☆いい女☆で行こう!

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ようやく時代を取り戻すセオリーが出来た3
くの人は今、そんなにはっきりと熱烈に、自分の「やりたいこと」などは持っていないと思われる。
自分なんて平凡なもので、それでも少しはマシにやっていきたい、というぐらいで控え目に思っている人が一番多いと思うのだが、そういうことではないのだ、まったく誰もが自分では想像していないことだが、主体性が正しくロードされると、自分のやるべきこと・やりたいことははっきりと得られてくる。
しかもその「やりたいこと」というのは、いわゆるモチベーションという原理のものではないので、鼻息は荒くならないのだ、躊躇はなくなるが興奮もなくなる、何かと比較してどうこうという発想ではなく、それがやりたいというより、ただ自分のやることと自分自身が一体化するような感じになる。
主体性が正しくロードされると、内部から体質ごと変わり、呪縛も十字架も打ち払われるのだが、それで何がどうなるかというと、当人は「そんなに何かが変わった気はしていない」となる、けれども明らかに体質が変わっていて、すでに縛られていた過去の自分がどのようだったかを思い出せなくなっているのだ、そのようにして当人としては何も変わらないまま主体性を持って生きていけるようになる、まるきり別人のようになるのになぜか当人は「何も変わっていないです」としか感じない。

これはつまり、主体性のロードというのが、やはり呪縛や十字架を打ち払うだけで、当人そのものをいじくるわけではないからだろう。
当人の主体性をヨソの主体性で塗り替えるわけではない、ただ、呪縛され十字架に括り付けられているときは、自分の体質から生じる実感のたぐいが自分のすべてになっており、それこそが自分の主体性だと思い込んでいるのだ/それは吾我であって主体性ではないのだが、それは呪縛が打ち払われた後にしかわからない、あるいは打ち払われた後にもよくわからない(ただ以前の吾我状態が消えてしまって吾我状態のほうがわからなくなっている)。
たとえば、ここにオートマ車があったとして、このミッションギアが不具合によって1速に固定されていたとする、これを呪縛とするなら、この車当人は、「いやあ、高速道路を走りたいとか思わないっすね」と言うだろう、「高速なんか走ってもエンジンが焼けるだけですし、事故にもなりますんで」。
ところが、この車に主体性がロードされて、呪縛が打ち払われると、ミッションギアは自動的に5速まで上がるようになる、そうするとスイスイ走るようになるし高速道路にも普通に入るようになるのだが、当人としては「別に何も変わっていません」としか感じない、むしろウンウンうなって頑張っていたのは以前のほうだから、「最近はあまり気合が入っていないかも」とさえ思うことがある/こうして見るとこの車が過去に高速道路を走らなかったのは主体性でもなければ個性でもないのだが、そのことは呪縛が解けた後にしかわからない、呪縛されている当人の実感としては「いやあそんな気になれないですね、無理です」としか思えないからだ。

呪縛されていると遠慮がちになり、そのまま思い切ってもただの出しゃばりになる。

ミッションギアが1速に固定されたまま、高速道路に飛び込んでみたら、そりゃあ周囲に迷惑になるに決まっているし、当人のボディもダメになっていくに決まっている、じゃあわたしはどうしたらいいのといって、どうにもできないのだ、当人にはどうにもできないというか、当人こそどうにもできない、それが呪縛であり十字架だ、ほかならぬ当人が当人だからこそその呪縛と十字架は掛かっている。
ごくまれに、呪縛に縁のない人がいて、この人は当人が呪縛されていないだけ、他人の呪縛を見ずに、ロードされるべき主体性だけを見ることができる、この人が「高速道路に入れ」「そのための車体だ」と命じると、その場合だけ呪縛が打ち払われてミッションギアは5速まで入るようになる、そうするとその当人は、そのときはなぜか「まさにこのことのために存在し、このことのために生まれてきた」ということに疑いを持たない状態になるのだ、ただしその人はあなたに高速道路に入れと言いつけるわけだから、あなたは「いやあそんな気になれないですね」と言う/つまりあなたの呪縛を打ち払う人はあなたの「味方」ではない、あなたの「味方」はあなたの呪縛を保存する側だが、あなたは「ですよね」とその人を味方だと感じてしまう、あなたはあなたを遠慮がちあるいは出しゃばりに仕立てる人を味方だと感じてしまう。
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