☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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おれが奇人でありつづけるために
2020年の「ぷよぷよ」公式試合、「ぷよぷよファイナルズ SEASON2」の決勝戦はすさまじい戦いだった、のちに伝説の一戦と語り継がれてもいいような内容だった。
一方で、「世の中」は本当に、おれのまったく知らない世の中になりつつあるのだと思う/おれはその試合のすさまじさに魂が震えていたのだが、観客やスタッフはそんなに取り乱すというふうではなかったのだ、これは悪口を言っているのではなく、おれがいかに世の中とズレまくっているかという、自覚とその報告でしかない。
おれはもう四半世紀も前に最初期のぷよぷよをやりこんでいたという思い出をもとに観戦しているにすぎないので、もしぷよぷよを競技としてプレイしたら、解説の若い女の子にもボロ負けするんじゃないかなと思う、「世の中」は本当におれの知らない世の中になっていて、万事のレベルはめちゃくちゃに上がっているのだ、そして魂が震えるとかいって取り乱すようなアホはもう誰も残っていない、あるいはもともとおれがそういう珍しい奇人だっただけでかつてもそんな奴はいなかったのかもしれない。
万事のレベルはめちゃくちゃに上がっていて、今や「ぷよぷよ」というひとつのゲームも、公式に戦うのは「プロ」のプレイヤーという前提だ、そして確かにそこにはプロレベルと呼ぶべき次元が確立されていて、おれが遊んでいた「ゲーム」という世界とはまったく異なるものがある、万事のレベルはめちゃくちゃに上がっているので、このまますべてのものはプロ化していくのだろうか、すべては職業化されていって、「遊ぶ」なんてことは日向のプロに対して物陰でこっそりと遊ばねばならなくなるのだろうか。

おれにはわからなくなってしまったことがたくさんある、たとえば2020年度に優勝したプレイヤーは「ともくん」という高校生らしいのだが、この「ともくん」の風貌を指して「チー牛」呼ばわりするのが通例のノリでありシャレというムードらしいのだ、ところがおれは少年の青春に対して大のオトナがわざわざディスって掛かる理由も動機もよくわからないでいる、「大人が少年の青春を肯定しなくてどうするんだ」と、批判というよりは単純に「???」となる(本当におれがズレているのだと思う)。
おれが高校生のころ、ゲームセンターに通い詰めで、確かによく「なか卯」でメシを食ったものだった、頭の中では「スト供廚龍遒碓きをあれこれ思い浮かべながらだ、おれにはなぜそのことが唾を吐かれるようにディスられなくてはならないのかがよくわからない、ゲーセン通いでなか卯でメシを食うような青春はダサいのかもしれないが、おれは当時の自分の青春を、「日焼けしたマッチョで女をヤリ捨てにしてトレーダーとして名を馳せて六本木でシャトーブリアンを食っている」という青春に取り替えたいとは思わない/おれは「ともくん」の見せたプレーについて「すげえ」「行き着くところまで行き着いてるわ」と驚嘆と感動しかしなかった、そこでなぜ「チー牛」が感想のファーストチョイスになるのかおれにはまったくわからないのだ。
同じく天才的な少年プレイヤーというと、将棋の藤井聡太棋士が有名だが、彼に対してもなぜやたらにキャラ扱いして、チヤホヤしたり逆に安いおもちゃのような扱いをしたりするのか、おれにはまったくわからないのだ、少年や少女の青春に大のオトナが首を突っ込むものなのだろうか/そのあたり、部外者でも首をつっこんで何か揶揄をしないと気が収まらないという、一種の体質が、いわゆる流行の「マウント」という精神なのかもしれないが、おれはけっきょくその精神がよくわかっていないのだと痛感する、おれは本当に批判しているのではなくて本当にわかっていないのだ、それで毎回同じことで「えっ!?」とびっくりしている。
おれはけっきょく、そうした奇人でありつづけたいから、この先はますますそうした「わかっていない奴」として浮き続けていかねばならないのだろう、まあそんなことは慣れっこというか世の中から浮いていなかったことはほぼないのでただの通常運行ということになるけれども、さしあたりおれが発想するのは「ともくん」に対して「メシでもおごるわ」という一点のみに尽きる、それがおれの正直なところのファーストチョイスであって、それが「チー牛」呼ばわりになる発想はおれにはどうしても感覚的にわからないのだった(※当の「ともくん」はぜんぜん気にしていないらしいので、まあどうでもいいのかもしれない)。

ぷよぷよの決勝戦は異次元すぎて魂が震えたし、チー牛呼ばわりも異次元すぎて魂が凍った。

ふと気づけば、本当に「世の中」がわからないブツになってしまったので、逆に考えると、世の中からおれを見た場合も、おれはまったくわからないブツに成り果てているのだろう、おれは望んで奇人でありつづけるしかなくて、おれは本当にガチで何の演出でもなく、夜中に一人で吉野家で牛丼を食ったりするのが好きなのだった、自分のやるべきことを携えて夜中一人で歩いている先、吉野家の看板が光っているのは、しつこく続くおれの青春のオマケ的ワンシーンと言える。
ゲームがプロレベルを確立することもよくわからないが、同時に、万事のプロレベルに対して常にディスとマウントをファーストチョイスするというのも、いわばこの現代のプロ、世の中のプロ、また観客のプロという風情なのかもしれない、いわばおれはプロ集団の中に一人だけズブの素人が紛れ込んでしまったというような状態になっているのかもしれない、おれはプロというのは単なるカネ稼ぎのことを意味しているのではないと思っていたのだが、そのあたりの発想もけっきょくおれがいつまでも素人だという証なのかもしれない。
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