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WS報告 of 191st/幼児的万能感と被害者感情
まに心理学関連に、投げやりに出てくる「幼児的万能感」というのが、よくわからなかった/心理学といっても、ふつうの心理学者が人のこころに深入りして付き合ってきたわけではないので、まあアテにならない、本棚に人のこころがあるわけではない(そして本棚より人のこころのほうがエライわけでもない)。
おれなりに、幼児的万能感というやつの正体がわかった、正体というより実情がわかった、幼児的万能感とはどんなものであり、何のために存在しているかというと、要するに現代のわれわれが毎日を明るく過ごすために役立っている/もちろん万能感なんてものは空想でしかないのだが、それを妄想化することで、日々を楽しくしているのだ、いわば幼児的万能感は現代人たちの「こころの拠り所」だと捉えていい。
「万能感」というのはつまり、「万事、自分が思い描いたとおりにやれる(気がする)」と思い込んでいる、その妄想のことだ、心理学的には妄想というよりはただの思い込みかもしれない、が、うるせえ、はっきりいえば妄想だ/何かよくわからないが、カーネギーホールに人を集めて自分が壇上から唄うと、感動の嵐と拍手喝采が起こるものだという妄想・前提があるのだ、「じゃあ実際にやってみろ」ということになるが、もし本当にそんなことを実際にやったら見るも無残な惨劇が起こるのは常識的に当たり前だ。
なんというか、男女とも、クリスマスにデートして宵の街を歩いたら、何かいいこと・いいムード、そしてロマンチックな愛うんたらが体験できるという妄想があるのだろう、それは残念ながら錯覚だ、「じゃあ実際にやってみろ」という、その実際を避けてまわっているから妄想に浸っていられるだけだ、毎日がつまんねー情熱ナシナシマンがカーネギーホールに立とうがクリスマスの宵を歩こうが、実際に得られるのは目も当てられない「つまんねー」なのだ、あなたが大企業のスーパーバイザーになったとしてもあなたは何の役にも立たないし、業績をあげるどころか状況判断の能力さえないだろう、だって日経新聞に何が書いてあるかもわからないじゃないか、それが当たり前のことなのだが、そういう当たり前を押しつぶして自分には秘められたる万能性があるという前提で生きているから、妄想の中では楽しく生きられるのだった、こうして幼児的万能感は人々が日々楽しく生きることに役立っている。

マンガの読みすぎ・アニメの見過ぎをやるとこんな感じになるのだろう、あるいはテレビドラマやスポーツ観戦も含め、世の中にある「コンテンツ」というものの多くはけっきょくそれでしかないのかもしれない、「幼児的万能感のエサ」が人々を明るく生きさせているということなのかもしれない/それが悪いと言っているわけではない、ただおれがそのことを知らなかった・気づかなかったというだけだ。
幼児的万能感の特徴として、「じゃあ実際にやってみろ」「お前の力でやってみろ」と言われると、急激に「被害者」になり、「追い詰められた」という感情を持ち、その状況をもたらした人を憎らしく恨む、ということがある、「実際に」ということを問われない万能感妄想が楽しく生きる拠り所なのだから、この拠り所を奪われると人は途端に楽しく生きられなくなる、だから当人は「被害者」になるのだ、振り返ればおれはかつてこのパターンで急激なパニック症状を起こす人をたくさん見てきた、おれは決してそれをバカにしているのではない、おれはもはや何についても打開と解決のことしか考えていない。
今回のワークショップでは、「おれとまったく同じことをやってみろ」という課題を与えた、それも元となる動画、台本をきっちり与え、尺としてはごく限られた数分のことを、各員に分担させてやらせるという補助つきだ、それでもこうすることで初めて、各員は「自分の思い描いていたようにはできない」ということをはっきり体験できた、おれのバージョンと各員のバージョンを数秒ごとに切り替えて比較する資料映像まで作成したのだ、これはおれがいじわるをしているのではない、おれは誰のことも幼児とは扱いたくないだけだ。
今、多くの人の中には幼児的万能感が残存していて、人によっては残存どころか今もなおフル稼働中ということがよくある、ここでこの万能感妄想に直接否定のメスが入ると、多くの人は「ショック」を受けるようなのだが、冷静に見ればそんな万能感を土台に生きている人がいるということのほうが客観的にはショックだ/おれは現実を突きつけるなんてヒマなことをやっているのではない、失われた現実を取り戻させようとしているだけだ、現実的には何も楽しくないという恐怖がヒシヒシあるのもよくわかるが、それは現実に負けた者の現実でしかない、情熱と踏破を為す者の現実はお前らの知っている現実とは異なる。

できないど真ん中に立った奴だけ、できるど真ん中とつながる。

おれはこのことを、「栄光と恥は一直線上にある」と呼んでいる、恥というのは痛みの一種で、しかも致命的な痛みだからふつう避けるしかないものだが、あえてこのど真ん中に立つことができた奴だけ、栄光のど真ん中とつながり、それを得る可能性を与えられるのだ、栄光と恥は同一の数直線上にある両極であり、恥のど真ん中に立った者だけが栄光のど真ん中を見上げることができるからだ。
おれの言っているところの出来るとか出来ないとかいうのは、けっきょく能力の問題じゃない、誰もおれみたいに恥のど真ん中には立てないだろうということを言っているだけで、またそこに立ち続けることはさらにできないだろうと言っているだけだ/おれの恥について多くの "健全な" 人々は目くじらを立てて攻撃するだろうが、そうして彼らがパニック感情を起こすのはちゃんとそうした仕組みがあるのだ。
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