☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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その明るい暮らしはノーサンキューだ
軍の威光にケチをつけるようなことをすれば、即刻処罰だし、まして外国と接触しようものなら、処刑は免れない。
鎖国には理由があるのかないのか、よくわからないが、とにかく将軍の一族を守ることが最優先であって、民草に飢饉が起こったとしてもそのことはどうでもいいというか、しょせん民草の死など些細なことにすぎない、農民が死ぬと年貢高が減ってやや困るというだけだ。
民草はすべからく、将軍とその家系を敬わねばならない、それだけをやっていればよい、そして役人たちはそのことについて絶対の権限を持っている、このことに反した民草はいくらでも処刑してかまわない/たとえ諸外国と比較して生活水準や科学技術が劣っていようが、そんなことを民草どもは知らなくていいのだ、とにかく将軍に従っていればいい。
ん? おれは江戸時代の話をしているとは言っていない、ひょっとしたら北朝鮮のことかもしれないだろう、こうして話してみると、この話が日本の江戸時代なのか近年の北朝鮮なのか区別はつかないのだった。

おれは北朝鮮に行ったこともないのでしょせんは風聞でしかないが、とりあえずいわゆる脱北者のレポートを聞いてひとつ驚いたことがある。
それは、その脱北者に言わせると、案の定「国民はみんな政府に洗脳されていた」ということで、「飢饉が起こってこのままでは死んでしまうので脱北した」ということだったのだが、一方でその脱北者は、「北朝鮮であっても、人々の暮らしはみな同じ、みんな笑って温めあいながら暮らしている」とも嬉しそうに言うのだ。
その脱北者は、「ひょっとしたら、豊かな国のほうが、心の冷たさはあるかもしれない」とも言い、「北朝鮮では、何もかもが決められているので、何も考えることがなかったから」と笑って言った/将軍様を称えるのみの社会、そこにはあたたかく笑いあう暮らしがあったということだが、これを聞いておれはなるほどと思い、時代劇に示される江戸時代、封建社会への憧憬、「江戸時代は明るかった」と言いたがる説の根拠を得たように思った。
ポルポトを代表に、共産主義も極端な愚民政策に傾くのが常だった、つまり封建制と同じく「指導者がすべてを決めるから、民草は何も考えずみんなで農作と土木を言われるままやっていればいい」と強制する制度だ、このことには一種の郷愁と、知られざる一種の明るさがあるのだろう/だがおれはその明るさはけっきょくインチキだと思っている、それは闇と戦って超克した明るさではないのだ、むろんわれわれのうちほとんどの者はその戦いに勝てるほど強くないのだということも知ってはいるが、かといって敗北者に与えられる明るさを肯定するなど、さらにただならぬ危険と底深い不穏をおれは感じる、おれはそういうエセの明るさはノーサンキューだ。

「アホのままでいていいよ」と言いつけるのがなぜ "指導者" なんだ。

将軍は民草たちに、まさにその「アホのままでいるように」「アホのまま指導者に平伏し続けて言いなりになるように」ということを求め、また強制したのだろう、そして冷静に考えれば人々に「アホ」の保存を与える者のどこが "指導者" なんだ/「おらは農民なので何も知らなくていいんだ、畑を耕していればいいさぁ」なんて言い分を、たとえば吉田松陰が許したと思うか、吉田松陰はまったくその逆を高らかに説諭しただろう。
 "指導者" の元で愚民化して、明るい暮らしとほほえみの毎日、というような、将軍とアホたちの夢におれは与さない、万人を幸福へと統べる指導者なんて空想でしかないし、アホがアホのままで救われるというのも空想でしかない、この両極の空想組が合致して暴力的制度を作るなんてまっぴらごめんだ/アホのままでいたいんですと言えば吉田松陰はとびきりの声であなたに破門を言い渡しただろうし、目を覚ましたいんですと言えば将軍はとびきりの本性であなたに獄門を言い渡すだろう、「アホのままでいていい」という気の狂った発想をなぜ夢のように思うのかおれにはナゾだ。
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