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天才の正体3
間と天才は別モノ、別の存在であって、いったい何が別かというと、天才は「先んじるものがない」という一点が決定的に異なる。
人間は世間から情報を得ているのだが、世間から情報を得るということは、すでにその情報が先んじてヨソの誰かのところにあるということだ、あるいはその情報を記憶したとき、その記憶が当人より先んじるということになる。
たとえば世間のどこかに、「進学先はここがオススメ」「おすすめのデートスポットはこちら」という情報があると、その情報は消費者より先んじてあるわけで、消費者がそれを記憶して持ち帰ったとしたら、さらにその記憶が消費者に先んじることになる、つまり情報のルートは[ヨソの誰かのところ→記憶→消費者当人]ということになる。
さらに言えば、たいていそういう情報は、消費者の側にアテンションを呼び掛けて「へえ」と思わせ、インタレスト、デマンド、アクションと続いていくのだから(いわゆるアイドマの法則)、正確には情報のルートは[ヨソの誰かのところ→記憶&思い→消費者当人]ということになる、だから記憶や思いが先んじているのであり、さらにそれに先んじて「ヨソの誰かのところ」というテキトーなところが根源なのだ、これが世間と人間の仕組みだ。

これに対照して、天才というのは当人に先んじるものがない。
ここ最近、このネタで人と話していて、「その感覚がさっぱりわからん」と言われて「そうなのか」と驚いたところなのだが、そこの説明は省くとして、天才というのは記憶や思いさえ先んじずにいきなりどこかから情報をブッコ抜いてくるのだ、つまりおれが今こうして書いているものも、その文脈や文体に及んでまで、実は何ら記憶や思いは介在していないことになる/おれはマジで「いきなり」書いているのだ、何のプランも記憶も思いもない。
天才の情報ルートというのは、[天→おれ]なのだ、なんとシンプルだろう、ここで「じゃあおれよりも天が先んじているのか」ということになるのだが、そういうことでもない、天(聖天)にあるのは "主体性" だからだ、主体性というのはもちろん「わたし」という現象のことだから、情報ルートは要するに[おれ→おれ]ということになる。
このようにして、人間と天才の違いは、この情報ルートの違いにあると言えるし、この差分それじたいが、人間と天才の定義だとも言える、人間はまず世間が先んじてあり、その世間の情報を記憶と思いでひっこ抜いてきて、当人がそれに操られるという具合だ、それに対照して天才の情報ルートは[おれ→おれ]だ、本当に「おれ」しかない、先んじるものが何もなくて、だから「本当にコイツは世界を生きている」というナゾの直観と、衝撃と感動がある。

生や死でさえ、おれに先んじることはありえない。

天才というのはそういうものだ、ふつう人間は、生きるということや死ぬということについて、まず言語それ自体や、現象について知られているところの知識を聞きつけ、それを記憶して、そこに思いがくっついて……というような形で、ようやく当人にその情報が得られている、天才の場合そうではないのだ、生や死がどのようなものであるかについて、「おれ」が先んじてそれを決定するのだ/ただし決定するといっても、それについてわざとらしい決定の儀式なんか必要なくて、天才というのは何もしなくても生や死でさえ初めから臣下なのだ、すべてのものが「おれ」に付き従うのであって、生や死が勝手に「おれ」のことを読み取るのでいちいち決定する必要さえない、すべてのものが「おれ」の意思を汲み取ってついてくるだけだ、「天才」において「当人がすべてに先んじる」というのはそういう意味だ。
おれの言っていることは、少なくとも半分はウソではない、どの部分がウソではないかというと、あなたがこの話を、あなたの知る限り最も「世間っぽい人」「人間主義っぽい人」のところに持ち込んだら、実にイヤな気配でイヤな顔してイヤな否定をしてくれるだろうということだ、想像はつくだろう/さらには試みにその人に、生死について訊いてみたらいいだろう、そうするとその人は必ず世間の情報にアクセスして、その記憶と、そこに「思い」をくっつけて、つまりここに説明したとおりの応答をしてくれるはずだ、そのときあなたは世間から人間への情報ルートを目の前に目撃するだろう。
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