☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
「使えるヤツ」になる方法4

とえばAさんが「バーを開店したい」と言ったとする。
そのときBさん、Cさん、Dさんに必要な反応は何か。
「めっちゃいいですね!」「応援します!」「わたしもやりたい!」とかいうことではない。
「どういうバーをやるんですか」と興味を持つことでもないし、「Aさんはそういうのに向いていますよ」と意見を言うことでもない。

Aさんのワークはどうなる? 開業資金の確保、運転資金の借り入れ、経営計画書の作成、場所の選定、物件探し、バーテンダーのノウハウ修業、営業許可と届け出、内装工事、什器の入手、仕入れの見積もり、広告等だ。
これらのワークに「連携」しないと意味がない/たとえば「わたしの叔父がそこの信用金庫で働いてますよ」「わたし○○川沿いに住んでいるので周辺のテナント料とか見てきますよ」「うちの実家、ちょうど冷蔵庫買い替えて、古いやつ余ってますから、いちおう残しときますね」というような連携だ。
こういった連携が、自動的に起こらなくてはならない、指示されてから動くのでは連携ではない、この連携が起こらなくなったとき、大げさに言えば国が亡ぶだろう。
「使えるヤツ」というのは、ヘロヘロっと提案を「してみた」というようなことをする人間ではなく、「叔父に会って一通り聞いてきました、それで内密に、融資が下りたケースの事業計画書のコピーもらってきましたよ」とまで動くヤツだ、残念だがそこまでしれっとできるようでないとリアルには「使えるヤツ」とは言われない。

使える=連携×手柄。

連携してなきゃ意味がないし、手柄を立てなきゃインパクトは生じない、まるでサッカー選手のようだが、高度な連携能力と高度な個人能力が掛け算に作用しないと、けっきょくまともな成果は得られない。
このことの了解には個人差があって、「へ? そんなの当たり前だろ」とキョトンとしている人もいれば、「は? そんなのムリに決まってるでしょ」とグッタリしている人もいる、このことへの個人差はものすごく大きいのだ。

できるオンナだね | comments(0) |
「使えるヤツ」になる方法3
戸に旅行するなら、三ノ宮から元町の大丸まで、商店街を歩いてね、そして元町の「森谷商店」でコロッケを買い食いしてね、ありゃもう名物みたいなもんだから。
そしてハイヒールでなければ、建物を見ながらメリケンパークのポートタワーまで歩こう、写真を撮って、そのままモザイク神戸まで歩いてティータイムと雑貨ショッピングだ、建造物に興味がなければタクシーで直接モザイクへどうぞ。
夕刻に、JRで六甲道まで戻って、バスで「六甲ケーブル下」まで行き、ケーブルカーを上がれば、壮大な夜景が見られるだろう、ただし山の上はすぐ雲に覆われるので天候に注意だ。
夜景が見られないときは、あきらめて元町の中華街でディナーにしよう、ただし中華街は夜が早いので気をつけて、夜が更けてしまったら三ノ宮の北側へどうぞ、リッチに過ごしたいときは北野坂にどうぞ。

神戸の旅行案内なんて、ほとんどこれだけでいい、誰でも「簡にして要を得ている」ことが重要、あなたは余分な情報をぜい肉のように感じて好かないだろう。
ここであなたに、「元町はステキなところなんですよ〜!」なんてプッシュもしない、あなたのワークは「旅行プランの構築」であって、そこに僕の感興は寄与しないから、感興のブチかましなんかしない。
あなたの「ワーク」に向けて、僕は「使えるヤツ」でありたい、だから僕はヘンな笑顔など見せずに、「地図で見ていたらわからんけど、神戸って南北は常に上り坂なんだ、だからヒールが高いと歩くのがきついよ」というようなことを伝えるだろう。
どれだけ知識や、思いがあっても、あなたのワークにビタッと嵌って機能しないかぎり、何の役にも立たない/神戸の旅行案内に必要な能力は、「神戸に詳しい」ことではなく「神戸に詳しくないあなたのことがわかる」ことだ。

物事に詳しいのではなく、あなたのワークに詳しい。

ためしに「神戸 旅行」と検索してみればわかるが、旅行アドバイザーのサイトが出てきて、情報は提供してくれるが、それでは旅行する気になれない/googleはすべての物事に詳しいが、「あなた」のワークにはまるで詳しくないからだ。
東京から新幹線で新大阪まで行ったとして、「新大阪から三ノ宮は新快速で30分だよ?」「えっ、じゃあぜんぜん近いじゃん」とあなたを驚かせることが、googleにはできない/あなたのワークに詳しい必要があって、あなたに「そういう情報が聞きたかったの!」と言われなくては、僕は「使えるヤツ」ではありえないだろう。
できるオンナだね | comments(0) |
「使えるヤツ」になる方法2
とえば「最近、就職活動はどうなの」なんて訊かない。
「最近、しゅーしょく活動はどーなの、バリバリでございますかい、はっはっは」と話を振る。
就職活動中の人は、就職活動がワークであって、その進捗を僕に話すことは、何のワークでもないからだ、「訊く」なんて論外になる。
就職活動中の人は、「そうですねえ……」と、状況と今後の作戦を整理したいと思っているので、会話がその整理というワークにはたらくように話を振るだけだ/ふつう会話の中で、相手の状況や身の上を「訊く」なんてことは一度もない。

