☆いい女☆で行こう!

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身体の声を聞く
体の声というのは実際ある(確かめようはない)。
身体の声を聞くということの、よい点は、当人の言うことを無視できるということだ、当人の言うことはアテにならないことがよくある。
たとえば何を食べたいかについて、当人が言っていることより身体の声のほうがアテになる。
当人の言うことが身体の声とぶつかって自ら身体を疲れさせている人は少なくない/まあこんなもん確かめようがないので言ったもん勝ちみたいなものだな。

多くの人は身体の声がきらいなのだろうか? まさかそんなことはないと思うし、たぶん自覚がないだけなのだと思うが、結果的に身体の声とケンカしている当人というのはよくある。
何か、大事なときに気合が入らなくてヘナヘナになってしまうというタイプの人がいると思うが、そのタイプはたいていこれだ、身体がノッてくるということが当人の思惑として気に入らないのだろう、だから自ら身体をヘナヘナにしてしまう。
身体の声を聞き、そのままにすると、当人の思惑とは違うダサさや、小ささ、性別やら何やらがいろいろ出てくるものだ、もちろんそれを意図的に無視したり封じたりするのはよいと思うが、無自覚に踏みつぶしているのはよくない、いつかそれなりのトラブルになってしまうだろう。
といって、おれも魂の作業をしていると身体の声は放ったらかしになるので、人のことは言えないのだが、こうして記事に書くことによって、おれも身体の声を聞くようにしようと戒めているのだった、おれ自身の身体の声、そして他の誰かの身体の声を聞く。

正論はいつも正しく、センスはいつもハイセンスだが、身体の声からは切り離されている。

それはつまり頭もいいしセンスもいいし、善人だし常識があるということなのだが、でも身体の声からは切り離されているので、あまり意味がないのだ、十字架である身体の恥が命の誇りに到達するかということがテーマなのであって、身体を置き去りに命やら魂やらをこねていたって意味がない、「実際にウマイ飯が作れるのかオラァ」で終わりだ。
最近おれは、もう少し自分のことを自慢して生きてくればよかったと思っている、そのほうが多くの人の本当の役に立てたと思うからだ、おれは身体の声を命の誇りに及ばせてきたが、なぜかそのことをまったく自慢せずにきてしまった、何なら今でもそれを無意味に隠してしまう・控えてしまうところがある、そんなことをしても誰もトクをしないのだから、もはやおれのこれは美徳というよりはただのブキミだ、おれはどうも出しゃばりが苦手なせいで、それが行き過ぎて今は無意味な秘密主義にさえなってしまっている、これはさっさと改めなくてはならない。
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