☆いい女☆で行こう!

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天才の正体2
「せいぞく」で変換すると「聖俗」という熟語が出てくる、聖と俗はそれぞれ反対の語だ。
俗は「俗世間」といい、世間が俗の性質で成り立っていることがわかるが、これに対照するなら、聖は「聖天」ということになる、仏教方面ではこれはガネーシャのことでショウデンとかショウテンとか読むが、そんなことはどうでもいい、ここでは「俗世間」と「聖天」が対照される。
俗・世から情報を得る者は「人」であり、聖・から情報を得るものは「才」ということになる、ここでこのように言われるべきだ、<<を否定する者は俗世の恩恵を享けられないし、才を否定する者は聖の恩恵を享けられない>>。
俗世間の恩恵を享けられないというのはとんでもないことだ、稼ぎ口はないしスーパーマーケットで買い物もできないし水道や電気も病院も使えないのだから最早まともに生きていくことは困難だろう、そしてその反対側で、天才の恩恵を享けられないというのもぼちぼちとんでもないことで、稼ぎ口はあってスーパーマーケットで買い物はできるし水道も電気も病院も使えるのだが、生きていて何の世界もないということになる、もはや生きているのか何なのか意味がわからないだろう/おれは俗世間を否定しているわけではない、おれが俗世間で購入したカッコイイ iPhone SE 2nd に比べれば他の誰かが使っているスマホなんか全て二流のポンコツみたいなもんだ、そうして偉大なるおれさまは九月の空の下を歩いているのだ。

スマートフォンだろうがテレビだろうが、それらはただのデバイスやインターフェースに過ぎず、得られる情報の元は何かというと「世間」だ、世間の情報を電脳通信が運んできているだけにすぎない。
そうして、小学生のうちから大量の世間情報を得ると、脳内は世間情報で埋め尽くされ、もう天才情報を入れる余地がなくなる、ただそれだけのシンプルなことがすっかりわれわれから世界を奪ってしまった。
今、特に若年の人々は知識と能力に優れ、多くの女性が化粧を達者にしてうつくしく、万事のハイレベル化が進んでいるのに、なぜ死んだ魚のような目で精神をよどませ、また気性を荒廃させているかというと、天才情報を入れる余地がなくなったからだ、彼らはすでに天才を認める余地を持たなくなり、よって天才に出会う可能性をなくしてしまった、そして天才に出会う可能性をなくしたということは、この先何らの世界に立つこともできないということだ、それで万事がハイレベルと言われても死んだ魚のような目になるのは当然のことだろう。
試みに、たとえば Youtube で「クラシックギター」と検索してみれば、その筋の達者がワッと出てきて、それぞれに優秀な演奏や、興味深く的確なレクチャーを与えてくれるだろう、どれも余人の追随を許さないようなハイレベルだ、けれども一方であなたは、おれがあなたの目の前で、ギターの弦をブッ叩いたときに生じるナゾのショックと感動を知らない/おれは天才なのだ、ただしおれはギターなんか弾いたこともないし、練習しようとしたら二時間で投げ出したぜ、それでもおれがギターの弦をブッ叩くと、あなたの魂は「えっ!?」とわけのわからない出会いをする、自分が何でもないただの「世界」に立っていることに気づく、ただしそれはあなたの精神が世間の情報で埋め尽くされていないときに限る、たまにはおれの話を真に受けてみるのも悪くないだろう。

大量の上位者はけっきょくあなたに小さな場所さえ与えず、ささやかな天才だけがあなたに膨大な世界を与えるだろう。

ただしそれも、あなたのうちに天才を認める余地が残っていればの話だ/おれの言っていることはそんなにむつかしいことじゃない、おれが見せているコンテンツはレベルとしては低いが、じゃあ同じ内容と感触のものを見つけてこいと言われると、一万年ネットサーフィンしたって見つかりはしない、それはおれが独自ということではなく、おれの「参照元」なんか世間のどこにも存在しないということだ、だからそもそも「探す」という行為が的外れだ。
人間と天才は別モノだが、さりとてもともとは人間と天才が対立しているわけではなかった、本来人間は天才を助けねばならないし、天才は人間に与えねばならなかった、人間には人間の領分があり天才には天才の領分がある、もともとはそれを相互に支えあっていたのだが、いつからかそれは対立関係になり、人間は天才を認めず圧殺するのがスタイルになった、そうなると勢力差で人間は勝利するのだが、勝利の結果「世界はどこだ?」とそれが二度と手に入らなくなってしまった。
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