「けっきょく、面接に行くと、自分がブレてて、定まってないって一番感じるんですよ」
「あー、思いが定まっているのと、話すことが定まっているのは別ってことあるもんね」(と、彼が「話す」能力へ注目をシフトさせることを狙う)
「九折さんはどうでした? 学生のころとか、面接で苦労しませんでした?」
「あー、おれはねえ、たぶん面接どうこうじゃなくて、見ず知らずの人と話すということ自体に慣れていたからね、その意味で面接で苦労とかはしなかったな」(と、彼が「面接」という形式に力んで視野狭窄することにアンチテーゼを示す)

ワークが「進む」ということが、話が「進む」ということ。

だから、相手の「ワーク」が見えていないと、話は進みようがない、思っていることを「言う」とか「訊く」とかいうのは本質的に会話ではない/それは「問答」だから、納得が増えるばかりで、何も進まない。
「お前と話すと、前に進めるわ、仕事も進むし、話も進むなあ」と言ってもらえるようになること、それが「使えるヤツ」の基本だ、「使えるヤツ」とは他人のワークに連携して挙動が決められる奴のことだ。
できるオンナだね | comments(0) |
「使えるヤツ」になる方法

法はシンプルだ。
課長は仕事を進めたいのだ。
課長は「ワーク」をしたいのだ、部下は課長の「ワーク」のためにホウレンソウをする。
よって、あなたの持つべき視点は、「わたしが何をするべきか」じゃない、「課長は何をどうしようとしているか」だ、その課長の「ワーク」に噛みあう形でホウレンソウが為されねばならない。

つまり構造は、[あなた→課長]で終わりじゃない。
構造は、[あなた→課長→ワーク→客]までつながっている、この全体の構造がわかっていないといけない。
あなたは部下として資料を作成するのだが、そのとき、資料はあなたが「わかりやすく」作るのではなくて、課長が客先で営業をする、そのときのワークに向けて「使いやすいよう」に作られていなくてはならない。
課長は客先に営業に出て、何の交渉をするのか、どういう取引をするのか、そのことに向けて「使いやすい」資料を、あなたが作るのだ、そこが噛みあっているヤツが「使えるヤツ」になる、それは読み取りの問題であって努力の問題じゃない。

Did you make it For his Work?

あなたのベストエフォートも、全体のワークと噛みあっていなければ「使えない」になる、相手がどういうワークに出ようとしているのか常に知っておけ、どれだけ品質のいい手袋を編んでも、ワークに軍手が必要なときは「使えない」になる。
課長の「要求」を無言に読み取るなんてテレパシーでもなきゃ不可能だ、そうではなく、課長のワークが客先にどうつながるのかをよく見て、「これで使えるでしょ」という資料をババーンと作るのが最善だ、読み取る対象は「課長」ではなく「ワーク」そのもの、ワークに「使えるでしょ」が足りていればそれで何の問題もないのだ。

できるオンナだね | comments(0) |
パーティ報告71(2)

「にくしみ(肉染み)派」と「肉抜き派」という言い方は、心当たりがあってよくわかるらしい、「肉を洒脱するほうがいい」、そりゃそうかとパーティで話した、洒脱はイケてるに決まっている。
肉に[1.情念が染みる/2.霊が宿る]という二種類があって、これは特に女性にとってはよくわかるみたいだ、女性は柔肌の生きものだからな、[1.情念が染みたら霊は宿らない/2.霊が宿れば情念は染みない]。
加山雄三の唄う「海、その愛」という歌があるが、「♪海に〜抱かれて〜男ならば〜」というのは、「大いなる海の霊が男の肉に宿る」というステキ状態のことを指しており、それは「オレぜってー勝ち組になりたいんだよね」という大学生情念が染みた肉の状態と違うよね、ということなのだった(雑な説明)。
一部、オカルト界隈では、むしろその「情念」のほうを霊と呼んでいる気配があるが、少なくとも僕はそういう捉え方はしない、陰気オカルト界隈の人の肉がスッキリさわやかだったことは古今東西に一度もない、情念漬け黒ロース肉には今後とも用事がないのである。

どうして人は、天地自然の聖霊をないがしろにし、「芸能人の○○が不倫、骨肉の争い!!」というような情念事象ばかりに注目するのだろうか、そんなん肉が泡立って真っ黒プツプツになりまっせ。
たとえば「月」といって、それは「岩石を主成分とした衛星」だろうか? われわれはその岩石衛星の反射光を見ながら、デンプンとグルテンで出来た団子を摂取して「風流」とのたまうのか、それは逆にマックス不自然すぎる生き方ではないだろうか。
まあ、情念が染みてしまったら、もう肉には月の霊なんて映りこまんけども……「わたし、とある情念に駆られて、筋トレしてたんです、その直後にあの記事を見ました、『ハードトレーニングは誰でもできる』という、つまりあああああ(A子談)」。
力でギュウギュウしたら、肉に染みるよ、そうでなく震わせて、舞って、流れて、情念を振り払う、キレーなもんじゃないか、女性の白い柔肌に情念が染みをつくるなんてライオン石鹸の精神が許さないだろう。

