☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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おれ以上におれを伝えられる奴はいない(当たり前)
たり前の話だが、おれ以上におれを伝えられる者はいないし、おれに先んじておれを伝えられる者はいない。
おれがアイウエオを言うということは、一般に五十音アイウエオが言われるということとは、まったく別のことだ、一般のアイウエオとおれのアイウエオはまったく関係がない。
もちろんおれだって一般の万事を真似することはできるが、おれにはそれをしたいという動機もなければ、それをしなければならない理由もない。
おれが何かを上手なのかヘタなのか、それは何かと比較した上でしか上手ともヘタとも言えない、といっておれは二体存在しないのだからそもそも比較のしようがない、おれよりもおれな奴はいないしおれはそもそも一体しか存在しないのだから何かと比較するということ自体がない。

つまり、おれは何かを学ぶ必要がない、おれよりもおれを教えられる存在などあるわけないからだ。
では「おれ」とは何をしているのか・また何をすればいいのかというと、血のすべてをおれにしてしまえばいいのだ、鶏肉や魚を食っておれの血にしているわけだが、この血を時間をかけてすべておれにしてしまえばいい、ただそれだけだ。
血はいわば「尊厳」だから、この尊厳を何に明け渡すかという問題に行き着く、この尊厳を主体性に明け渡せば「祝」になり、この尊厳を吾我に明け渡せば「呪」になる、二つとも同じつくりをもつ漢字でもちろん同じ象形の意味を持っている。
おれはこのごろ、主体性や言霊や天には「感覚がない」と言っているが、いわばこの尊厳を、「感覚があるもの」に明け渡すか、「感覚がないもの」に明け渡すか、その二方向に分岐するというだけだ/血は尊厳であり、血というと具体的には粘膜が露骨だ、この喉や唇がアイウエオを言い、また性器だって粘膜なのだが、おれはこの粘膜をすべておれにする、感覚のないおれという主体性に明け渡す、そのことに祝福があるのは、その逆に呪いがありそうなことから想像がつくだろう。

おれは感覚上、誰かに何かを伝えるということは一ミリもできないが、感覚のないおれから感覚のないおれに感覚のないおれを伝えることは強制的に出来る。

そもそも「感覚がある」ものとして、そこに自分と他人があるとしたら、自分から他人に何かを伝えることなんて不可能だ、初めから「他人」と言っているのだから伝わるわけがない、そこで他人に与えられるものといえば「痛み」しかない、つまり殴ったり蹴ったりするしかない、あるいはその逆、マイナスの痛みを与えるしかない、それは甘みだったりセンスだったりするが、それだって正負の違いだけで痛みであることには変わりない/そりゃ「感覚がある」といえばそれしか授受できない。
「感覚がない」ものといえば、主体性であり「おれ」だ、感覚のないおれが感覚のないあなた(といってもおれだが)と共に何をどうするのか/おれはアホなので、生きものであり血の十字架を負っている、だからこの血をすべておれにする、主体性に帰す、お前らにもそうして血の返納ルートを教えてやるということだ、わけのわからん話だがおれは精神的な話をしているのではない、血とか粘膜とか具体的なものの「やること」を話しているのだ、お前らだって鶏肉や魚から血を集めているだろう。
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