☆いい女☆で行こう!

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WS報告 of 197th/エネルギーのある奴というのは、「わたし」が肉体の外側に出ている奴だ
肉を10kgつけたって、「わたし」が増えたわけではないし、ぜい肉を10kg落としたって、「わたし」が減ったわけではない。
英単語を1000語覚えたって、「わたし」が増えたわけではない、学歴を得たって「わたし」が増えたわけではない、一万円をうっかり落としたって「わたし」が減ったわけではないし、事故で片足を失った人だって「わたし」を減らしてしまったわけではない。
そもそも「わたし」というのは、具体的でないというか、それ以前に量的でない、つまり完全なわたしが1わたしで、ちょっと減ったわたしが0.7わたしというようなものではない、「わたし」という現象は増えたり減ったりしないものだ。
ということは、われわれは生きるうち、「わたし」に何かを足したりしなくていいし、「わたし」から何かを失うことを気にしなくていいわけだ、何をどうやったって「わたし」は増減しないのだから、何を足しても減らしても同じだ、「わたし」の増減はずっとゼロだ。

「わたし」はいつから「わたし」なのか、われわれがそれを自覚して "記憶" に得るのはいわゆる「物心ついたころ」だ、では二歳以前には「わたし」が存在しないのか/そんなことはない、もしそこに「わたし」がいないのであれば、0歳児は「殺してもかまわん」ということになってしまう。
0歳児だって、デコピンをしていじめたら苦しんで泣くわけで、泣いているのは誰かというと「その子」だ、じゃあその子は「わたし」の一人として存在している、もしそこに「わたし」が存在していないならただの物品でしかない/0歳児はまだ「思う」とか「記憶する」とかの機能を得ていないだけだ、0歳児は「やめろ、迷惑な奴め」とか「ちくしょう、復讐してやる」とかを思わないだけであって、そこに「わたし」が存在していないとは言えない。
この世に生を享ける前に、「わたし」は存在していたのだろうか? もし存在していたとしても、その記憶がないのだから当人も確信なんか持てない、じゃあ生を享ける前に「わたし」は存在していなかったかというと、それも断言できない。
なぜ断言できないかというと、こうだ/仮に、生を享ける前に「わたし」は存在していなかったとして、「じゃあ、ゼロから突然、どこからともなく、 "ワタシデース" とお前は出現したのか」「卵子が精子を受けて、卵割が始まったとして、細胞が何個になった瞬間にお前は "ワタシデース" になったんだ」「お前が出現するコンマ一秒前までお前は存在していなくて、ある瞬間から突然 "ワタシデース" か」、けっきょくこれらのことはいかにも不自然というか脈絡が成り立っていないので、誰でも考えればわかるとおり、われわれの持つ「わたし」という現象は「測定」を担保にした科学の方法では追求できない、そもそも炭素や酸素や窒素や水素の原子を寄せ集めてそれが何かの瞬間に「ワタシデース」になるということは認められない、炭水化物やタンパク質を寄せ集めてもそこから「わたし」は生じない。

生まれる前から、また死んだあとも、「わたし」はいっさい増えもしないし減りもしない。

だからわれわれが「わたし」について、得なくてはならないものはないし、失ってはならないものもない、「わたし」に追加的に何かを足すことはできないし、減らすこともできないだ、「わたし」と「わたしの思い」は別であって、「わたしの思い」というのは肉体の自我機能に結び付いて生じており、つまり「思う」は肉体に生じている、肉体はイコール「わたし」ではないので、一般にわたしの思いと思われているのは正確には「わたしの肉体に生じている思い」だ、これは「記憶」に置き換えてもまったく同じだ。
われわれの肉体には、「思い」や「記憶」や「時間間隔」が生じていて、これらはあくまで肉体の体験であって「わたし」の体験ではない、ただわれわれの「わたし」が、自分にあてがわれた肉体に執着するから、「わたしの肉体」と「わたし」が呪縛レベルで結び付いてしまうだけだ/「だからエネルギーのある奴にならないんだよ」「そして隣人愛も成り立たないんだ」とおれは話した。
 
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