「四年間、いろいろあったけど、ここまでずっと来てくれた人は、とりあえず老いさらばえはしなかったね」と僕は言った。

あ、これでようやくパーティ報告になったな、四年間というのはけっこうな時間で、いくらでもゴリゴリに老いさらばえるということがありうる、そのことが防がれただけでも大収穫というべきじゃないか。
最近割と冗談でなく綺麗になった大阪Yさんは、「去年の七月一日にわたしの人生始まったんですよ〜」と言った、「そりゃまあ、そうか」と今になって思い返せる、ただし綺麗になったといってもしょせん頭打ちのモンだと明言しておかないと大阪Yさんはマックス調子に乗るので釘を(五寸釘を)刺しておこう、おれたちみたいなモンはこんなモンである。

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パーティ報告71
あ……飲みすぎた……
いつのまにか、パーティのときには異様な能力を長時間使うので、月曜日の夜ぐらいまで人心地が回復しないのが定例になった。
今回は本当に飲みすぎてしまったので、朝5時には散会して早退(はやび)けさせてもらったのだが、よくよく考えれば朝5時が「早退け」というのは元がすでにおかしいかもしれない。
今回で四周年(復活四周年)ということだったのだが、それで何か特別なことがあるかというと、特になくて、ただ奇縁といえば小林アニキが店長に復帰していたし(きっと儲かっているに違いない)、そのとき店内にはviva la vidaが流れていた、「こんなことはよくある」と僕は投げやりに言った。

四年間、ということは48回ぐらいやってきているわけだが、すげえなと思いつつ、まあもう酔っ払っていたのでわけがわからん。
朝5時が早退けというのはおかしいと思いながら、しかし終電で帰る人にとっては、19時から23時半なんて、本当に「あっという間」だと思う、居心地が悪いと時間は長く感じるものだが、ゲラゲラ笑っていると四時間なんてあっという間だ。
ん? これ、パーティ報告になってない?
まあいいじゃないか、とりあえず報告するとすれば、「特に何もありませんでした」、何かあれだねえ、ちょっとは何か真面目に話せよということになると、いっそ別の飲み会を新たにセッティングしたほうがいいな(いやそれは負担が増える)。

今後とも、どうぞ、よろしく。

「第100回の開催に現実味が出てきましたね」「まあそうだな」、僕は「始めた理由がないのでやめる理由も見つからん」と言った。
うーん、特になし、特になしだが、僕はこの「特になし」に到達したかった、その意味では計画通りともいえる(ただし飲みすぎを除いては)。
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第71回Quali's Party[8月19日(土)]無事盛会!

8/19 Quali tweet> パーティ前、先に酒を飲みたくなる問題。耐えろ。 pls entry

joined: (新)いく、ひろみ、あきら、ゆか、こりん、かなみ、りさ、くおり
日時:2017年8月19日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


キラキラ次回[9月16日(土)]参加エントリはこちらから!キラキラキラキラキラキラ


費用男性5000円 女性3000円
参加資格ブログorサイトのファンであること
→その他詳細はこちらから


宣伝コラム「パーティへの誘い その1」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その2」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その3」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その4」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その5」はこちらから!

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分割(わか)らない
「分からない」ということが思いがけず極意となる。
「分かる」というのは、「分割する」ということで、「tell A from B」と同じ、「分かる」ということは「分割しました」ということに他ならない。
「分かる」というのは、「身に入らないように、肉の身から分割しました」ということであって、「わかる」ものは決して身に入らない、身につかない。
このごろは、誰しも「分かる」という能ばかり鍛えられておって、「分かる」ということが賢いことだと思い込まされている、それは賢いには違いないが、それではただ賢い風情のまま死んでゆくしかない、それはあまりありがたいことではない。

情念の染みた人間は、よう分かりよる、「勝ち組・負け組」だの「肉食系・草食系」だの、何もかも分割しようとする、そうすると分かる分かるのオンパレードになる。
そうなれば、数学だって分かるし試験だって分かるのだが、それは肉の身から分割された宙空の何かをやっておるのであって、その宙空のものをいくら足してやっても、自分の肉身の足しにはならない、宙空のものが膨らむだけだ。
人はみな、分からないで頭を下げておる、分からないというのはこの肉の身から切っても切れない、切り離せないことだということで、情念なしにそれをしておる、夢の中ででも頭を下げておる。
胃袋がなんでも入れられたタンパク質を分からんまま一所懸命に溶かしよるように、われわれ人間も分からんまま一所懸命に頭を下げておる、分かる分かるというのはどの面が申したか/人間は風邪をひくのがとうの昔に分かっておるが、分かっておるからといって肉の身が風邪を引くのはやまんし止まらん、分けとうてもよう分けられん。

