☆いい女☆で行こう!

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あの空の下
はりいのちは永遠であって、生は有限だ、永遠のいのちがないから有限の生が直視できないのだろう。
おれはずっと、ひとつの空の下にいたことを思い出す、夏バテが抜けたから体調がいいんだろうな、いかなるときも呼吸をするのが気持ちよかった/体調が気持ちいいのではない、空気が、天の下の宝石のように気持ちよかった。
世の中がどれだけのものを展開しても、それらは「違うもの」だ、おれの話していることは誤解しかされないということが、どうしようもなく理解される、まったく「違うもの」に変換されるのだ、それは今さらしょうがないことだが、必ずしもそのことが致命傷というわけでもない。
おれがみんなにわかるように話をしようとすると、おれも表面上、何かを軽度に誤解した状態を偽装して話をするしかなくなる、こうすればおれの話は誰にもわかるようになるが、このときはもうおれの話すことに値打ちはないのだ、ああ何もかもが誤解にしかならない、これはシビアなことだからしょうがない。

おれは満天の星空をまともに見ることができない、あまりにも巨大すぎて恐ろしいからだ、まるで天体望遠鏡で宇宙のすべてを一気に視ているような感覚があり、恐ろしくてしょうがない、それは「心臓がもたんわ」というような感覚だ。
このことひとつをとっても、おれに視えているものは他の人とはまったく違うのだ、もしおれと同じものが視えたら、ふつうの人は夜空なんか見上げたら発狂するだろう、このおれでさえ「恐ろしい」「心臓がもたん」と言っているのだ、おれと同じものをふつうの人が視たら正気を保てるわけがない。
そうした星空(というかそれはただの宇宙そのもの)も含め、おれはいくつもの「あのときの空」という記憶があり、すべてのまともな思い出は、ことごとくその空の下でのみ起こっていることが確認される、おれが書く小説もだ、「あのときの空」はいつでもひとつのつながりを持った空であり、こうして言い方がややこしくなるのは、「あのときの空」には時間が流れていないからだ、そしておれは、時間の流れていない空の下で、やはり時間の流れていない空気を吸っている、天の下の宝石のような空気を。
ああ、そうか、これは夢うつつに見たことだが、やはり人はダメなのだ、人はそもそもダメであって、ただあの空の下にあるときだけ、人はダメな存在のまま許されることができるのだ、なぜ許されるのかはさっぱりわからない、われわれの知るような仕組みではない、多くの人は健全でまともで善良なふりをし、自分自身もその思い込みに掛かっているが、そうしてダメじゃない人のふりを続けざるをえないのは、あの空の下にないからだ、おれが見てきた学校の先生たちがそれだった。

「カワイイ」を演出しているのは、空の下にないからだ。

愛されるということと、現代でいう「カワイイ」というのはまったく別のもので、愛されるというのは、人の本質であるダメなものが、そのままでいて許されるということだ、なぜ許されるかというとあるときに疑いを持たなかったからで、何かを信じているというよりは単に疑い・不満を持たなかったことで許された、疑いを持っていない人は不満を持ちようがないので、不満と満足を比べっこするような愚行にも陥らない。
おれの言っていることは誤解しかされない、誤解しかされないのだが、一方でわけのわからない作用はおれから届き続ける、この作用が何なのかついにわかる人はけっきょく現れないのかもしれない、だがそれでいい、何しろもともとがダメな存在というのがわれわれの本分だ、おれにある唯一の本当のことは、本当に「あの空の下」というものがあって、あの空の下の空気を直接吸えるということだ、おれはそれを吸って存在してきた、それがすべての世界を与えてきてくれた、おれはわざわざ何かを信じてきたわけではなくて、ずっと吸っている「あの空の下」が、ただすべてを「許して」きてくれた、世界とはそれのことだった。
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