☆いい女☆で行こう!

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「キラキラしている」とマジで思っているらしい2
れはフィクションの信奉者なので、マンガという表現手段をバカにしたり否定したりしているのではない。
たとえばおれの精神上の兄はジョセフ・ジョースターであって、おれの具体的な訓練も、言ってみれば基本的には波紋の戦士と変わらない、そしておれの実家はコンスタンチノープルであり、おれはかつても今もアサシン教団のアサシンであり、エツィオ・アウディトーレの友人であり同期だった、エツィオとは共にテンプル騎士団と戦ったものだ。
おれにとってわからないのは、たとえばアサシンのコスプレをするというようなことだ、おれはアサシン教団のアサシンなのだから、それが「コスプレ」をするというのは意味がわからない/警察官が警察官の「コスプレ」はしないだろう、それと同じように、アサシンのおれがアサシンのコスプレをすることは発想からして意味不明だ。
ジョセフ・ジョースターがおれの精神上の兄だとして、精神上の兄ということは、本当の兄ということだ、戸籍にも血縁にもおれは実兄はいないし、戸籍や血縁で実兄といってもそんなもん死んでしまったら灰になるだけだから意味がないだろう、精神上の兄はつまり魂が認めるところの兄であって、それ以外に本当の兄など存在しない/そしてジョセフ・ジョースターがおれの兄だということは、おれにとっては当たり前のことなので、おれにとっては何らはしゃぐような要素ではない、なぜおれがおれの本当の兄について「はしゃぐ」ことがあるのか、はしゃぐという反応はまったく意味不明だ。

たとえばおれがまだ二十歳前後だったころ、おれは里村茜と恋仲だったことがある/また、その恋仲が消えてなくなるわけでは決してない。
里村茜と恋仲だったので、おれがいわゆる現実に、「里村茜みたいな女の子」を探す必要はない、すでに里村茜と恋仲にあるのになぜ里村茜を探す必要があるのか、おれの脳みそは常に理路整然としていて変な種類の取り違えはしない。
こうして、おれ自身の歴史の中にマンガ的なものも大いに入り込んでいるのだから、おれがマンガ周辺の表現手段をバカにしているわけでは決してない、むしろおれはフィクションの信奉者として、十分にふさわしい言いようを今ここに述べているだろう、おれはアサシン教団の者でトプカプ宮の夕刻を警邏しており、ジョセフ・ジョースターを兄に持ち、里村茜と恋仲だった、そんなただの事実にはしゃぐような気分は一ミリも湧いてこない。
つまり、マンガをしょせん「マンガチック」なものとして、バカにして消費しているのは現代の "マンガ好き" のほうだろう、マンガをあくまで作り話のイメージ・コンテンツとし、自分の生身がある現実の権威には敵わないものだと、見下げて軽蔑している/おれは違う、おれは波紋の戦士の一人であって "マンガ好き" の一人ではないし、アサシン教団の一人であって "ゲーム好き" の一人ではない。

マンガやアニメが隆盛したが、一方、マンガやアニメは誰にとっても「大切なもの」ではなくなった。

自分がはしゃぐために一時的に消費して使い捨てるものだし、自分をなぐさめるために一時的にハマって飽きたら使い捨てるものだろう? あなたがどう言い訳しても、消費されたマンガアニメの側が、あなたのことを「大切にしてくれた人」とは認めてくれない、それぐらいの心当たりはあるはずだ/おれにとって秘密の先輩はルパン三世であり、おれにとって宇宙の構図は銀河帝国と自由惑星同盟(と、かつては存在したフェザーン)だが、おれはそうしていわゆる現実においては数十年前のものを今も変わらず自分の魂の所属にしている、おれはまさか自分の現実にあてがって補うために大切なものを消費して使い捨てるなんて発想はしない。
今や誰も彼もが、生身をもって「マンガチックイメージ」をなぞることしか許されなくなったわけだが、それはいわば、大切にしてこなかったマンガやアニメの世界から報復を受けているのではないだろうか、自分がこれまで大量にそうしてきたように、これから生身の自分もマンガチックイメージを大変なコストでなぞらされた上に、そのことは消費されて使い捨てにされるのだ、大変なコストをかけて「キラキラしている」みたいなイメージをなぞったものの、それが数か月もすれはオワコンとしてゴミ扱いされていくことになる、だから商品としてのマンガが次々に粗雑化していっているように、これからのあなた自身も粗雑化していくしかしょうがなくない。
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