「分かり」たいのか、身になりたいのか。

風邪などは、願わくば分かってもらえればありがたい、しかし風邪をひくときはひくのでよう分からん、一方で数学は分かるばかりで身にならん、つい咳をしてしまうようにはわれわれの内から数式や理知は出てこん、必死に内緒で記憶した参考書を思い出さねばならん、それではまるで学を修めたということにならん。
われわれ日本人は、なんで箸でメシを食うとるのかわからん、小さいシャベルでメシを食うてもよさそうなもんだ、しかし分からんが茶碗に箸でメシを食うとる、それを文化という、メシを食う時に「ええと、箸で食うのだった」と分かったことを思い出さねばならんかったら、それは外人である、それではもう彼の身が何者なのかまるでわからん。
できるオンナだね | comments(0) |
誰だってハードトレーニングならできる
並み以上の悪をやり
分からない分割しないで
ソフトソフトの無為を積む
分別の別を弁えて軽し

人並み以上の善に執し
分かる納得理解する
ハードハードのトレーニング
分別の別を弁えず重し

喉元を緩め膨らまし遊べ

分割妙霊を失し、不別所有に執念す/不分妙霊に従し、別個敬天に喜悦す
誰だってハードトレーニングならできる/そうではない、そうはできないそれ
できるオンナだね | comments(0) |
思い出は爆発だ
「あのときはねえ」と、ゲラゲラ笑えるようでありたい。
「あのときはねえ」「最高でしたねえ」「サイテーでしたけど」「あーもう二度とやりたくない」「わはは」と笑えるようでありたい。
あるいは一生を通して、「あのときは本当にありがとうございました」と、いつ思い出しても永遠に頭が下がるようでありたい、また頭を下げられるようでありたい。
また、どこの誰だかは知らないが、いつか会ったときには「お前、あのときのアイツだろ?」と、ニカッと、永遠に知人にならない、永遠の旧友のようでありたい(ダセー話をして悪かったな!!)。

思い出は爆発だ/そうして思い出したとき、爆発的に何かがよみがえるということ、それならばその当時のときは、そこに何か確かなものがあったのだ。
僕はひどく強欲なのだと思うが、そうして「確かなものがある」ということを欲してやまないのだ、もう生涯で得るべき「確かなもの」の総量はとっくにオーバーフローしていると思うが、まだまだ、いけるだけいきたい、僕はひどく強欲なのだと思う。
僕は一時的にイイ気分になるのがニガテなのだ、それはなぜかというと、一時的にイイ気分になっている他人を見るのもニガテだからだ、それ以上の理由なんか持ちたくない。
八月ですねみなさん!! 僕はまたこの夏も改めて狂おうと思っております、まだまだ秋までは時間があらぁな、残暑見舞い申し上げます!!

時代はいい、お前が悪い。

どうよこの、真正面から正当性を否定していくスタイルは、このコピイは間違っているが、この間違ったコピイを履行していくことはとてつもなく正しい。
愛があり、夢があり、理知があり、かつまともでないことが重要だ、われわれはまともなことで笑うことはひとつもないし、理知がないことで笑うこともひとつもない。
恋女のマインドね | comments(0) |
ひとつのことに向けて走り抜けて
近、「精神」とか「霊」とかいう話をしてきたが、これはこれらの語を見ているだけだとアホみたいだ、いいかげんやめてえなと思う(思うのだがしょうがないのだ)。
僕は何もややこしい話をしたいのではなく、決定的な話をしたいのだ、正直べつに「霊」なんて話はしなくていい、僕はただ「情念」のやり方を否定したいだけだ。
そういえば、ちょうど先日、テレビ番組で超能力とか霊能力とかでの「リーディング」の特集をやっていたが、ああいうのはせいぜいシャレにしておいたほうがよいと思う、どう考えても心身にプラスにはたらくわけがない。
ああいう「リーディング」の能力は、僕にもあるし、その実績もこれまでに無数にあるが、そのたびに僕は言っているはずだ、「こんなもん何の役にも立たん」と/それより脳みそと胴体の基本性能アップ、クソ頭のいい脳の同時多層処理ができなきゃけっきょく何も解決はしない、僕はそんなことを主張しているのだ。

アホみたいな主張だが、改めて、何かひとつのことに向けて、走り抜けてみないかね、全身全霊で生きてみないかね、僕はそのことについてもう何年間もブーイングしている、「こんなことオレが言うべきことじゃねえ」と。
で、ひとつのことに向けて走り抜けるというとき、それが「情念」だとダメなのだ、硬直してノッペラボーになり、妙味なし、脳が同時多層処理の能力を獲得しない、それでけっきょく人間が進まん、だから今になって「情念」がどうこうという話をしている。
なぜこんなフツーの話をするだけで、四方八方から抵抗されるんだ……ただの愚痴として言わせてもらうが、こんなフツーの話がやたらに抵抗されるようになったのは、せいぜいここ五年ぐらいのことなのだ、わけがわからん、何か後頭部にブラックカートリッジでも差し込まれたのか?
同時多層処理だから、愛も含むし、悪も含む、友人も恋人も、学門も文化も芸術も、場所も街も天地自然も含むだろう、それらすべてを受け止めて「走り抜けよう」という話をしているだけなんだ、各人の事情の話をしているのじゃない、「走り抜けよう」という一般論について話しているんだ。

