☆いい女☆で行こう!

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WS報告 of 194th/まだ人じゃない
ークショップはオンラインでしつこく継続しているのだ、コロナごときで頓挫するわけねーぜという反骨の見せ所である。
「君たちはこれまで人に出会ったことがなかった」「また、自分が人であったこともまだないのだ」と話した。
この先の自分に「変化がないような気がする」というのは、予感でも何でもないし大人になったのでもない、単に扉が閉じたままだから閉塞しているだけだ。
自分が変化しないということは、自分が完成しているということだが、何のこっちゃない、まだ扉を開いたことがないから、完成しているのではなく「まだ始まってもいない」というだけだ/まだ始まっていなくて閉鎖されているならまるで完成しているかのように錯覚してしまうだろう。

おれが言うところの「人」とは、人格ではなくて主体性のことだ。
人格で接触すると相手からは人格が返ってくるが、主体性で接触すると主体性が返ってくる、少なくともそういう場合がある。
厳密にいうと、こちらから接触の人格をなしにして主体性だけで接触すると、相手にも主体性の現象しか起こらなくなるのだが、何しろ相手もそうした現象はまったく未体験で、かつ一種の呪縛が掛かっているので、相手は混乱してありもしない人格で返答しようとする、この場合よく知られたケースとして相手は「自分だけ空回りした人格を晒す」ということになる/「よく知られた」といってもこんなことはこのナゾのワークショップ員しか知らないが、まあもう睡眠不足なので表現を整える余裕がないのだ。
人格と人格が接触する場合、それは自分と他人がヤッサモッサすることになり、それを「人付き合い」なんてごまかしていても、早晩「意味ねええええ」ということに気づいてしまう、そしてサルトルのように嘔吐しながら「地獄とは他人のことだ」と言い出すことになる、おれが言っているのはそういう現象のことじゃない、「まったく別の、お前らの知らない現象がある」と言った、「お前らの喫緊の、かつ至上の命題は、この主体性が呼応するという現象を原体験として得ることだ」。

おれがチョコレートムースを食いたいといえば、他の誰だって「買ってこなきゃ」「作らなきゃ」と反応する。

だからおれの場合、おれと誰かという、自分と他人が話しているのではないのだ、おれの主体性が相手の主体性になって流入するので、おれの求めは相手にとって当事者としての求めになり、またおれのよろこびは相手にとって当事者としてのよろこびになる。
おれが「チョコレートムース食べたい」と言って、無条件で「買ってきます」というとき、それを買いに行く奴は、おつかいではなく幸福の中にある、該当者は毎回「なんだこれは」と体験してきただろう、そのとき主体性の中を歩いているのだ、そこにいる自分も自分でなはく、他人も他人ではない、主体性が歩いているという世界を視るのだ、そのことに不満を持った奴はこれまでいない。
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