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「有名」と「知名度」の違い2
来、パフォーマンスが先にあるのだ。
たとえばこのブログに迷い込んだ人は、書き手の紹介などされずに先に記事を読むだろう、そうして「パフォーマンスが先にある」。
そして、そのパフォーマンスに見過ごせないものがあり、そこに何か世界があると目撃されたとき、「この世界をやっているのは誰なんだ」ということで、名前が求められる、それであなたはこの書き手が九折さんだということをいつの間にか知っている/こうして名前が求められるということを「有名」という、まあおれなんか知名度は完全にゼロだが、知名度がゼロというのは単にマスメディア展開していないというだけで「有名」という現象には関係ない。
ふと思って、いちおうサイドバーに置いてあるプロフィール的なところを覗いてみたが、いくらなんでも紹介記事が時代錯誤すぎるな、なかなか恥ずかしいのでいつかちゃんとアップデートしよう(と言いながら忘れる可能性大)。

先日ワークショップで「有名になろう」というネタを扱ったのだが、「有名になる」というテーマで何か、多くの人に心理的な不具合不穏が起こることがわかった。
どうも、「有名になる」ということには、よくわからない強烈な願望と、抑圧、また何かよくわからない強い拒否反応みたいなものもあるみたいだ/このあたりはよくわからない、有名になりたいなら有名になればいいだろうし、なりたくなければ有名になっちゃった時点でやめてしまえばいいのだ、何もややこしいことは本来ない。
おれはこのあたり、人づてに「あの人は何という人なんですか」と訊かれることが多かったので、名前を求められるということに対しては、今さらこれという感情や心理はない、だがほとんどの一般例においては、この「有名」という現象に人は強烈な願望を潜在させているようだ、そのあたりが「知名度」とごっちゃになって現代の承認欲求シンドロームになっているのだろう。
「有名」というのはただの現象であって、大規模であれ小規模であれ、目撃されて「名前を求められる」ということだ、そこに世界がある場合も名前を求められるし、悪魔がある場合も名前を求められるのだが、まあそんな細かい話は今はいいだろう/どんなささやかなことでも、本当に本当のことが出来てしまう場合、そこには世界があるので、ごく小規模にも「名前を求められる」ということが起こる、ただそれだけのことなのだが、「有名になりゃいいじゃん」と言うとなかなか「そうだな」とすんなりは返ってこないので、何かこじれる理由がそれぞれ似たような感じである様子なのだった。

「名前を求められる」ということがないのは、「陳腐」だからだ。

端的に言って、「有名」の反対は「陳腐」と捉えればいい、何かのイベント会場でイケメン五人組がくるくる歌って踊っていたら、別に何も悪くないが、いちいちその名前は求めない、そうして名前を求めない場合はそれが「陳腐だった」ということになる/一軒のラーメン屋でさえ、何か秀でた世界があれば無意識にも名前を知ろうと求めるが、陳腐だったらその名前は求めない、ごくあたりまえの現象だ。
「有名になりゃいいじゃん」と言うと、何か心理的な不具合と不穏が起こるのだが、まあそれはしょうがないとして、でもけっきょくは損だから、何かテキトーに解決してしまったほうがいい、何しろ「有名」ということを遠ざけて努力するということは、自ら「陳腐になる」という決定をした上で努力するということになるからだ、そうすると全身と全霊はびっくりするぐらい能力を閉ざす、何の想像力も機能しなくなって、全身全霊で「陳腐」に向かうのだ、そりゃ自己決定が自己の「陳腐化」なのだからそうなるに決まっている、そういう不毛はやらないほうがいいと、おれはいつも思うのだった。
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