☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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権力とバケモノ
くの人は、自分を善人だと思っており、自分をバケモノだとは思っていない。
人とバケモノは何が違うのだろう、その差分は「権力」によって浮き彫りにされてくる。
たとえば警察官は犯罪者を取り押さえ逮捕する権利がある、それは職務でもありまた正義ともされている、それが国家権力というものだ、このガスに覆われる中、「正義なのだから犯罪者を乱暴に取り押さえてよい」という獣性が現れてくる/獣はそうして己の蛮性を発揮させてよいという機会に堪えがたい悦びとほくそ笑みを見せる。
そこでおれは冷静に申し上げたいのだが、たとえ警察が凶悪犯を取り押さえるのでも、乱暴に取り押さえてよいという「人」はいない、やむを得ず力づくで抑えるときも、そのこころは嘆きと痛みで満ちていなくてはならない/暴れる凶悪犯なのだから乱暴に取り押さえられても自業自得だ? そら、そのようにしてここにもう一人の凶悪犯が浮き上がったじゃないか。

個人的にブッ潰すというのならまだいい、それが権力によらないものならあくまでそれは「人」のことだ。
たとえばおれが、あくまで個人的に、仮に「黒人どもは気に入らないからブッ潰す」として、何の権利も権力もなく正義もないまま堂々と、「個人的におれが気に入らないのでブッ潰した」として、わけのわからない黒人を通りすがりに叩きのめしたとする、このときおれは「公的に黒人を排除すべきとはまったく思わない」と言い、「あくまで個人的に気に入らないからブッ潰しただけだ、何が正義だろうがおれ個人的には最後までそうする」と言うだろう、これはおれが自ら「おれは凶悪なんでな」と宣言して背負っているので、これはバケモノでも何でもなくただの「そういう奴」だ。
獣性・そのバケモノの本質は、もっと狡猾な局面で出てくるのだ、例えば「あなたは浮気したんだから、わたしに何をされても文句は言えないはずよ」、「お前が勝手に作物を盗んで食中毒になったのだから、最後まで勝手に苦しめばいい」、「御用だ、神妙に縄につけい」、こうして正義の権力を気取ったところに、狡猾にその獣性は湧き出してきて、その人が人ではなくバケモノだったということを明らかにする。
たとえばナチスドイツは、ブッ潰そうぜというノリでユダヤ人を迫害したのではないのだ、あくまで徹底した正義として、正当な権利および彼らの自業自得として、ユダヤ人を絶滅させようということに権力を用いた、つまり路上喫煙者は矢で射ていいとか、スキャンダルが暴露された芸能人は公的にサンドバッグにしてよいというような、昨今の正義思想と同じだ、自分を含めた多くの人がすっかりバケモノになっていたということに気づかないまま、あるいはそのことに目を伏せたまま、状況は進行し続けている。

警察が犯人を抑え込むのだって、痛みがなければ人じゃない。

多くの人は、自分が善と正義の側に属していると思っていて、正義が悪を取り押さえるとなると、痛みではなく「快感!」を覚えて悦に入るのだ、それについてはっきり言っておきたい、それはただの獣性の現れだ、自分が人ではなくバケモノになっているから人の痛みに快感を覚えているのだ/もう一度言っておく、<<バケモノになっているから人の痛みに快感を覚えているのだ>>、人は人の痛みに快感なんか覚えない、そのことは善悪とは無関係で無条件だ。
あくまで個人的に、何の正義も権利もなく、そして正当化して権力を用いるということ一切なく、何か気に入らないものをブチのめすというのであれば、それはバケモノではなく「人」だ、おれもこのさき個人的にどうしても気に入らない何かを叩きのめすという可能性をゼロにはできないが、そのときクソみたいな痛みの中でそれをするなら人だけれども、そのとき快感を覚えて悦に入るならそのときはバケモノであって、おれの生きる値打ちはゼロどころかただのマイナスになるだろう、せめて正義やら権利やらで正当化して権力に頼って快感で絶頂するというような弱すぎて醜い者にはなりたくない、せめて個人的にブチのめせるぐらいには強くまともな人でありたい。
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