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おれだけが異様に気楽な理由3
約聖書には、「金持ちが天の国に入るのは、らくだが針の穴を通るよりむつかしい」と書かれている/書かれているというか、イエスキリストがそのように教えたとレポートされている。
おれはキリスト教のことはよくわからないが、それはさておき、おれもこれまでに、それなりの数の金持ちを見てきた、二百万円の腕時計をしている女子大生や十億円の家に住んでいるご夫婦や誕生日に遊園地を借り切るような人たちとも交流したことがある。
そして、そうしたお金持ちの人々と接触するたびに、おれとしては内心で「???」と首をかしげるところがあったのだ、それだけ資産が潤沢にあるのなら、何でも自分のやりたいことをやればいいのにと思うのだが、一方でもっと直接、何か「どうしようもないもの」を感じてもいた、「金持ちは金持ちで "どうにもならない" んだ」という直観をおれは積み重ねてきている/おれは貧乏人より金持ちのほうが好きだが、金持ちは必ずしも金持ちが好きではなかった。
今になってそれが何の直観だったのかわかるのだが、それはつまり、お金持ちは自分の「生」を減らせないのだ、たとえ慈善事業に寄付したとしても、少々のことでは金持ちの「生」は減らない、資産が100億ある人が50億を慈善に突っ込んだとしても、やはり金持ちの「生」はまだまだ余剰がありまくってマイナスは出ないのだ、だから彼らの器には一切「命」が注がれない、このことは聖書にもあるし仏教でも言われる貧者の一灯にも伝えられている、貧者の一灯というのは仏教というよりただの慣用句で一般教養かもしれない。

何度も言うように、水の反対が油であるように、生の反対が命なのだ、そしてわれわれには「器量」というような一定の容量を定められた器(うつわ)のようなものがあるとして、生がマイナスにならないと命の入る場所がないのだ/たとえば容量が100のところに生が80ならば命が20入る余地が生じるという、ただそれだけのことだ。
ここでお金持ちというのは、容量100に対して生がたとえば10000000000もあるのだから、「そんなもんどう使っても容量に空きは出ねぇよ」ということ、このことを指して「金持ちが天の国に入るのはらくだが針の穴を通るよりむつかしい」と言われている。
命をちょびっとでもゲットしようとすると、器から生をちょびっとだけマイナスさせないといけないのだ、そう考えると現在のおれが一般より異様に気楽な理由について一端が説明できる、おれはもうずっと前に「まあ野垂れ死んでもいいや」と思い、何もかも放り出しておれ自身が信じることだけをするようになり、そしてもう長いあいだ「なんでコイツ死なないんだろう? 不思議だ」と感じているのだった/ふつう生きるというのはもっと大変で、こんなにテキトーにやっていたらさっさと破滅しているはずなのに、なぜかコイツはなんだかんだで生き延びている、その理由は不明だ。
おれも大学生のころには青春らしく、自殺念慮や未遂などがあったが、今はもうわざとらしい自死の発想はない、それどころか多大な命・魂をゲットするのに、生が元手になるならその元手だって「もっとよこせ」という渇望があるばかりだ、おれがこのわけのわからない生をぜんぶ命に代えてやるからもっとよこせという、悪徳ファンド業者のようなマインドで生きているのだった、そりゃおれが善良慈善業者のようなマインドで生きたら気持ち悪ィもんな。

とはいえ、永遠の命を有限の生に換金する悪霊ファンドよりはマシだと自負する。

新約聖書にはパリサイ派(ファリサイ派)がボロクソに言われるというシーンが多出するが、新約聖書いわくパリサイ派が何をやっていたかというと、聖書やら神殿やら祈りやらの「永遠の命」に係わるものを自分たちの "食いぶち" に換金するという行為をしていたのだ/「神殿を強盗の巣にして、自分たちのためだけのしきたりを他人に強要して、あとは未亡人につけこんで食い物にしているだけだろ、お前らはホント生まれてこないほうがよかった」と、キリストは満座の中でフルスロットルで弾劾するので、パリサイ派が激昂してキリストを処刑してしまったという、これは一般教養ていどにも知られていてよい新約聖書のストーリーだ。
誰にとっても有限な生を、誰もが有効活用するべきだと思う、生そのものが資産なのだから、それを突っ込んで永遠の口座にビッグリターンがあるならアタリだし、永遠の口座にノーリターンならハズレだ、そして有限の口座にリターンがあるのは生業であって、それはアタリでもないしハズレでもない、ただのナッシングだろう、どうせナッシングならざくざく増えてほしいというのもわかるが、一方で「金持ちは金持ちで "どうにもならない" んだ」ということもおれは見てきた/さしあたりおれ自身は、これまで自分でやけくそのように突っ込んできた生は、ことごとくおれの命に両替されて永遠の口座に振り込まれてきた、それがおれだけが異様に気楽な理由だ。
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