ノー・トラブルの中、七転八倒せよ。

僕の言っていることは、たぶん十年前から何一つ変わっていない、ノー・トラブルだ、それでいて若い人間は七転八倒しているのが自然だ、この場合の七転八倒というのは、七方向に転び八次元に倒れるということだ、それぐらい同時多層処理をこなすことにもがこうということ。
もう一度言うが、「情念」をリーディングしても意味なし、肉が衰えるだけだ、流血を啜ったって肉は恢復しない、もう一度ひとつのことに向けて全身全霊で生きてみないかね、僕の主張はこの先も変わらん。
恋女のマインドね | comments(0) |
まともな悪と善良な獣
代の世の中は、油断大敵という感じがする。
あまり詳しくは言えないが、「悪さ」を持たないと、まともに生きることは難しいのじゃないか、という気がする。
「悪さ」、つまり「まともな悪になったほうがマシじゃないか」ということなのだが、ここでまともな悪とは、悪行にも最低限の仁義があって、悪い人であっても愛する誰か・愛する何かを持っているということだ。
一方、善良な獣というのは、「善良さを守っているか」というルールで<<自他を監視している>>のだが、これは自分であれ他人であれ、善良さのルールからはみ出した者は許さないという物騒な考え方であって、しかもその実、愛している何か・誰かというものを持っていないのだ、これはひたすらおっかないと、僕などは感じるのだった。

まあ、人間が生きているのだから、完全に善良とはいかない、誰でも悪人の部分があらざるを得ないが、それでいて何かを愛しているかということと、悪人というのもどこか笑えるところに収まっていることが必要だ。
一方、善良な獣というのは、行くところまで行くという怖さを持っている、それについての対処法はもう、「おれは善人じゃないから知らん」と突っぱねるしかない。
最近は、不倫で揉め事になる芸能人が多いけれども、僕は不倫で揉めた芸能人の当人とは友人になりえても、それについて炎上攻撃をしている誰かとは友人になりえないだろう、なぜ友人になりえないかというと「おれは善人じゃないから」だ。
考えてみれば、善人と悪人の、どちらが「恐怖」なのかはわかったものではないし、善人と悪人とで、どちらの気が狂うのかも定かではない、現代の世の中は油断大敵で、その世の中から距離を取るとそれはすなわち「悪人」になる。

なんでもやって生きていこう、ただし笑えなくなるのはダメだ。

なんでもやって生きていこう、それより先のことは言えない、誰でも自分で考えるしかないことがある。
なんでもやって生きていこう、ただしどこかで愛をもって、走り続けることを忘れずに、なぜなら愛をもって走り続けることがけっきょく一番安全だからだ。
恋女のマインドね | comments(0) |
「痛み」が人の肉を育てるものだったらどうしよう

代は「痛み」を否定し、「情念」を肯定している。
しかし、もし「痛み」が人の肉を育てるものだったらどうしよう。
教育ママは、公園のジャングルジムを「子供が落ちたら危ない」「ケガしたら誰が責任取るの」と心配するだろう、その心配する気持ちは誰も否定できない。
けれどもなお、「痛み」が人の肉を育てるものだったらどうしよう、母御さんが子供の身を案じてやまない、その「情念」はわかるのだ/現代は「痛み」を否定し、「情念」を肯定している、そのデメリットは未だ言及されていない。

熱血教師が生徒をビンタする、いわゆる体罰というやつ、これは絶対にやめたほうがいい、現代に合わない。
なぜなら、われわれはアントニオ猪木のようにビンタはできないからだ、熱血教師はきっと「情念」で子供にビンタしてしまうだろう、するとその情念が子供の肉に染みてしまう、これは傷つき遺恨になる。
われわれが忌む「暴力」の本質は、痛みやダメージそのものにあるのではなく、相手を打とうという猛烈な「情念」にある/われわれは転んでヒザを擦りむいたというときに「こころが傷ついた」とは言わない、けれども誰かに情念でヒザを蹴飛ばされたら「こころが傷つく」。
走って転んでヒザをすりむいたり、木登りから落ちてどこかを打撲したり、そのときには強い「痛み」があるが、その痛みに「情念」は伴っていない/アントニオ猪木のビンタも「情念」ではない、あれは「闘魂」だが、われわれはそんな情念抜きに闘魂のみを発揮できるほど人間が洗練されていない、プロレスラーなんか痛みに育てられた人間の代表じゃないか。

片頭痛がなかったら、僕は成長できなかった。

最近はほとんどなくなったのだけれど、数年前までは持病が典型的な片頭痛だった、今は特効薬があるから医者に行こうね、しかし長年の片頭痛がなければ僕は今のところまで成長できていなかった、きっと「痛み」には未だわれわれの知らない秘密がある。
かといって、リストカットするようなことはダメだ、リストカットには「情念」が伴う、また品質の低い格闘技で殴られるのもダメだろう、「情念」抜きで痛みの中に立てる機会はそんなに多くないのだった、だいいち痛みって基本的にはイヤだからな(血の痛みはダメだ、血の痛みにはだいたい情念が伴う)。

視点変えてこ | comments(0) |
僕のことは守ってもらうしかない(厚かましい)

