☆いい女☆で行こう!

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オバハンがロマンチックになりえない原理

「オバハン」とは、世間・共同体との接続および連携を持っている女性のことを指す。
オバハンが井戸端会議をしているのではなく、井戸端会議の列席する女性たちをオバハンというのだ、彼女らは世間や共同体で共有される噂話や圧力等の「主権」に参画することでオバハンになっている。
オバハンがロマンチックになりえないのは、この原理による、つまりオバハンというのは世間・共同体の「党員」であって、一個人ではないということなのだ、彼女らはそうして個人という存在を失う代わりに、連帯する党という力を持つことになるので、ユニットとしては強力になる。
ロマンチックな少女が、例えば誰かと誰かの殴り合いを見たとすると、彼女はそのことを井戸端会議での噂話のネタにはしないが、オバハンは必ずそれを噂話のネタにする、オバハンは党員で少女は個人なのだ、だからオバハンのほうがユニットとして強く、少女のほうが弱い。

そして、今どき「少女」なんて言い方をしても、それはほとんど仮想のものであって、思春期になれば誰もが端末とSNSで一定の世間に接続し、そこで連携すること・政治することを知っているので、現代において女性は思春期からオバハンになるのだ、これは必ずしも悪いことばかりではない、思春期からすでにユニットとしては「強力」になれるということだ。
女性がそうしてユニットとして強力になれるということは、たとえばセクハラ被害を未然に防ぐ抑止力を持つということになる、昔は学校の先生といえば気の弱い女子生徒にセクハラするのが定番のスタイルというか、どこの学校にも「いるいる」というお決まりの存在だったのだが、女子生徒がすでに端末から世間に接続していることで、この不法行為は抑止されるようになった(といっても根絶にはまったく至らないだろうけれども)(昔はもっとひどかったのだ)。
とはいえ、女性が思春期からすでに強力なオバハンであるという事実は、青春とロマンチックな夢およびその可能性を根こそぎ断ってしまっている、たとえばおれが書き話しているこの記事も、もし気にくわなくて「許せない」と感じる人があれば、その人は個人としておれを論難してくるというよりは、こういったものを嫌う「世間」にこれを晒して潰してやろうという発想をするはずだ、いわゆる「炎上」という世間攻撃を第一に発想するはず、その発想はもちろん中学一年の女子にもある。
ここで、もし少年が少女に愛を向けようとしても、そのたどたどしい愛の言葉や、不慣れでうわっ滑りの愛のふるまいは、その少女ひとりに笑われるのではなくて、SNSに広告されて世間の全体に知られるという状況にあるのだ、じゃあ少年たちはどう対応するかというと、いざというとき世間に広告されても咎めがないように、何かしら定番のキャラや「かわいいボク」みたいなものを確固とした担保として前面に押し出しておくしかないのだ、とてもじゃないが少年が少女に真心を向けられるような状況ではない、ささやかなミスひとつでもただちに断罪ネタとして世間の俎上に載せられるのだ、冷静に考えて「オバハンに真心を向ける」なんてことは誰にとってもありえず、それはオバハンが世間の党員として政治的に強力なユニットである以上は安全保障として致し方ないところだ。

少年が少女に向ける態度は、少年がその少女の母親に向ける態度と同じだ。

旧来、少年と少女とその母親がいたとすれば、少女の母親なんて距離的に遠く、よそよそしいものだった、なるべくかわいがられようとはするけれども、なにせ大人と子供だ、そして少女のほうはそうではない、少女のほうは世間とのつながりや連携を持っていない一人の個人だった、かつて少年はこの一人の個人たる少女に愛を向けて何かを見つけようとしていた/これは懐古主義として申し上げているのではない、そうではなく逆、今ある現実を明視すべきだと申し上げているつもりだ。
少年から見て、よもや少女の「母親」に、真剣なまなざしやら魂やらハートやら真心やらを向けるわけがない、なるべく「かわいがられるボク」を保とうとするはずだ、そして現代においては少女というのも、その母親と同じくらい強力なユニットで、何であれば母親よりも抑止力として強力なユニットたりえる場合もある、つまり常時、「SNSで党に拡散するぞ」という手段が、切り札というよりは常識的な手続きとして手元に準備されているということ、この中に少年と少女がいたとして、「オレとお前の問題」というものはすでに存在しない/少女がオバハンの自衛力を持ったという安全性の側面と、ロマンチックにはなりようがないという喪失の側面があるということだ、このことじたいには是非もない、なぜならどの時代でも「旧来のありように戻る」ということはできないからだ。

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