☆いい女☆で行こう!

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人の世と天の国はそっくりで正反対だ2

「男尊女卑」なんかが典型的だが、たとえばおれの場合、「靴が汚れたからテキトーに拭いておいてくれ」と頼んだとしても、どの女性もイヤな顔はしない/イヤな顔はしないどころか、まあ、お察しだ、女性が複数したらにぎやかに仕事の取り合いをしてくれる。
それはいわゆる男尊女卑に見えるかもしれないが、おれは男尊女卑をやろうなんて一ミリも思っていないし、女性の側も男尊女卑をされたなんて一ミリも思わないだろう、そもそもそんな余計な思念が発生する隙間なんかなくて、いつも誰もがにぎやかにやっているだけだ/そもそも、ここが大事なところだと思うが、本当はおれは「靴を拭いておいてくれ」と頼んだりはしないし、そうするようにお願いもしないのだ、「靴が汚れたァ」と言うと誰かが「はいィィ」と応えて動くだけで、何があるかというと「にぎやか」がある、にぎやかがあるのであって男尊女卑など存在していない。
で、このことは何も問題ではないのだが、問題はアホの存在だ、ここでアホはどういう挙動をするかというと、目の前で「男の靴が汚れたのを女性が拭いている」ということだけを見て、「ははーん」と理解するのだ、そして理解したことを整理してシステム化し、制度化しようとする/それで、「チンコの生えているほうを偉くして、チンコの生えていないほうを卑しくすると何かイイらしいぞ!」というルールを強制する共同体を形成していく、それで男女ともいちおうその制度をアテにしてしばらくやってみるのだが、すぐに男女とも内心で「これ意味なくね」「むなしいし、それ以上に恥ずかしいし」「いったん制度化した以上、今さらメンツとして辞められなくて草」となっていく、それでこのクソみたいな制度の中で一生をすりつぶすことを考えると、互いに「向こう側が全員死んでくれないかなあ」という夢を持つようになる。
すべてのことはこのパターンなのだ、たとえばこの世界に何かしら、大なり小なり、輝かしい権威を帯びた「王」が立つことがある、そのナゾの輝かしさと神がかりの力に、思わず戦士たちも平伏して、王を仰ぎ見たのだが、それをまた傍観していたアホが「ははーん」と理解する、「何かこう、土下座して仰ぎみて、ハハーッと言うといいらしいぞ!」と、システム化して制度化し、ねっちりとした共同体を形成していく、そして内心で「むなしいし、恥ずかしいし」「おれを除く全員が絶滅してくれ〜」と夢を持つようになる、このことはメンツで呪縛されているので本当に全員が絶滅するまで強制され続けてしまう。

ライブステージで、天才シンガーが客席を「盛り上がってますかーっ」と煽る、するとドカーンと聴衆が応えるので、それを「ははーん」と理解したアホが、「客席を煽ったら、聴衆はドカーンと応えるように」というお約束制度共同体を形成していく、これもまたむなしくて恥ずかしいのにメンツに呪縛されて滅亡まで続けなくてはならない。
教師が教壇に立ったら、生徒たちは「起立して、一礼してから、そろって着席するとイイらしいぞ!」、聖職者とその共同体関係者は、「モニュメントに向かって拝み倒し、何かむつかしい感じの文言を言い、しめやかにウルウル拝むとイイらしいぞ!」、ずっとそんなことを続けている/続けているというより、今さらやめるわけにはいかないという呪縛なのだ、もし今さらやめたとしたら、「じゃあ今までのは何だったんですかwww」とクソほど大草原不可避にされてしまう、そんなことは到底メンツが許さないだろう。
これらはすべて、典型的な「形骸無実」の制度と儀式だ、この機会にこの四字熟語を覚えよう、これ以上にこの四字熟語にぴったりな事実はないからだ、「形骸無実」、<<偉そうな場所を作って偉そうな服を着せて偉そうなムードにして儀式で人を圧迫する>>、ただそれだけのことで形骸無実の制度が人々に強制されている、これらはすべて、アホがアホ特有の浅い理解で作った天の国のイミテーションだ、イミテーションならイミテーションなりにもうちょっとマシに作れよと言いたくなるのだが、何しろアホはアホだ、アホ当人はそれをイミテーションとは思わず「ガチ」のものだと思っているのだからしょうがない(うーん、アホだ)。
おれだって、まあワークショップの先生をやっているという側面はあるのだが、その中で偉い場所とか偉い服装とかいうのはない、おれはいつもチノパンにTシャツだし、ワークの出だしはいつも小ボケで始まるので、おれはその小ボケネタの絶え間ない奔騰をもって「さすが先生だ」と崇められているのだった/おれは制度や儀式で人を脅迫して何かをさせるということは決してしない、けれどもそれは単純にフレンドリーというわけでもなく、いくらフレンドリーにしていても、実際には人はもっと恐ろしいものをもっとナゾの領域から体験するので、「ひえええ」と勝手にひれ伏すようになるだけだ、誰もそんなことを粛々とやっているわけではない、だから本当に言えるのはやはり「にぎやか」があるということだけだ。

「身分」はどうやら本当にあるっぽいが、それを模擬した「身分制度」はイミテーションにも満たないゴミだ。

たとえば日光東照宮に行くと、故・徳川家康が祀られており、それは「東照大権現」というカミサマと扱われているのだが、今でもこれをカミだと信じている人はあるのだろうか、ほぼ確実に全員が「東照大権現()」と捉えていると思うのだが、当時の幕府マンたちはこれをガチだとする制度や儀式をやらされ続け、そのことは先に述べたように本当に滅ぶまで続けざるをえなかったのだ、その結果、幕府マンたちは「猿・猿・猿」という猿になってしまった、見ない・言わない・聞かないという「すべてを無かったことにする事なかれ主義モンキー」を作って徳川家は当時の人々を制度によって支配した/これは誰かをバカにして言っているのではない、見ないモンキー・言わないモンキー・聞かないモンキー、そうして怯え続けるモンキーたちのみが被支配階級としてふさわしいと捉えた徳川家の率直なところをそのまま述べているだけだ、東照大権現をカミと崇めるということはこの猿たちこそ天の国の住人と認めるということだろう(明治維新後に日光東照宮が破壊されなかったのは不思議だ、おれはその理由を知らない)。
まともな人は誰でもうすうす気づいていると思うが、男尊女卑などというのは草も生えないゴミ制度であって、同時に、男女平等というのも基本的には草の生える制度だ、試みに「人犬平等」みたいな制度を作ってみればどうか、そうなるとハスキー犬がフレンチレストランのテーブル席について食事する権利を持つことになり、そのコント劇の光景は正当に草不可避になるわけだが、じゃあわれわれはふだんは犬を劣等階級として「差別」しているのだろうか? どうみても各家庭でワンちゃんは愛されてご主人ラブでゴキゲンな散歩に連れて行ってもらっているように思うが、じゃあこれを「人犬主従」という制度に定めることにしようか、制度()/このように、つまり何の才能もなく何も視えていないアホが「ははーん」と浅薄な理解でイミテーションでしかない「制度」を作って自ら呪縛死していくから草が生えてしょうがないというのが真相だ、けれどもこれが多くの人の生涯すべてを巻き込んで支配するからいいかげん草も生えないよなあと、憂鬱な歴史も大小積みあがっていくのだった。

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