近、自分がものすごいレベルのアホなのだということがわかってきた。
わかってきたというか、いよいよ、不可逆的に認めざるをえなくなってきたというか……
僕はどうやら、いわゆる「大事なこと」のことごとくを、本当に「分かっていない」ようなのだ、自分で認めるのもヘンな話だが。
油断すると、すぐ「分かっていない」ところに吸い込まれていってしまう、僕は文化とか芸術とか学門とか、そういったものの「大事なこと」がよく分からなくなり、吸い込まれていってしまう、僕は吸い込まれていって「この世界に寝そべっていれば十分」というところに行ってしまう、油断するとすぐにそうなる。

だから究極、なんというか、かばってもらうというか、守ってもらうしかない、正直なところを言えば本当はそうだ。
いろいろ書き話したりはしているが、究極のところ、僕があなたに何かを「教える」ということは本質的に不可能だ、なにしろ僕は本当に「分かっていない」側なのだから/それに比べればあなたが僕に「教える」ということは実になめらかに成り立つ。
分かっていない、分かっていないのだ……この数年間は、無理して分かっているふうにしてきたが、そのときの僕は正直半分がたは僕じゃない、何か僕ではないナゾのおじさんがそこにいるようにしか思えない。
何か、わずかでもむつかしい話になると、正直「よく分からん」のだ、僕はどうやってこの世界にひび割れを認知してよいのかわからん、僕は人が何かを「やっている」という、その「やっている」ということがよく分からんので、これはもう守ってもらうしかないのだ、非常にあつかましいが本当のところはそうだ。

なぜ分かりやすくせねばならないのかが分からん。

分かりやすくするなら、分かるモードに切り替えればそうなるのは知っているが、それで分かるようになったとして、「分かるようになる」のが目的だったとは到底思えないのだが……僕はけっきょく、僕を守ってくれる人としか付き合えん、ひどく厚かましいのはわかるが、これはもうどうしようもないのだ。
「分かる」モードになったとたん、僕は「なんのこっちゃ」となる、たとえば秋口にお茶を飲むのが「分かった」として、そのとたん僕は何もかもが「なんのこっちゃ」にしか感じられなくなる/「分かる」って「失くす」と同義じゃない? 僕はいつもおびやかされて困っている。

恋女のマインドね | comments(0) |
反復すると強化される
節、夏と梅雨寒が入れ替わっているな……
「反復すると強化される」という当たり前の話。
反復によってえられるのは強化であって上達じゃない。
ゴルフのへたくそなおじさんが、ゴルフスウィングを反復したら、「ヘタクソが強化される」だけだ、見たことあるでしょう、反復というのはそういうものだ。

上達の道は、むしろ反復の逆だ、そりゃそうで、昨日と同じことをしていたら、今日も昨日と同じレベルに決まっているのだ、それでは元のレベルでカッチリ固定が強化されるだけにしかならない。
上達の道というのは違う/「反復」というのは「同じことをして、毎回同じ結果を得る」ということ、「上達」というのは「同じことをしつこくやって、毎回違うレベルの結果を得る」ということだ。
こう考えればわかりやすい、たとえば毎日、自宅の庭に穴を掘るとする、初日は1mまで掘り、翌日は2mまで掘り……とやっていけば、十年後には「お前どこまで掘ってるねん!?」というえげつない深さに到達するだろう、それが「掘り進める」ということ。
こうして毎日「穴を掘り進める」としたら、毎日「掘る」という作業は同じだ、けれども毎日、昨日とは違うところまで到達している、同じ深さの日は一日もない/この形で「同じことをしつこくやる」なら上達は起こっていく、ここをたがえると「継続は力なり」は大ウソになる。

反復は努力ではなく逃避だ。

自分を進ませるということ、上達していくということは、それなりにしんどいのだ、何しろ今日も新しいところまでいかないといけない/それがしんどいので、人は逃げたがる、かといって逃げるのも癪なので、反復して努力しているフリで今日をごまかす。
よって、上達に必要なのは努力家の精神ではなく、開拓者の精神だと言える、習い事が好きな人は開拓者の精神がないので、あまり物事の上達に向かない/「開拓」はリアルにしんどい、そのかわりリアルに面白くもある。
視点変えてこ | comments(0) |
「何もしちゃダメなんだよ」

「情念主義」と「霊験主義」というアホな二派分類を採用するとすればだ。
それらは、かたや「肉に情念を染ませる主義」と、かたや「肉に光たる霊が宿る主義」だと説明される/肉に情念が染みたら、そのぶん霊が宿る余地は肉から失われていく。
ここにおいて、たとえば密室のトレーニングマシンに人間を乗っけて走らせ、「必ず成功する! 必ず成功する!」という情念を、エモーショナルな音楽と共に繰り返し染み込ませることは、実に危険だ、その人間の肉は情念が染みて真っ黒になっていってしまう。
基本的に、「トレーニング」の発想と「修行」の発想は真逆だ、「トレーニング」は肉に情念を染ませて強化すること、「修行」は肉から情念を抜いて霊を宿らせることだ/アホみたいだが実際「ジム」と「道場」は別の場所なのだからしょうがない、BGMの流れている道場なんてあるかよ。

