで教会を打ち滅ぼすという夢を見たらしい、実に当り障りのある「クソくらえ」のメッセージと言わざるをえない。
それはともかくとして、話としては全体がたいへんスッキリした、人というのはどれだけ同情的に見てもほとんどの場合取り返しがつかないぐらいアホなのだが、人はアホでOKなのだ、人がアホであることと、愛を受けるということに矛盾は生じない、人はアホでOKだしカミサマがそのアホを愛してくださっているということでOKなのだ/むしろハズレ死亡コースは「人が人を愛している」に懸けることだろうな、むしろおれなんかカミサマに愛されつつそのことを100%肯定しているのでポンコツ俗人どもにはどうしようもないのだった。
「オレの愛」「アタシの愛」みたいなものが、おおむねハズレであることは、誰だって直観でわかるところだろう、何しろおれなんか、人としてはどの人からも愛されようがないほど BADNESS に満ちているのに、そんなものよりはるかにデカイ権威たるカミサマから愛されているので、どうしようもないのだ、おれのことが好きじゃない女もおれに対しては強制的にメロメロになるしかないのはこれが理由なのだった、うーん見ようによってはこれはけっこうひどい反則ブレーだな(やめるつもりは毛頭ない)。

人のアホっぷりの最たる所以は、死んで草が生えるところだ。

人は加齢なり病気なりで「ぐおおお〜 死ぬ〜」となり、本当に死にやがるから「死んで草」となる、そりゃカミサマや天の国にある人たちは死なない(永遠のいのちがある)のだから、人が「ぐおおお〜」と死ぬことについては草不可避だろう、このアホにあわれみと慈悲を向けて「愛して」くださっているのだから、すごいことだ、何かとてつもなくすごいことだと感じる、おれは感謝という具合にはあまりならずひたすら「すげえ」とばっかり思う。
カミサマはこの "死ぬアホ" を愛してくださっているのだ、死ぬということは生きているということだが、それは言うなれば「生きてしまっている」ということでもある、生きると死ぬとを分割する知識の実だけを食っていのちの実は食っていないからこんなアホなことになる、このアホを正しく罰しながらも、このアホを愛してくださっているので、ヘンな言い方になるが「じゃんじゃん死んでいい」のだ、そして生死があるというのは何も個体としての生きもののことのみを指さない、そんなわざとらしいものに目をつけなくても、われわれは自分のする営為の中でいくらでも何かを生かしたり死なせたりすることがあるはずだ、われわれは愛されているということをよく知った上でその生かしたり殺したりをじゃんじゃんすればいい(もちろん何を言っているかわからんだろうが、正しいことを言っているのでわからなくていいのだ)。
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