☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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空の向こう側の空
こかで若い誰かと若い誰かが恋人でありますようにと祈っている。
たまにおれはそういう埒もない空想を幻に視るような気がするが、そのときのおれはどこにいるのだろうと、昔から奇妙に思っていた/おれは物語やシーンを目撃していて、おれはそこに "いる" のだけれど、そこで何をしているのかよくわからないでいた。
おれは彼らを応援していて(ダサい言い方だ)、彼らに直接の干渉はしないけれど、彼らと話はする友人だ、そのとき彼らはなぜかひとつの空の下にいる。
その空は、夕暮れが一番多いのだが、今さらになって思いがけないことに気づいた、そのときにある空は日常的な空ではなく、空よりももうひとつ高くにある空だ、空の向こうにまた空が広がっているというような、広く遠い空だ。

おれはこれまでに何度か、この「空の向こう側にある空」を目撃してきているように思う。
そしてそれは、目撃のたびに、すべてが決定的で大事なシーン・出来事になったように思う。
これが何なのかは知らないが、それでもこれがある・この現象があることを、おれは知っている、今このときもあるのだ、空の向こう側に空がある、その遠い空の下でこそすべてのことはシーンになり出来事になり物語になる。
おれが当該の空から、見つめられた、あるいは睨まれたのか、または語りかけられたのか、わからないけれど、そのはじめの記憶はおそらく三歳や四歳のころにさかのぼる、おれは近所の空き地の雑草を草原と誤解するほど小さかった、おれは空の雲を見上げていたつもりだったが、ふとした瞬間に空の雲がおれを見ているのだと気づいた、おれは怖くなって走って逃げて帰った、あれは今ならわかる、空の向こう側にある空だ。

空の向こう側にある夕暮れの空が「おれ」なのかという気もする。

ひとつ確実なことは、おれは漠然と存在しているのではなく、厳密に「空の向こう側の空」の下でのみ、おれとして存在しているということだ、そこから切り離した社会的なおれなどは社会的にしか存在していない、そしてもちろん社会的な存在というのはウソだ(不必要だと言っているわけではない)。
あいかわらずおれはヘンな奴で、おれだけずっとヘンな、まったく違うところに立っているのかもしれない、おれは誰とも会っていないような気もするし、誰とでも会っているような気もする、おれがわかるのはひとつだけはっきり、「これがおれだ」ということだけだ。
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