「何もしちゃダメなんだよ」と僕は言った。
「何かを『する』、何かを『やる』となったらね、それはもうそれ自体が情念だ、情念でトレーニングすると必ず肉に情念が染み込んでしまう」
「だから何もしてはいけない、唄って踊って剣を振る、しかし『何もしてない』という、この『何もしてない』ということが大事だ、肉に何も染ませないこと、そうでないと肉に宿るべき本来のものが宿らない」
「お相撲さんの身体は福々しいだろ? プロレスラーの身体は華やかじゃないか。それは彼らが、格闘者でありながら『肉を守らない』からなんだ、相撲やプロレスに『防御』はないだろ、彼らは肉を『守らないことで鍛えた』、だから肉に霊が宿るんだ」

「情念の酒樽」と「霊験の酒樽」、あなたはどちらの樽から酒を飲むか。

そんな、得体のしれない「情念」なんてものを、グビグビ飲みたいかね……? 体中「情念」まみれになるが、決まってオバケというのは「うらめしや〜」という情念から出現するものだぞ。
茅ヶ崎の霊が肉声に宿った桑田佳祐と、密室で「絶対! 絶対!」とボイストレーニングした誰かとでは、必ず得られる声が異なってくる/誰も自分が情念主義だなんて自覚しているものではないが、「情念主義」というのは確実にあるのだ、それはみんな大好きな方法なのだが、あまりオススメの方法ではないのだった。

正しく見ないとな | comments(0) |
φῶς
白い説を聞かせてもらった、「わたしはこれまで、黒い玉の重さを数えていたの。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつと。そしてそれを『存在』だと思っていたわ」。
「だけどあなたは、空っぽのビーカーを見て、とてもうれしそうにしているの。わたしには、そのビーカーは空っぽにしか見えないのだけれど、あなたには、そこに光が乱反射しているのが見えるみたいなのね」
「たとえばmol(モル)という単位が、数えきれないアボガドロ数を含んでいるように、あなたの見ている乱反射は、とても細かく複雑に構造化されて、キラキラらしいの。あなたはそのキラキラ光を感じ取って、それを『存在』だと捉えているのね」
「わたしには、その乱反射が見えないの、だからわたしは黒い玉の『重さ』を数えていた、あなたは乱反射する『光』の量を見ていたのね、そもそも測定していたものが違うんだわ、でもわたしにも、そのときのあなたがとてもうれしそうということだけはわかるのよ」

存在は「光」なのか「重さ」なのか? 物理的に、光子は重さを持たないから、いっそ「光の反対は重さ」と言っても差し支えない/人の「存在」は光なのか重さなのか。
まあいいや、とりあえず「肉染み」つまり「情念が肉に染みる」という考え方はわかりやすい、「絶対に出世する」も「絶対に許さない」も情念だ、情念は肉に染みて「にくしみ」となる、情念の染みた肉は「重さ」を生じるだろう直観的に。
人間が情念を持つのはおかしなことではないが、それが「肉に染みる」のはどうか……イマイチの気がする、肉には光たる霊が宿ってほしいと思うので/これらは「情念主義」と「霊験主義」の二つに大別できそうだ。
僕は海を見たとき、山を見たとき、湧き水を飲んだとき、街のネオンライトを駆け抜けたとき、そこに「情念」を探すというのがよく分からんのだ/たとえば「女の情念が女の肉に染みている」というのがヘヴィなのはわかるが、それをして女の「存在」をよく証しているとは僕には感じられない。

面倒くさがりの極北が、ついに重さ自体を否定申し上げる。

たとえば僕が、「あの女を絶対オトす」「あいつだけは絶対に許さない」と、情念を肉に染ませたとして、そのとき僕は存在感ズッシリ、それが僕の「イグジスタンス」なのか? とてもじゃないが僕はそんなしんどい競争にはキャッチアップできない、海辺のネオンライトを見たらすべてをスコーンと忘れてしまう。
だって、光っているんだもんね、何かが/「そもそも測定していたものが違うんだわ、でもわたしにも、そのときのあなたがとてもうれしそうということだけはわかるのよ」
視点変えてこ | comments(0) |
肉を洒脱する

かしら言葉を当てはめておかないと、掴んでいられないので、さしあたり「洒脱(しゃだつ)」するという/「洒」とは洗い流すという意味だ、「洒脱」は本来は形容動詞。
「にくしみ(肉染み)」派と「にくぬき」派があって、要するに染み抜きをしないといけない、つまり肉を洒脱する、情念の染み入った肉なんてイヤだろ、そんな身動きもとれない肉体。
肉を洒脱しないと、中に霊が入らない、霊が入らないなら祭りにもならないし、精神も実現されない、何よりそんな肉にはあまり触れたくならないし、肉声も聞きたいものになってくれない。
肉を洒脱する/まあそんなことしても何にもならないとは思うが(えっ)、少なくともビョーキにはならないで済むだろうし、何より本当のことへの手がかりが得られる可能性もゼロではないので、肉を洒脱するのはまっとうな発想だと思えるのだった。

どうだろうね、たとえばジューダスプリーストの「ヘリオン」でも聴きながら、戦闘機が低空飛行しているところを見たりすれば、肉が洒脱されてこないか、まあ洒脱されてこないのかもしれない。
肉を洒脱するのはエネルギーだね、それにしても、どうして多くの人がそうも「我」が好きなのか、僕には根本的にわからない、ヘリオンと戦闘機がブッ飛んでいるところに「我」なんて関係あるか?
まあそれは、ヘリオンの霊と戦闘機の霊が肉に入るから、「我」なんてものが消し飛ぶわけだが、肉に情念が染みていたら、肉にはもう何も入らないのだろう、なんとかしてそのイタチゴッコの中で、肉が洒脱されることを祈るしかない。
すべての悩み事には意味が無い、時計には「時間がわかるよ」という機能しかないように、悩みには「悩むよ」という機能しかない、悩み事からヘリオンや戦闘機の低空飛行は生まれてこない。

「にくしみ」派は、「にくしみ」に行き着く(当たり前)。

すべての心理学は無駄であり、すべての自己啓発は無駄だ、肉染みに別色の肉染みを足してもなあ、肉が黒くなっていくばかりじゃないか。
芥川龍之介は、知能は高くてもその肉は真っ黒だっただろう(なぜこんなカンタンなことに気づかんかね)、神殿の中ではみんなお肉が透き通って白光だが、あなたは「肉」というとその真っ黒なのが「肉」だと思い込んでやしないかね。

正しく見ないとな | comments(0) |
Living under blue sky, Living after midnight

春は甘い匂いがする、季節の風には空の果実の匂いがする。
思えばあれは神殿だった、僕は神殿の中に住んでいた。
すさまじいエネルギーの中にあった、なあ聞けよ、何一つあなたの納得するところじゃない。
あなたはまったく別のものに納得している、そのずっと先に本当の神殿があったのに、そのずっと手前で。

僕は音楽を愛してなどいなかった、僕はただ神殿が好きだった。
すべての講堂は神殿であり、すべての街は神殿だった、ネオンライトが焚かれ生贄の麗女と酒が飲み下されるのも/神殿の中でのことだった。
どうして手前で納得する……といっても、僕にもよくわからないのだった、僕は何かを信じようとはしなかった、ただ神殿はすでに過去ほどに出現していた(過去ほど否定のしようがないものがあるか?)。
パワーじゃなくてエネルギーだが、エネルギーとして納得されているものは、それじゃない、僕には想像力さえ要らない、すべての事実さえあればよかった、神殿が最大の事実だったのだから。

神殿は陽気だ、ただしあなたの納得する陽気ではなく。

古いアメリカ映画でもごらんよ、神殿の陽気がフィルムに写りまくっているだろ、ああでも……「陽気」を別のことにして納得するのだった、これはもう困ったことだな。
僕はずっと神殿に生きたままなのか、これは話が噛み合わないわけだ、あの「陽気」を知る人こそパーティ来てね(誘いかけになっていないけど)。

正しく見ないとな | comments(0) |
「肉そのものが速い」
果的にいうと、肉から情念を抜くと(にくぬき派)、肉は「ごっつ速くなる」のだ、極めると何かもうテレポートしているみたいに動くようになる(フィクションの早さ、つまり挙動の機序から違う)。
きっとこの現象自体を、にくしみ派(肉染み派)の人はまったくご存じないのじゃないか、「自分が生きるということは肉に情念を染ませることだ」と、頭から信じ切っているのかもしれない。
にくしみ派の人は、たとえばジェームスブラウンがえけづないシャウトボイスを発揮したとき、それだって「強い情念」から発生しているものだと思ってしまう、何しろそれしか原理を知らないから。
しかしお察しのとおり、肉に情念が染みた人間などいくらでもいて、にくしみを極大にした人があんなシャウトを発揮できるかというと、できないものだ/これはどちらの派閥が偉いというわけでもないが、そもそもにくぬき派の存在がまったく知られていないところに問題があると思う。

「肉そのものが速い」ということが、まったく見えていないのかもしれない。
僕などからすると、立川志の輔や桑田佳祐、黒田鉄山やバーンスタイン、ジェームスブラウンやスキャットマンクロザースも、第一に「速いな!」と見えるのだ、肉の速さが抜群に見える、おそらくこの目利きがにくしみ派の人には皆無なのじゃないか(→黒田鉄山の速さは目を疑うほどだ)。
「脱力、脱力」と、それっぽいことはよく言われるけれども、それは「脱力したいという情念が肉に染みる」だけであって、本当の脱力に向かうことにはならない、しかしおそらく多くの人が、そうして「自分が頑張るということは、より強い情念を肉に染ませることだ」という取り組みを実際にしているのじゃないか。
僕は「営為の三相」として学門・文化・芸術を推奨する立場を採っているが、この営為の三相だって「そういう情念を肉に染ませる」ということを勧めているのじゃない、その逆だ、肉そのものが速くなるまでそれをやろうという話をしているのだ。

情念は加速する、霊はテレポートする。

デタラメな言い方だけど、まあかまわないだろう、情念はメラメラッと加速炎上するものだが、霊はパッと移り結果的に到達してしまう、それに肉がくっついてくるものだから、肉そのものが「速い!」となる。
情念は「重い」のが定番で、一方「霊」なんてものには重さがあったら不自然だ/現在の宇宙で質量を持たないのは光子と重力子だが、ヒッグス粒子が発見されればそうした理論が証明されていきうるように、いつかの未来には情念と霊の重さの違いも証明されるのかもしれない。
できるオンナだね | comments(0) |
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